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春秋遥かに  作者: 大田牛二
最終章 春秋終幕
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食言

 紀元前470年


 衛の出公しゅつこうは藉圃に霊台(楼台・高台の名)を築き、諸大夫と酒を飲んだ。

 

 この時、褚師比ちょりひが韈(靴下。足袋)を脱がずに席に登った。褚師比は以前、宋に出奔していたが、出公が即位してから帰国していた。

 

 当時の礼では、宴に参加する者は韈を脱ぐことになっていた。


 これを見た出公が怒ると褚師比が謝って言った。


「私には疾(病。ここでは足の皮膚病)があり、他の者とは異なっております。もし私の足を見れば、国君は吐いてしまうでしょう。だから脱げないのです」

 

 しかし、この彼の言葉を信じず、出公はますます怒った。諸大夫がとりなそうとしたが、出公の怒りは収まる気配がなかった。


 そのため褚師比はやむなく退出したが、出公は戟手(怒った様子。片手を腰に当てて片手で指さすこと。または人差指と中指で指さすこと)して、


「必ず汝の足を斬ってやる」


 と言った。退出する途中であった褚師比はそれをしっかり聞き、慌てて司寇亥(司寇は氏。衛の霊公れいこうの子孫)と同じ車に乗り、


「今日の事は逃走できるだけでも幸いであった。このままでは殺されるだろう」


 と言った。

 

 かつて出公が国に帰って復位したばかりの時、南氏(子南氏。霊公の子孫)の邑を奪い、司寇亥の政権も奪った。

 

 また、出公は侍人を送り、公文要の車を推し倒して池に落としたこともあった。公文要に対して怨みがあったようである。

 

 以前、衛が夏丁(夏戊)の爵邑を削って家財を奪った時、その家財は彌子瑕に与えられていた。彌子瑕は出公と酒を飲んだ機会に夏戊の娘を献上した。出公はこの女性を気に入り、夫人に立てた。

 

 夫人の弟・期(夏戊の子)は大叔疾の従孫甥(姉妹の孫)にあたり、幼い頃から出公の宮中で育ったため、出公は期を司徒に任命した。

 

 ところが夫人の寵愛が衰えると、期も出公に疎まれて罪を得ることになった。

 

 出公はこの霊台を立てるために三匠(三種類の工匠)に休みなく働かせていた。

 

 また、出公は優狡(優は俳優の意味。狡は名)と拳彌に盟を結ばせた。大夫の拳彌に身分が低い優と盟を結ばせたのは拳彌を辱めるためである。しかし、出公はその後も拳彌を傍に置いた。

 

 このように褚師比、公孫彌牟(子之。南氏)、公文要、司寇亥、司徒期は出公を憎むようになり、公宮内にいる三匠と拳彌の協力を得て謀反を起こした。


 皆、鋭利な武器や斤(斧。工匠の持ち物です)を持って公宮に向かった。

 

 先ず、拳彌を公宮に入らせ、太子・しつの宮から喚声を挙げて出公を攻撃した。太子・疾は既に殺されていたが、太子宮は残っていた。

 

 大夫・鄄子士が出公に迎撃を請おうとしたが、拳彌がその手を引いて言った。


「勇敢なあなたは国君をどうするつもりでしょうか。ここで戦ってもあなたが死ねば、国君を守る者がいなくなるではありませんか。先君(荘公そうこう)のことをご存知ないのですか。速く出奔しなかったため戎州で殺されたのです。国君はどこに行っても欲を満足できるでしょう。そもそも、国君は以前も国外にいたのです。今回また出奔しようとも、二度と帰国できないと言えるでしょうか。今は抵抗するべきではありません。大衆の怒りには逆らえないものなのです。乱が収まれば、乱を起こした者を離間させることもできるではありませんか」


 とんだ偽善である。

 

 出公は鄄子士と拳彌を連れて衛を出た。

 

 出公が蒲(晋附近)に向かおうとすると、拳彌が止めた。


「晋には信がございませんので、行くべきではありません」

 

 鄄(斉・晋両国附近)に向かおうとすると、拳彌は、


「斉も晋も我々を争っているのです。いけません」

 

 泠(魯附近)に向かおうとすると、拳彌が止める。


「魯は小国ですので、帰附するべきではありません。城鉏(衛の邑。宋との国境付近)に向かいましょう。そこなら越と結ぶことができます。越には優秀な国君がおります」


 五月、出公が城鉏に入った。

 

 城鉏に着く前に拳彌が欺いて言った。


「衛の盗賊がいるかもしれませんので、速やかに進むべきです。私が先に行きましょう」

 

 拳彌は出公が運んで来た宝物を車に乗せて衛都に還ってしまった。

 

 出公は士卒を分散し、祝史・揮に内応させて衛都を襲おうとした。衛人は出公の帰国を畏れた。

 

 それを知った公文要が公孫彌牟に会って祝史・揮を追放するように請うた。しかし彌牟は、


「彼は無罪である」


 と言って拒否した。

 

 公文要が言った。


「彼は専利を好み、法を犯しております。もし国君が国に入れば、真っ先に先導するでしょう。もし彼を追放すれば、必ず南門から出て国君の所に行きます。越は最近、諸侯を得たばかりなので、必ず越に師を請うことでしょう」

 

 祝史・揮が朝廷から家に帰った時、公文要が官吏を送って祝史・揮を家族と共に駆逐した。

 

 祝史・揮は衛都を出て城外で二晩過ごした。城外に留まったのは様子を窺って機会があれば、城内に戻ろうと思っていたためである。


 しかし誰も迎えに来ないため、五日後に外里(出公がいる場所)に入った。祝史・揮は出公に寵信され、越に兵を請う使者として派遣された。

 

 

 






 六月、魯の哀公あいこうが越から帰国した。

 

 季孫肥きそんひと仲孫彘が五梧(魯の南境)で出迎えた。

 

 哀公の僕(御者)を務める郭重が二人を見つけて言った。


「二人は悪言(臣下として相応しくない発言)が多いため、主公は全て明らかにするべきです」

 

 哀公が五梧で宴を開いた。そこで仲孫彘が哀公に酒を献じて祝言を述べるとともに、郭重を嫌っていたため、


「なぜそのように肥えているのだ」


 と譴責した。

 

 すると季孫肥が言った。


「罰として彘(仲孫彘)に酒を飲ませてください。我が国が仇讎と隣接しているため、我々は国君に従うことができず、遠出(越を訪問したこと)を免れました。それにも関わらず、国君に従って労苦を経験してきた郭重を肥えていると責めることができましょうか?」

 

 哀公が季孫肥と仲孫彘を皮肉って言った。


「食言が多いからな。肥えないわけにはいかないだろう」

 

 この「食言」には「約束を破る」「信を失う」という意味がある。季孫氏と孟孫氏が公室を裏切って嘘をついていることを非難したのである。

 

 皆、酒を飲み続けたが、楽しむことはなかった。

 

 この後、哀公と卿大夫の関係が悪化していくことになる。



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