陳完
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紀元前672年
正月、魯が大赦を行った。前年、文姜が亡くなったためである。兄を愛したという禁忌を犯したため彼女は後世において非難された人である。しかし、彼女が魯の外交において斉と関係を取り持ったりと魯のために尽くした面もある。そのことを踏まえても彼女はこの時代の女性としては奇妙な人である。
陳の宣公には御寇という太子がいた。特に問題を起こしたことも無い人である。
それならば何の問題も無いのだがそこに問題を生じさせたのは宣公の偏愛である。彼には妾がいた。彼はこの妾を寵愛し、彼女との間に款という子が産まれた。彼はこの子を愛し、太子の廃立を謀るようになった。
この年、宣公は御寇を殺した。そして、彼は太子の身内及びその仲間を捕らえ殺すことを臣下に命じた。
この太子の仲間の一人が顓孫と言い、彼は斉に逃れ、その後魯に逃れた。もう一人、宣公の魔の手から逃れようとしていた者がいる。陳敬仲こと陳完である。
彼は息をきらせながら、道を走り、宣公の兵から逃れようとしていた。そんな彼の前に馬車は現れた。
「これは困った。まだ死にたくないのだが」
彼は剣を抜こうとした時、馬車から声が発せられた。
「お待ちください。完殿」
馬車から彼を手で制しながら男が降りてきた。
「おお、義父上殿」
陳完に義父と呼ばれた男は彼に近づく。
「まさかこのようなところで会えるとは」
「ええ、まさか陳でこのようなことが起きるとは思えませんでしたからな」
彼が義父と呼ぶ男の名を懿仲と言う。彼の娘が陳完の妻になっている。
「さぁこの馬車にお乗りください。斉の国境まで送ります」
「おお、感謝致します」
彼は陳完を馬車に乗せると馬車を走らせた。
「義父上。申し訳ない。宮中にいる時に襲われたため、私だけ逃れ、妻や家族は」
「問題ありません。既に娘たちも斉に向かわせております」
「左様でございますか。まこと感謝致します」
涙を浮かべ、拝礼する。
彼らを乗せた馬車は斉の国境に着いた。
「では、私が送れるのはここまでです」
「ありがとうございます。義父上」
陳完はそう言って、斉に向かおうとすると懿仲は止めた。
「ひとつ言わせていただきたい」
「なんでしょう」
「常に身を慎むことを忘れず、徳を詰むことを心がけることです。そうすれば自ずと貴方の子孫は斉で栄華を得るでしょう」
「教えに背かぬよう致します。それでは」
彼は懿仲の言葉を国を追われる身への慰めの言葉と感じながら斉に向かい去って行った。その後ろを姿をじっと懿仲は見て、呟いた。
「占いの結果通り、貴方の子孫は栄華を得るのですよ」
彼の言う占いとは彼の娘を陳完に嫁がせる時のことである。彼は娘を嫁がせる陳完について占いを行った。その結果、占者が言った。
「この婚姻は吉です。『鳳凰(鳳凰とは一匹の鳥のことを言うのではなく。鳳を雄。凰は雌の二匹の鳥であるという説もある。)が共に飛び、鳴き声は調和します。嬀(陳の姓)の後は姜(斉の姓)で養われ、五世の後で栄えて正卿と同等になり、八世の後に並ぶものはいないでしょう」
予想以上の占いの結果の彼は大いに驚いた。特に『八世の後に並ぶものはいない』というのは驚くべきことである。何故なら、正卿以上となればそれは。
(国君しかない)
つまり、陳完と娘の子孫はやがて、斉の国で子孫が正卿となり、やがては国を得ると言われたことに等しい。だがこの占いに対してその頃の懿仲は半信半疑であった。
(完殿は陳の公子。そんな方が斉に行くことがあろうか)
そんな考えを持っていたからである。しかし、彼は結局娘を嫁がせた。この占い通りいかなくともきっと嫁がせることで良い結果があると思ったからである。
そして、現に陳完は斉へ向かうことになった。つまり占い通りに斉で高貴な身分になるのではないか。
(まあ私はその占いの結果を知るまで生きることはできないがな)
彼はそう思いながら陳に戻っていった。
斉への亡命は考えていたよりも簡単にできた。陳完は驚きを表わにしていた。なんと斉の桓公直々に歓迎を受けたのである。そして、桓公は宴を開き招いた。
そこで更に彼を驚かした。なんと桓公は彼を卿に任命すると言い出したのである。陳の公子とは言え、彼は他国では無名である。そんな者をこれほどもてなし、更に卿にしようとはどういうことなのか。そういった考えが生まれるよりも彼は桓公に感動した。
(斉君とはこういう人か)
一介の亡命者に過ぎない自分をここまで言ってくれる国君が他に居るだろうか。彼はこの任命を受けようとした。その時、懿仲の言葉を思い出した。
『常に身を慎むことを忘れず、徳を詰むことを心がけることです。そうすれば自ずと貴方の子孫は斉で栄華を得るでしょう』
このことを思い出した彼は桓公に拝礼して言った。
「寄生の臣にも関わらず、幸いにも主の寛大にお取りはからい頂き、主により赦しを得て罪を逃れ、負担を軽くすることができました。これは主の恩恵によるものであり、このように既に多くのものを得ているにも関わらずこれ以上に高位を得て重臣の方々の誹謗を招きたくありません。『詩』には『いと高き車に乗る方が弓で私を招く。私は馳せ参じたくないのではない。恐れるのは我が朋友の誇りだ』とあります。」
この彼の態度に感嘆した桓公は彼の思いに答え、卿の位を与えず、代わりに工正の官(百工の長、国の工業を任されたということ)を与えた。
彼には逸話がある。
桓公が昼間に宴を開いた時のことである。陳完はこの宴に招かれた。桓公は宴を大いに楽しみ、夕暮れになり始めた頃、彼は言った。
「火を灯して、宴を続けよう」
これに陳完はこれを断った。
「私は昼間の宴は知っておりますが、夜の宴のことは存じ上げませんので断らせていただきます」
そう言って、彼は立ち去った。それを見て、桓公は笑って言った。
「どうやら私は飲みすぎたようだ。宴を続けるのはやめよう」
人々はこのことを知ると酒とは礼の仕上げであり、度を越して飲み続けてはいけない。これを止めさせたのは義である。君に礼の仕上げをさせ過誤を犯せなかったのは仁であると称えた。
こうして、桓公に益々信頼をされるようになった彼の子孫はやがて田氏を名乗るようになり、斉においてその家を大きくしていき斉を乗っ取ることになるのである。
そんな田氏一門の初代である彼は常に身を慎むことを忘れなかったそうだ。