勝利は目の前に
豫譲は智瑤によって行われた水攻めによって生じた混乱に乗じて、晋陽の中に入った。
彼は趙無恤が三年以上も籠城戦に耐えてることから危機感を強め、独断で晋陽に乗り込んだのであった。
しかし、彼は侵入を果たすことができたものの、趙氏の配下の元に見つかり、戦闘を行っていた。
延陵王が振るう矛を掻い潜りながら、彼の懐に入り、剣を突き出す。されどその剣を間一髪で延陵王は避け、矛で彼を撫できろうとする。
豫譲はそれを素早く交わし、距離を取る。この繰り返しが繰り返されていた。
(かすり傷は付けれても、致命傷を与えることができん)
一方の延陵王も、
(まるで蛇のような剣だ。避けきれねぇ)
と豫譲の剣術に舌を巻いた。
(だからこそ、こいつを主に近づけさせるわけにはいかねぇ)
矛を豫譲に向かって、振り下ろす。豫譲は飛び上がって避け、矛の上に立つ。そのまま矛の上を駆け、延陵王に向かって剣を突き出す。
延陵王は突き出される剣に向かって、左手を広げ突き出し、剣に左手を貫かせる。そして、矛を上げた。
舌打ちしながら豫譲は剣を離し、転げるように彼から距離を取る。
左手に剣が刺さったまま、延陵王は矛を構える。
「さあ、あんたの剣を取ったぜ」
(見事な武人だ)
豫譲は彼の武を褒め称えた。しかし、現状は中々に厄介である。剣は取られ、時間をかければ、他の趙氏の兵も来るだろう。そうなれば、もはや逆転は不可能。
(ならば、ここは逃げる)
彼は後方に向かって駆け出した。
「くそ、逃げるか」
延陵王は矛を彼に向かって、投げた。その矛はそのまま豫譲の肩を掠った。
「ぐぅ」
豫譲は肩から溢れる血を抑えながら、晋陽を脱出した。
「逃げられたか」
延陵王は左手の剣を抜いた。
智瑤は水没した城の周りを巡視した。魏駒が御者を、韓虔が驂乗を勤めさせている。
兵車では尊貴な者が左に乗って弓矢を持ち、御者が中央で馬を操り、力がある者が右で矛を持つ。智瑤が左、魏駒が中央、韓虔が右にいる。
やらされている二人は屈辱だと思いながらも、勤めていた。
智瑤は晋陽を眺めながら言った。
「水によって人の国を亡ぼすことができると私は知った」
それを聞いた魏駒は目を細めて肘で韓虔を突っついた。韓虔はそれに答えるように足で魏駒の足を踏んだ。汾水は魏都・安邑を水攻めにでき、絳水は韓都・平陽を水攻めにできる。お互い、水攻めによって国を落とされることになると互いに合図し合ったのである。
この時、絺疵という者が近くにおり、智瑤の言葉を聞いた。因みに絺姓は周の蘇忿生の支子(嫡長子以外の子)の子孫だと言われており、絺という地に封じられたため絺氏を名乗った。
彼は智瑤に言った。
「韓と魏は必ず反しましょう」
智瑤は首を傾げ、
「汝は何故それが分かるのだ?」
と言った。絺疵はこう答えた。
「人事(人の常)によって知ることができるのです。我々は韓と魏の兵を集めて趙を攻めておりますが、趙が亡べば、難は必ず韓と魏に及ぶと二氏は考えているのです。趙に勝ったらその地を三分すると約束されましたが、城は三版を残して水没し、人馬が困窮して投降まで日がないにも関わらず、二氏には喜志(喜ぶ気持ち)がなく、憂色を表しています。反しないはずがございません」
彼等は智瑤によって自分たちも同じ目に合わされると考えている。だが、まだ彼等はここにいるのである。つまり、ここで捕らえるなり、始末するなりを行った方が良いと彼は湾曲的に伝えたのである。
翌日、智瑤は絺疵の言を二人に伝えた。彼は絺疵の言葉の意味を理解できていなかったのである。すると二人はこう言った。
「彼は趙氏のために遊説し、主(智氏)に我々二家を疑わせて趙氏に対する攻撃を緩めさせようとしているのでしょう。朝夕には趙氏の田(土地)を得ることができるにも関わらず、敢えてその利を棄てて危難で成功するはずがない事を欲するとお思いでしょうか」
二人が退出してから絺疵が智瑤に会って言った。
「主はなぜ、私の言を二氏に伝えたのでしょうか?」
智瑤は驚いて言った。
「汝は何故それを知っているのだ?」
絺疵は頭を抱えしょうになりながら、
「彼等は私に会うと凝視してから早足で去って行きました。私はそのことから二人の実情を知っていると気がついたのです」
しかし智瑤は態度を改めず、二氏に対して何もしなかった。
絺疵は難が起こるだろうと考え、難から逃れるために使者として斉に行くことを願い出て、それが許されるとそのまま斉に逃れた。
智氏、韓氏、魏氏の三卿による水攻めによって、晋陽は三版を残して水没した。そのため人々は釜を高い所に掛けて炊事するようになったが、この水攻めによって多くの食料は失ってしまい、やがて食糧がなくなると、飢餓に襲われるようになった。
群臣には、外心(二心)が生まれ始めて礼が疎かになったが、高共(または「高赫」)だけは礼を失うことはなかった。
決して揺るがぬ者がいるというのは、心強いものだと趙無恤はそう思いながら、この水攻めに耐えた。水攻めは強力な戦法であるが、その戦法の本質は城内の将兵を殺すことではなく、将兵の心をへし折ることである。
だからこそ、耐えきれば勝機がある。
だが、兵の中に衰弱して病になるものが出てきた。そのことから病が全体に広がることへの懸念が生まれ始めた。
(どれだけ心が団結してもこれでは……)
心配し始めた趙無恤は張孟談を呼び相談した。
「粮食が乏しく城の力も尽き始め、士大夫は病にかかっている。これ以上、守ることは難しいように思える。城を率いて投降しようと思うがどうだろうか?」
張孟談は首を振った。
「国を亡ぼして存続させることができず、危難に遭いながらも安定させることができないようでは、知士を貴んでも意味がないと申します。主公はその考えを棄ててください。私が韓、魏の君に会いに行きましょう。彼等と智氏には不和があります。そこを突けばこの逆境を何とかできましょう」
彼が言うほど、韓、魏の二氏に会ったところで彼等が従うとは思えないが、
(彼の言葉を信じよう)
趙無恤は彼を信じることにした。趙氏は臣下の意思を、能力を信じてここまで来た。ならば、自分も彼を信じるべきであろう。
「任せる」
「御意」
張孟談は拝礼して答えた。