足の引っ張り合い
紀元前674年
「盟主たる者。周王室の争いに何ら手立てを打たなくとも良いのか」
斉の桓公は管仲に問うた。
「この争いは双方正義は無く。これに変に手を出すのは火の中に手を突っ込むようなものです」
周のこの乱は周王室の内部での問題であり、周王室がこちらに助けを求めるならばともかくこちらが手を出す必要はないのである。
「それに既に鄭君が王を助けています。自ずと乱は鎮圧されましょう」
「それでは鄭が諸侯の盟主になるのではないのか」
桓公は鄭の厲公が周の乱を収めれば周王が彼を諸侯の盟主とするのではないのか。それを桓公は心配するが管仲はそれに対し、答える。
「問題ありません。もはや諸侯の盟主になれるほど鄭には国力はありません」
(それにあの王が鄭にそのような大層な褒美を与えるとは思えない)
管仲には恵王という人にはそういうことのできる人ではないとも考えている。
「周王室の問題には関わらないことです。晋のように」
「晋、どうしてそこに晋が出てくるのだ」
「晋公は乱の首謀者たちから誘われていたそうです。しかし、晋公はそれを断ったそうです」
「ほう、晋公は有能か」
桓公はするどい目を向ける。
「さあ、まだ目立った動きがないのでなんとも言えません」
(まあ、有能ではあろう。それに晋の他にも楚もその存在感を強めている)
晋も楚もその勢力を強固なものにしつつある。斉にとって厄介になるだろう。
(幸運なことに晋も楚も主が変わったばかりということか)
「ならば今は国力を高めるしかないか」
「ええ、その通りです」
桓公の言葉を受けて、管仲は静かに拝礼した。
鄭の厲公は洛邑に向かって、軍を動かした。王室の乱を仲裁するためである。
「衛君、燕君。鄭軍を撃退していただきたい」
蘇子が衛の恵公、燕君・仲父にそう言った。
「承知した」
「ふむ」
仲父は拝礼し、答えるが恵公は自分の髭を撫でるだけである。
「衛君。何か不満でもありますか」
蘇子は険しい目を恵公に向ける。
「いや、承知したとも。しかし」
恵公は内心小馬鹿にしながら蘇子に向かって言う。
「お主がどれだけ努力してもあれらがあれでは意味は無くないかね」
彼の言うあれとは子頽と五大夫たちのことである。彼らは恵王を追い出した後、贅沢三昧であった。特に子頽は甘やかされて育ったため贅沢をやめられない。
「では、準備がありますので失礼します」
恵公の言葉を蘇子は無視してその場を立ち去った。
「ふん、好きになれん男だ」
「主よ」
石祁子が恵公に近づいて来た。
「何だ」
「実は……」
彼は恵公に耳打ちをすると恵公は目を細めた。
「そうか…‥わかった会おう」
彼は石祁子に連れられ、ある部屋に移動する。
「待たせたな。鄭の使者よ」
恵公が部屋に入って中にいた鄭の使者に話しかけると使者は静かに拝礼した。
鄭の侵攻を前に衛と燕、蘇子の軍がこれと対峙した。
「ふん。愚か者たちがたくさんおるわ」
その軍を前に鄭の厲公は笑う。
「使者を出しましたが講和には応じないとのことです」
配下が伝える。
「ますます愚かだな」
顎を摩りながら、彼はまたもや笑う。彼には目の前の軍に何ら怖さを感じてはいなかったのである。
「では、戦うとするか」
彼は出陣を指示した。
「来たか」
鄭が動き出したのを見て、蘇子は衛と燕に使者を出し、出陣を指示した。
蘇子の軍と燕は動きを合わせ動き出したが衛は動きが鈍く、衛軍と蘇子、燕の軍と僅かに間が空いてしまった。
「何をやっているのだ。衛は」
思わず、蘇子は舌打ちをする。これでは軍全体の連携が成り立たなくなる。
「衛に使者を出せ」
蘇子が苛立ちながら叫ぶ。使者を出している間、鄭軍とぶつかり始めた。蘇子の軍は彼らに襲いかかるが鄭軍は攻め込んだ割には盾を並べ、これを防ぐ。
「攻め込んだ割には攻撃が鈍いぞ」
そのことに疑問を思うと兵士が駆け込んでいく。
「報告します。我が軍と衛軍の間に敵軍が攻め込み、味方苦戦」
「何をしているのだ。衛軍は」
怒りを現わにする中、また、兵が駆け込んできた。
「報告します。衛軍が勝手に撤退し始めています」
兵士は声を震わせながら言う。
「何だと」
彼は剣を地面に叩き付ける。
「直ぐ様、味方へ援軍を出せ」
兵士が走り去ると彼は鄭軍を見て、呟く。
「まだ負けてはいない」
「予定通り、衛が退いたか」
自分の策通り進み、厲公はほくそ笑む。彼は戦場においては策略家としての才を思う存分発揮する。
「報告します。中央の敵軍は衛軍退却により、空いたところを埋めようとしています」
兵士の報告を聞き、彼は頷く。
「燕はどうだ」
「燕は薄くなった敵軍に一部兵を回しているようです」
「良し、ならば、一軍を燕に向け、攻めよ」
「御意」
「この戦、思ったより楽に勝てそうだ」
思い通りに行く戦場を眺め彼は笑う。
「報告します。敵軍、燕軍に攻めかかりました」
「燕に援軍を出せ」
「それではこちらの兵が少なくなりすぎます」
慌てる兵を前にかっと目を血走らせながら蘇子は言う。
「いいから出せ、命令に背く気か」
「御意」
蘇子は己の守りを薄くしながらも崩れつつある軍を何とか食い止めようとしていた。しかし、鄭軍はかつての鄭の荘公ほどの強さは無いがそれでも強兵である。次第に蘇子らは押されていく。
「報告します。敵軍を前に燕軍壊滅。燕君が敵軍に捕らわれたとのこと」
その報告を聞き、彼は苦い顔をする。彼の軍も鄭軍を前にほぼ壊滅状態、もはやこの戦は勝ち目はほぼ無かった。
「全軍、これより洛邑に退却すると全軍に知らせよ」
蘇子はこれ以上の兵の損失を恐れ、全軍に退却命令を出した。
兵たちはその命令を聞き、我先へと逃げ始める。
蘇子は自ら殿を努め、奮闘するが最後は矢に当たり戦死した。
「これぐらいでよかろう」
軍の損害を見て、これ以上の戦は無益と判断し厲公は退却を命じ、鄭は退却していった。