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春秋遥かに  作者: 大田牛二
最終章 春秋終幕
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美しき剣

大変、遅くなりました。

 紀元前468年


 春、越王・勾践が舌庸を魯に送って聘問し、邾田(邾の領地)に関する取り決めを行った。以前、魯が邾を侵して土地を奪ったため、越が覇者として調停を試みたのである。

 

 結果、駘上(地名。狐駘)が境界に定められた。

 

 二月、越と魯が平陽(西平陽)で盟を結ばれた。三桓が魯の哀公あいこうに従って参加した。

 

 季孫肥きそんひは魯の国君と三卿が夷蛮の大夫にすぎない舌庸と盟を結ぶことを恥じと思い、弁才がある子貢しこうを思い出して、


「もし彼がここにいれば、我々がこうなることはなかっただろう」


 と言った。子貢はかつて呉との結盟を断ってみせた実績がある。

 

 仲孫彘がそれを聞き、


「その通りだ。なぜ、彼を招かないのか?」

 

 と言うと季孫肥は、


「元々彼を招くはずであった」


 と答えた。すると叔孫舒は鼻で笑って言った。


「後日、また彼を想えば良いではないか」

 

 叔孫舒のこの発言は、子貢を用いることができないにも関わらず、難に臨むと子貢を想う季孫肥に対する皮肉である。

 

 四月、季孫肥が死んだ。

 

 弔問に来た哀公は葬礼の等級を通常よりも低くさせた。哀公が三桓を嫌っていたためである。はっきり言えば、あまりにも露骨すぎる嫌がらせであった。

 

 

 




 晋の智瑤ちようが鄭へ侵攻することにした。


 この彼の軍に一人の老齢の男がいた。彼の名は豫譲よじょうという。彼はかつて范氏、中行氏に仕えていたが、用いられることなく、両家は滅んでしまったため、智氏の軍に入ることにした。


「しかし、とんでもないところには入ったかもしれん」


 豫譲はそう呟いた。


 なんでも智氏の軍は鎧から剣まで全て寸法を合わせ、それに合わせなければ、処刑されるというのである。とんでもない軍だと鎧を着ながら彼は思った。


 本来、彼は年はもう老齢に差し掛かっており、このような戦場に一兵士として参加する年でもなかった。しかしながら彼には戦場しかなかった。


 豫譲の実家は剣舞を披露する一族の出であった。その一族の出であれながら一族から彼の剣は邪剣であると罵られていた。


(剣とは本来、人を殺す技だ。それの何が悪い)


 彼は自分の剣を邪剣と罵られたことに憤り、この剣で必ずや栄光を掴み、見返してやると思った。しかし、この年になってまで一兵士の身分でしかない。


「まあ良い。きっと何処かで自分を用いてくれるところはあるさ」


 智瑤の軍と鄭軍は激突した。


 豫譲は剣を持って、戦場を掛けた。矛も持たされたが、彼は使用しなかった。邪剣と言われた彼の剣であるが、次から次へと兵を切り殺していく。


 そこに鄭軍の戦車が見えた。すると豫譲は殺した敵兵の矛を取ると、戦車の車輪に向かって、投げた。矛は車輪に絡まるように刺さり、それによって車輪は壊れ、戦車に乗っていた男たちが投げ出される。


 豫譲は直様、その男たちに近づき、素早くその首を斬ってみせた。


「美しい」


 そこに風と共にそんな言葉が聞こえてきた。


 豫譲は声のする方に目を向けるとそこには若い男がいた。


「ご老人。美しいな。老いてなお、美しい剣技だ」


 若い男はそう言って、敵兵を斬り殺す。


(この者は私の剣を美しいと言うのか)


 彼の言葉に驚きながらも、かつて味わったことの無い感情を感じた。若い男は更に言う。


「その剣技は正に尊敬に値する。さあ、もっと私に見せてくれ、その剣技を」


 豫譲は思わず頷き、兵を斬り殺す。


「素晴らしい。老いというものは人から美しさを失わせる。されど、あなたの剣技は美しさを失うどころかますます美しくなっている」


 若い男は豫譲の剣をそう称える。


「剣技は人を殺す技、故に人を美しく華麗に死を与えなければならない」


 彼は剣を振るいながらそう言う。


「さあ、私と共に、美しき剣でこの醜き者たちに美しき死を与えようではないか」


 そこに智氏の旗がある馬車がやって来る。


「主公、危険ですぞ」


 若い男に向かって、馬車の男は叫んだ。


「すまない。あまりにも美しい剣を見てしまってな」


 若い男は馬車に向かってそう言った。


「あなた様は……」


 豫譲が戦場でありながらも拝礼して、問うた。


「私は智瑤と言う。ご老人。あなたは何と申される」


「豫譲と申します」


「豫譲か。あなたの剣は正に感嘆に値するものであった。一兵士など勿体無い」


 智瑤は彼を馬車に誘った。


「共に乗ろうぞ」


「いえ、結構です」


 豫譲が断ると智瑤は不機嫌な表情を浮かべた。


「あなた様は私の剣を美しいと申されました。しかし、その美しさは飾りとされるが故でしょうか。剣は本来、飾るものではなく、人を斬るものです。ここで斬ることを止めれば、あなた様が称えてくださった私の剣を見せれないことを私は悔いているのです」


 彼がそう言うと智瑤はぱっと明るい表情を浮かべた。


「私が間違っていた。そのとおりだ。剣の美しさはこの場で発揮されるものだ。存分にあなたの剣を見せてくれ」


「承知しました」


 豫譲は軽く頭を下げるとそのまま、戦場に飛び込んだ。


(身体が軽い)


 今までに無い身体の調子に驚きながらも彼は剣を振るう。


(何だこの胸の高鳴りは)


 今、豫譲の心の中は燃えるほど熱い感情が迸っていた。


「私の剣は美しいか」


 智瑤は自分の剣をそう称えてくれた。始めてであった。今まで、邪剣と言われ、穢らわしい剣だと言われ続けていた。


 しかし、今、自分の剣は美しいと言われている。


「ああ、何という喜びか。剣に生き、剣を磨き続けてきた。今、それが認められようとしている」


 彼は身体が軽かった。故に兵を多数斬り殺し、そして、敵軍の馬車が近づくと、飛び乗り、馬車の上にいる者たちを一瞬で切り捨てていく。


 それを眺める智瑤は、


「ああ、何という美しさか。まるで宴の場で見る剣舞のようではないか」


 と言った。まるで彼の目には豫譲が舞台で踊っているように見えた。


「剣とは格も美しきものであるとは、私は知ることができた」


 しかし、彼の美しいと称する剣は人の命を奪う剣であり、その剣の回りで、無数の首と血が踊っているのである。


 豫譲の活躍もあり、智氏の軍は鄭軍に勝利した。


「さあ、豫譲殿」


 智瑤は豫譲を陣内に案内し、彼を座らせた。更に豫譲に対して、国士の礼を持って接した。


 豫譲は感動した。今まで、范氏、中行氏に仕えたがこんな扱いは受けたことがなかった。


「我が剣を捧ぐに相応しき方はあなた様であることを、今日、知りました」


「ああ、今後もあなたの美しい剣技を見ることができるのですな」


 智瑤はとびっきりの笑顔でそう言った。なんと嬉しそうに笑う方なのだと豫譲は思い、彼に深々と拝礼した。


 以降、豫譲は彼を生涯の主であると思い、彼に尽くすことになる。


 その後、智氏の軍は桐丘に駐軍した。

 

 鄭の駟弘しこう(子般。駟歂の子)はこれを受け、斉に援軍を求めた。

 

 




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