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春秋遥かに  作者: 大田牛二
最終章 春秋終幕
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歓声を上げよ

すいません遅れました。

 張孟談ちょうもうだんは城外に出ると、韓虔と魏駒の二氏と会見した。彼は二人に言った。


「唇が亡べば、歯が寒くなると申します。今回、智氏は韓・魏を率いて趙を攻めておりますが、趙が亡べば、次は韓・魏の番であることは知っておりましょう」

 

 二人は頷きながらも首を振った。


「我々も心中ではそれを知っている。しかし事を行う前に謀が漏れてしまい、禍を招くことを恐れているのだ」

 

 張孟談は、


「謀は二人の口から出て私一人の耳に入るだけです。心配はいりません」


 と言った。二人は目配せすると頷いた。


「わかった我らは趙氏と協力するだろう」


 二人は張孟談と決行の期日を約束した。

 

 夜、二人が張孟談を晋陽に送ってに報告させた。趙無恤ちょうもうじゅつはそれを聞くと、張孟談に再拝した。


「あなたのおかげで二氏の協力を得ることができる」


「全ては主の徳のおかげです」


「いや、我が家の長年の徳のおかげだ」


 趙無恤はそう言うが、張孟談は思う。


(どれほど素晴らしい先祖がいても、その徳が子孫にまで受け継がれるわけではない。徳とは受け継がれるべき土壌があってこそ、時が経とうとも守ってくれるのだ)


 趙氏は歴代に渡って、それを受け継ぎ続けた。だからこそ、この苦難に会おうとも耐えることができるのである。


 張孟談は二氏に会った際、彼等に自分に会ったことを伝えても良いと言った。下手に隠そうとすると、二氏へ疑いを持つようになり、智瑤が彼等に下手に手を出しかねない。


 そこで会えて彼等にこう伝えさせた。趙氏の相に自分たちに通じようとしているものがいると、張孟談は智瑤に疑いを持たせずに彼に会うため再び、城を出て智瑤に朝見した。

 

 張孟談が轅門(陣門)の外で智果ちかに会った。


 智果は張孟談の様子を見てから智瑤に会って言った。


「二主は変事を起こすつもりでしょう」

 

 智瑤がその理由を問うと、彼は答えた。


「私は轅門の外で張孟談に会いました。彼は堂々としており、歩く時の足も高く上がっておりました」


 最初、彼が陣を訪れたと聞いた時、降伏の申し出か、内通のために来たのだと考えていた。しかし、彼の様子を見ているとそういった後ろめたい状況にあるとは思えなかったのである。


 そのことから彼を通じて、趙氏と韓氏、魏氏の二氏が繋がったのではないかと考えたのだ。

 

 しかし、智瑤はこれを信じず、言った。


「私は二主と固く約束をした。趙を破れば、その地を三分することになっているのだ。これは私が自ら告げたことだ。裏切るはずがない。汝はそのような考えを棄てよ。二度と口にするな」

 

 それでも自分の考えを捨てきれない智果は退出してから韓氏、魏氏に会いに行き、再び戻ると言った。


「二氏は顔色が変わり、意思にも変化が現れております。必ずや主公に背きましょう。二氏を直ぐにも殺すべきです」

 

 ここまで言っても智瑤は納得せず言った。


「兵が晋陽を囲んで三年になる。旦暮(朝夕)には攻略して利を得ることができるというのに、なぜ異心を持つというのか。汝は言葉を慎め」


 わざわざ負けようとする者に味方する馬鹿がどこにいるのか。彼はそう考えているのである。


 智果はならばと、言った。

 

「殺さないのなら親しくされるべきです」

 

 智瑤が、


「どのように親しくせよというのか」


 と問うと、彼は答えた。


「魏氏の謀臣を趙葭といい、韓氏の謀臣を段規といいます。二人とも自分の主の計(考え。異心)を変えることができるほどの信頼される臣下です。主公は趙を破ってから二人(趙葭と段規)をそれぞれ万家の県に封じることを二君(魏氏と韓氏。または趙葭と段規)と約束してください。そうすれば二主(魏氏と韓氏)は異心を抱かず、主公は志を得ることができましょう」


 彼等の心配は自分たちも趙氏のような目に会うのではないかということである。その心配を無くすことに努めるべきなのである。

 

「趙を破れば、その地を三分すると決めてある。そのうえ趙葭と段規にまで、万戸の県を与えれば、私が得る地が少なくなってしまうではないか。二人との約束はできない」


 自分に韓氏も魏氏が従っている以上、その臣下も従うのは当たり前のことだと彼は思っている。ある意味、彼は正しく、正しすぎるくらいに貴族らしい貴族なのである。


 貴族らしく自分より下の者は自分に従うべきだと考えているし、それが素晴らしいこと、美しいことであると思っている。

 

 しかし、それではいけない。人の心を掴むことを考えるのであれば、その考えを改めるべきであろう。されど智果は自分のそういった思いが彼に届かず、諫言も聞くことはないと考え、


(もう駄目だな)


 姓を輔氏に改めてから智氏の陣を去っていった

 

 これを聞いた張孟談は城に帰って趙無恤に言った。


「私は轅門の外で智果に会いました。彼の視線は私を疑うものでございましたが、彼は智氏に会ってから姓を改めて出て行きました。魏と韓の謀反を知氏に伝えたはずですので、今晩にでも攻撃しなければ、手遅れになりかねます」

 

