恨みの決起
楚の文王が世を去った中、周では乱が起こった。乱のきっかけは周の恵王である。
かつて、周の荘王には王姚という妾がおり、彼女を彼は寵愛していた。彼女との間に産まれたのを子頽という。彼は僖王の弟にあたる。
彼も荘王に寵愛され、彼の師に蔿国を任命した。
荘王、僖王と代を経て、恵王が即位した。父の僖王は質の良い人ではなかったが彼もまた、能力的も平凡な人であった。そのため、蔿国は内心子頽を即位させたいと思っていた。
そんな彼の感情を理解していたのか恵王は彼の圃(野菜園)を奪い。囿(動物園に近いもの)にしてしまった。
更に恵王は彼の仲間へ目を向け、王宮の近くにある辺伯の屋敷や、子禽祝跪、詹父の田土、膳夫(料理人のこと)である石速の俸禄を奪った。
彼らは恵王の行為に怒りを覚え、密談を行うようになった。しかし、彼らは恵王に土地や財産を取られたため、兵を集めることが困難であった。
「どのように兵を集めるのだ」
「蔿国殿は子頽様の師である。彼を立てれば自ずと兵は集まるのではないか」
辺伯がそのように言うが蔿国は首を振る。
「子頽様は先王の寵愛があったとはいえ、今の王に睨まれている。そんな中で兵がそう簡単に集まるとは思えん」
「では、晋公に力添えをしてもらうのはどうだ」
蔿国は晋の統一において、晋の武公に味方をした。その伝手を使って、晋の力を借りてみることを石速は提案した。しかし、彼はこの意見にも首を振る。
「私も同じように考え、使者を出したが良い返事はなかった」
晋の武公の後を継いだ晋の献公に使者を出した。しかし、彼は父が死に、領内を安定させなければならないため兵を出せないと断っていた。
(恩知らずなやつだ)
蔿国はそのように内心毒づくが、献公としては恵王に兵を向けるという大逆をすることに何ら利益はなく。そのことを恵王に伝えることもできるにも関わらず、伝えないことだけでも褒めてもらいたいだろう。
また、献公は蔿国らの行為は必ず躓くと思っている。
(彼らは大逆を犯そうとしているにも関わらず、他者に頼ろうとしている)
他者に頼りすぎれば必ず失敗する。献公は自分の曽祖父・成師と祖父・荘伯の失敗からそう思う。
(余計な火の粉を被る必要は無い)
献公は蔿国らの行為を遠くから眺めるだけである。
晋の兵を借りることもできない彼らは悩んだ。その時、子禽が閃いた。
「蘇子に頼んだらどうだ」
彼は周の武王の時の司寇(警備や刑罰を司る職)・蘇忿生の子孫である。彼の家は代々司寇の職に任命されており、兵を有している。
「何故蘇子なのだ」
「蘇子は実は王朝に不満を持っているのです」
彼の不満とは桓王の時に鄭に蘇氏の領地を与えたことに反感をもっていた。彼の父が領土を渡すことに同意をしていたが彼は不満に思っていた。
(自分たちは周王朝に尽くし、何ら罪を犯していないにも関わらず、我らの地を奪うとは)
そのような不満を彼は抱いている。そんな彼なら自分たちに協力してくれるのでなないのか。
「そうだな、子頽様に領土を鄭から蘇子に返してもらう旨を伝えれば協力するだろう」
辺伯がそのように言うと蔿国は頷く。
「良し、そうしよう。蘇子と協力し、王を討つ」
彼らが蘇子に話を持ちかけると同意し、兵を集めた。彼らもできるだけ兵を集め始めた。
そのような動きを周の卿士である原の荘公が知った。司寇である蘇子が兵を集めているという情報が伝えられたのである。
そうして、彼は調査を始めるとその裏で五人の大夫も動いていることを知り、謀反と確信した。
秋、兵を集めた五大夫と蘇子が子頽を奉じて、恵王を攻めた。
彼らの前に原の荘公らが兵を率いて、激突した。
流石は司寇の職を長年勤めただけに蘇子の兵は精兵であった。しかし、恵王側の兵の方が数は多い。次第に押され始めた。
「退くべきだ」
蘇子が叫ぶ。
「ここまで来て、退けるか。それに退くと言うが何処に退くのだ」
「このままでは数の差で我らは殺される。退く場所は二箇所。温と衛だ」
蘇子は二箇所提示する。温は昔、彼の一族の領土だった地である。
「何故、衛なのだ」
「衛君は以前、衛で起こった乱の時に先王が公子・黔牟に味方をしたことを恨んでいるのだ」
そう、衛の恵公はつらい亡命生活を送っただけに周王朝に恨みをもっていた。
「衛に兵を借り、再び戦えば良い」
「そうだな、そうしよう」
彼らは逃げた。五大夫は温に、蘇子と子頽は衛に逃れた。
「くそ、逃げられたか」
原の荘公は地団駄を踏む。そして、また、彼らが攻めてくることを予感し、配下を呼ぶと鄭に使者を出すよう命じた。
衛に逃れた蘇子と子頽は恵公に助けを請うと彼は周に恨みを晴らせると考えこれに同意し、冬、燕と共に周の首都である洛邑に侵攻した。
衛と燕の連合軍の攻撃に晒され、原の荘公は恵王に洛邑脱出を進言し、恵王と共に供を連れ、脱出した。
衛、燕連合はこれを追うが彼らの前方に旗が見えた。
「あれは鄭の旗か」
前方に立ち並ぶ鄭の旗を見て、舌打ちをしながら恵公は呟く。
鄭軍は恵王らを回収すると退却し始めた。
「衛君よ。何故攻めてくれないのですか」
蘇子が恵公に言うが
「鄭と戦うのは何の得にもならん」
そう言って、彼は全軍に退却を命じた。
洛邑に戻り、五大夫と蘇子は子頽を周王に立てた。一方の恵王を依然として鄭と虢が立てている。周の乱は未だ治まっていないのにも関わらず、子頽と五大夫はそのような警戒心を持たず、浮かれていた。彼らを見て、蘇子は思った。彼らの恨みはこの程度のものであったと。これではやがて恵王側に敗れる時が来るであろう。
(私は間違っていたのか)
そう考えるもだからとて、恵王側に今さら行こうとは思わない。
「戦うしかない。それしかない」
大逆を起こした以上戦い続けるしかない。それが乱を起こした者の責任だろう。