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春秋遥かに  作者: 大田牛二
最終章 春秋終幕
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退くならば、静かに

 鄭からの援軍要請を受けた斉の田恒でんかんは孤子(戦死者の子)を集めて三日以内に入朝させた。


 そして、彼は一乗の車と二頭の馬(二頭の馬は士の制度)を準備し、策書(国君の命令書)を五つの袋に入れると、顔涿聚(顔庚)の子・晋を招いて言った。


「隰(犁丘)の役で汝の父が死んだが、国が多難だったため汝を撫恤できていなかった。今、君命によって汝にこの邑(策書に書かれた城邑)を与えることになった。朝服を着て、車に乗って朝見致せ。前労(父の功労)を無駄にしてはならない」

 

 このように彼は士階級の者たちの心を掴み、軍を編成した。

 

 斉軍が鄭を援けるため、留舒(柳舒)に至った。既に穀(斉地)から七里離れた場所まで行軍しましたが、穀の人々は兵が通ったことに気がつくことはなかった。斉軍の動きが速く、乱れがなかったためである。

 

 斉軍が濮水に至ったが、雨が降っているため川を渡ることができなかった。駟弘に同行している国参(子思。子産の子)が言った。


「大国(晋)が我が国の軒下にいるので急を告げたのです。ここで軍を進めることができないようなら、恐らく間に合わないでしょう」


 この考えは鄭を攻めている智瑤も同じであった。


「あれでは斉軍は来れないだろう」


 しかし、彼等の思う結果にはならなかった。

 

 田恒はこの事態に対して、雨衣を作り、戈を杖にして、山の坂道を登るよう命じ、馬が進まなくなったら鞭を打ちながら引っぱった。


 彼にしては珍しく他国の危機対して、助けようとしている。


「ふん、他国のために兵を減らしたくないものだ」


 田恒はそう呟き、後ろを向いた。後ろにいた男が言った。


「大丈夫ですよ。晋とは矛を交えることはないでしょう」


「ふん、どうだがな。陶朱公よ」


 陶朱公とは范蠡はんれいの称号である。何故、彼がここにいるかと言えば鄭は斉に対して、援軍を頼んだが、助ける気は田恒にはさらさらなかった。鄭の使者は救援をもたらすことができないことに苦悩した時、商売のため鄭と斉の国境の辺りにたまたまいた范蠡のことを知り、彼に助けを請うた。


 范蠡はこれを受け、田恒を説得したため、斉は鄭の救援に動いたのである。

 

「さて、次に我ら斉軍の情報を晋軍に流しましょう」


「何故、そのようなことをするのだ?」


「晋軍を率いる智瑤は兵を率いることに長けた男であり、決して戦下手ではありません。今回、斉が援軍に来ることは意外であったことでしょう。更にその斉軍の士気が高いとなれば、争う気はなくなるでしょう」


 彼の意見に田恒は従い、自軍の士気の高さを触れ回った。

 

 この斉軍の様子を聞いた智瑤は兵を還し、


「私は鄭討伐を卜ったが、斉との戦いは卜っていない」


 と言った。

 

 しかし、ここで智瑤は斉に使者を送って田恒にこう伝えた。


「あなたの先祖は陳の出身であった。陳の祀が絶えたのは鄭の罪ではないか」


 実際に陳を滅ぼしたのは楚であるため、鄭は関係ない。鄭を援けた田恒を非難するためにこじつけている。


「だから我が君は私に陳滅亡の実情を探らせ、あなたが陳を哀れんでいるかを確認させたのである」


 田恒のために陳の仇である鄭を攻撃したと主張したのである。


「もしあなたが本(陳)の滅亡を自分の利とするのであれば(陳を滅ぼした鄭を助けて自分の利をするのなら)、私に害が与えられることはない(田恒を恐れる必要はない)」

 

 書簡を呼んだ田恒は激怒した。


「他者を侮り、虐げるような者に誰も良い終わりを得ることはないものだ。智氏は長くないだろう」

 

 彼は大いに智瑤を罵った。


 范蠡もこの書簡を内容知ると、臣下の呉句卑に言った。


「智氏はどうも余計なことを加えるのを好むようだ。戦で退く時は静かに退くべきだ。必要以上のことはいらない」

 

 斉に出奔していた荀寅がこの時、同行しており、田恒に言った。


「晋軍から来た者が私にこう報告しました。『晋は軽車千乗で斉軍の営門に迫ろうとしている。斉軍を殲滅できるだろう』と」


 これは暗に斉と晋を激突させようとしているのである。

 

 田恒はこう言った。


「我が君は私にこう命じた『少数の敵を追撃するな。多数の敵を恐れるな』と、たとえ敵が千乗を越えたとしても、それを避けることはない。汝の命(言)を我が君に伝えておこう」

 

 荀寅はため息をつき言った。


「私は自分がなぜ亡命することになったのかをやっと理解できた。君子の謀とは、始(開始)・衷(中。経過)・終(結果)があり、全てを考えてから進言するものなのだ。私はこの三つを考える前に進言したのだから、難に遭うのも当然であろう」

 












 

 

 

 魯の哀公は三桓を脅威と感じ、諸侯の力を借りて除こうとした。

 

 これに対して三桓も哀公が自分の力を把握できず乱を起こそうとしていることを嫌っていた。このように魯の君臣の対立はますます大きくなっていった。

 

 ある日、哀公が陵阪で遊び、孟氏の衢(大通り)で仲孫彘に遭遇した。哀公が問うた。


「私は善い終わりを迎えることができるだろうか?」

 

 暗に三桓が自分を倒そうとしているのではないかと聞いているのである。

 

 しかし、この場でそうですとは言えない仲孫彘は、


「私には分かりません」


 と答えた。

 

 哀公が三回尋ねても、仲孫彘はまともに答えようとしなかった。哀公は越に使者を送り、越に魯を討たせて三桓を除く決意を固めた。

 

 八月、哀公が公孫有陘(有山)の家に入った。そこから邾に出奔し、越に入るつもりである。

 

 魯の国人はこの哀公と三桓の対立から乱が起きることを恐れ、公孫有山(有陘)の家を攻めて公孫有山を捕まえた。その間、哀公は越に逃走して魯に戻ることなく、越で死んだ。


 三桓は悼公とうこうを立てた。



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