 趙無恤は、


「わかった」


 と答えると、張孟談を派遣して韓・魏の君にこう伝えた。


「今晩、堤防を守る官吏を殺して決壊させることで、智氏軍を水没させます」

 

 夜、趙無恤は延陵王に部下と共に送って隄(堤防)を守る官吏を殺させた。


「さあ、決壊させるぞ」


 延陵王によって隄(堤防)が破壊され、溜められていた水が智瑤の陣に流された。

 

 智瑤の軍は突然訪れた濁流の勢いから逃げようとして混乱に陥った。


「良し、智氏を滅ぼすぞ」

 

 そこへ韓・魏両軍が挟撃し、それを見た趙無恤も比較的元気な兵を率いて正面から攻撃を仕掛けた。もちろんこの時、彼の臣下たちは止めた。しかし、趙無恤は、


「あの男がいるのだ。私が出ずして、誰が出るか」


 と言って、出陣した。

 

 三方向からの攻撃に合わせて、濁流によって戦える状況でなかった智瑤の軍は大崩れした。


「こんなことが起こるとはな」


 智瑤は迫り来る敵兵を殺しながら、そう言う。そこに、


「主よ」


「おお、豫譲よじょうか」


 肩に包帯を巻きながら、豫譲が現れた。


「ここは逃げましょう」


 まだ、敵地での敗北である。自身の領地に戻れば、再起の可能性は残っている。


「逃げるか」


 彼の言葉に智瑤は笑った。


「どこに逃げるというのか」


 智瑤は泥だらけ、埃だらけな一団が見えた。趙氏の兵である。そして、それを率いている男が見えた。


「あの男があそこにいる。あの男が追っている。あの男が遂に私の前に現れようとしている」


 彼は歓喜に近い感情があった。長きに渡る籠城戦の果てにどれほど、あの男と会うことができることをどれほど、渇望したことか。


「どうして、私が逃げるというのか。あの男が来るというのならば、私が挑まずしてどうするか」


「しかし、もはや……」


「それ以上言うな」


 智瑤は豫譲の言葉を止めた。


「お前の剣は誰よりも美しい剣だ。お前は生きよ。生きて、その美しい剣を残せ」


 彼は豫譲に向かって、そう言ってから趙氏の兵に向く。


「私はこの美しい戦場を逝く」


 智瑤は嬉しそうにそう言って、趙氏の兵へ向かって駆け出した。


 (ああ、良いぞ)


 智瑤は趙氏の兵を次から次へと切り捨てていく。


 されど、彼等の目は智瑤を見つけてぎらつき、叫び声をあげながら彼に向かって突撃してくる。

 

 (だが、不満もある)


「何と美しくない兵だ。もっと鎧も武器も綺麗にしてから来ないか」


 その時、趙無恤の姿が見えた。


「趙無恤。やっと、やっと会えたな」


 彼の姿を見て、智瑤は歓喜しながら、彼に向かって、駆け出す。


「主に近づけるな」


 趙氏の兵が趙無恤の前に守るように出るが、その兵らを一瞬に智瑤は斬った。


「趙無恤。この時を誰よりも待っていたぞ」


 彼は飛び上がらん勢いで、彼に向かって剣を突き出した。


 その時、後ろから槍が彼の背中へ向かって突き出され、そのまま腹を貫いた。


「主に近づかせるかよ」


 延陵王の槍であった。それによって智瑤の動きが止まる。そこに更に趙氏の兵たちの剣が突き出されていき、彼の身体を貫いていく。


 智瑤は血が口から吹き出しながら、剣を趙無恤へ向かって、投げた。


 これには延陵王も驚く。


「主よ。避けてください」


 趙無恤は向かってくる剣に驚きながら、手に持っている剣を目の前に構える。智瑤の剣はそれによって弾かれる。


 その勢いによって、趙無恤は馬から転げ落ち、兜が脱げた。それを見た智瑤は笑った。


「はっはははは、なんと無様な姿か」


 彼の身体は至るところ、剣や槍に貫かれている。その前に転げ落ちたままの趙無恤がいる。


「だが、そんなお前に私は負けたか」


 智瑤はからからと笑う。


「今のお前の姿は……」


 彼が言い終わる前に延陵王が彼の首を斬り飛ばした。彼の首が飛ぶ。


 智瑤という男ほど、才覚に溢れた男はいなかった。彼は戦においてただただ、天才であった。また、彼は領土において問題を起こしていないことから領地運営においても決して無能ではなかっただろう。


 ただ、彼は人の心というものがわからなかった。人の心の機微に対してあまりに鈍感であり、汲み取ろうという意思がなかった。故に彼は破れることになったのである。


 しかし、最後の最後に彼は悟った。彼の前に尻餅をついている男を見て、その彼を守らんとする兵たちの姿に、


(ああ、なんと美しき光景か)


 最後に美しいものを見れた。ならば、良し。


 彼の首は地面に落ちた。


「死んだのか」


 それを見て、趙無恤は天に目を向けた。


「我らは勝てたのか。勝ったのか」


 彼の目から涙が溢れる。


「我らの勝ちだ」


 彼は立ち上がり、拳を挙げてそう言うと趙氏の兵たちも皆、拳を上げる。


「歓声を上げよ。もっとだ。もっとだ。今日は大いに喜ぼう。我らは勝ったのだと」


 趙無恤を始め、ここにいる誰もが泣き、笑った。長く辛い戦いが終わったのだ。勝利したのだ。彼等の歓声はいつまでも続いた。


 こうして晋陽の戦いは趙氏の勝利に終わった。








 




 

 

 



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