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春秋遥かに  作者: 大田牛二
最終章 春秋終幕
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歩む道は違えども

遅れました

 子貢しこうは魯に来たついでに原憲げんけんの元を訪れることにしたのだが、


「ここに住んでいるのか……」


 原憲の住んでいるところは環境の悪く、入口に行くには狭い道を進む必要があった。


 彼が住んでいる家は、環堵の室(四方を土壁で囲まれた狭い部屋)で、蒿萊(藁や雑草)の屋根、蓬戸(蓬の草を編んで作った戸)、甕牗(壊れた甕で作った窓)、桑木の柔らかい枝で作った枢(門の軸)という粗末な家で、上からは水が漏れ、下はいつも湿っていた。

 

 しかし、原憲がここにいることは確かだった。家から琴を弾きながら歌を歌っている声が聞こえているためである。

 

 子貢は肥馬の牽く車に乗り、軽裘(軽い毛皮)を被っていた。内側は紺色、表面は純白である。だが、このような場所では、軒車(馬車)が小巷に入れないため、歩いて原憲に会うことにした。

 

 家に近づくと、琴を弾きながら、正しく座っていた原憲は子貢に気づいた。


 原憲は楮冠(楮は紙の原料となる木。楮冠は楮の皮で作った冠)を被り、黎杖(黎は藜と同じで木の名。藜の杖)を持って門まで迎えに行った。


 冠の位置を正せば纓(冠の紐)がはずれ、襟を締めれば肘が見え、履(靴)を履けば踵が破れてしまうというものであった。

 

 子貢はその姿から長年身につけているものを変えていないのだと思い、問うた。


「汝は何かの病だったのか?」

 

 すると原憲は顔を上げて言った。


「財がないことを貧といい、学んだことを実行できないことを病という。私は貧ではあっても、病ではない。世俗に順応して生き、徒党を組んで友となし、名声を得るために人から学び、利益を得るために人に教え、仁義を隠し、車馬を飾り、衣裘を美しくするようなことは、私にはできないのだ」

 

 彼の言葉に思わず、子貢は自分の格好を見ながら返す言葉がなく、後悔の色を浮かべ、別れを告げずに去っていった。

 

 原憲は杖を持ってゆっくり歩き、『商頌(『詩経』)』を歌いながら家に帰った。その声は天地に響き、金石(鐘や磬等の楽器)を演奏しているようであったという。






「そんなことがあったのか……」


 左丘明さきゅうめいは彼の話を聞きながら、子貢が落ち込んでいる理由を理解した。


 彼は原憲のあり方を知り、孔丘こうきゅうの教えに近い境地に原憲が至っていると感じた。そして、自分のあり方に疑問を覚えた。


 子貢は元々衛の大きな商家の息子であった。そのため金の力を振るうことになんの迷いがない。しかし、元々孔丘の教えでは、利益を求めることによりも質素倹約を教えている。


「私はかつて先生に対し、『富貴を得ようとも驕らず、貧しくてもおもねらない、このような態度は如何でしょうか?』と訪ねたことがありました。先生はこうお答えになられました。『それも好い。しかし貧しくとも道を守ることを楽しみ、富貴になっても礼を大切にして恭敬である方が良かろう』と」


 子貢はため息をついた。


「これは今の原憲のあり方に近く、私は自分の言葉以上でもございません」


 師が最上に置いた境地に原憲がおり、自分が言った境地に自分は至ってもいなかった。


「確かに孔丘はそのようなことを申していた。顔回がんかいも同じような境地に至ってもいたからなあ」


 顔回は孔丘の弟子の中で最も優れた弟子であった。若くして死んだが、誰もが認める人物であった。そして、子貢も誰よりも顔回に対しては叶わないと思っていただけに彼の名前が出てきて、ますます落ち込んでしまった。


(ふむ、孔丘は子貢のことはよくこう言っていたな)


『子貢は才覚はあるが、その才覚の限界を直ぐに決めてしまうところがある』


 孔丘は子貢の才覚を愛していたが、子貢のそう言ったところを導くことに苦悩していた。


「子貢よ……」


 左丘明が子貢に言葉を発しようとした時、家人がやってきた。


「お客人が参っておりますがどうしましょうか?」


「誰が来たのか?」


曾参そうしん様です」


 曾参は字は子輿といい、孔丘が生きていた頃の弟子の中では最も最年少の一人であった人物である。


「今日は珍客が多い」


 左丘明は彼をここに案内するよう家人に指示を出した。家人に案内された曾参が部屋に入るとそこに左丘明だけではなく、子貢がいることを見て驚いた。


「子貢殿?」


「久しぶりだな曾参」


 曾参は左丘明の前に行くと、拝礼した。


「実はこの度、参りましたのは、お願いがあって参りました」


「願い、願いとは何だ?」


 左丘明がそう聞くと曾参は拝礼しながら子貢のことを横目で見た。


「子貢が居ては話せないことなのか?」


「いえ……」


 曾参はしばし、無言になると諦めて言った。


「左丘明様、どうか我々を導く師となっていただきたいのです」


 左丘明と子貢は彼の言葉に驚いた。









 曾参が何故、そのようなことを言ったのかと言うと、孔丘が死んだ後の弟子たちのことを話さなければならない。


 孔丘の葬儀が終わった後、弟子たちは喪に服していたが、その喪が終わると自分たちをまとめていた孔丘の存在の大きさを改めて痛感し、自分たちをまとめる存在が必要だと考えるようになった。


 そのためまとめ役を決めるための話し合いを行うことにした。この話し合いに参加したのは、孔丘の弟子の中でも優れた者たちであった。


 後世において孔丘の弟子の中で最も優れた人物として十人挙げられ、彼等を後世では孔門十哲と呼ばれる。その十人は以下のとおりである。


 顔回、閔子騫びんしけん冉伯牛ぜんはくぎゅう仲弓ちゅうきゅう宰我さいが・子貢、冉有ぜんゆう子路しろ子游しゆう子夏しかである。


 顔回、子路、閔子騫、冉伯牛は既に世を去っており、子貢は喪に、冉有は季孫氏に仕えており、参加せず、宰我は孔丘の喪に服している時はいたが、その後はどこかへ行き、風の噂では斉にいるらしい。とにかく彼も参加していなかった。


 そのため子游、子夏、仲弓、子張しちょう有若ゆうじゃく、曾参の六人で話し合いを行うことにした。


 子游、子夏、子張は孔丘が世を去ったが、師の教えに共感を覚え、弟子たちは集まった彼等のためにも孔丘の影響力を保つべきだと考えた。


 孔丘の孫である子思ししがいたが、まだ幼少でとてもではないが、弟子たちを導くという点については劣る部分があるように思えた。


 そこで彼等は孔丘の容姿に近い有若を師として祭り上げ、まとめようと考えた。これに曾参と仲弓は反対した。有若も同意しようとはしなかったが、子游、子夏、子張の三人が自分たちが補佐するとして、押し切ってしまった。


 これにより有若が指導者の立場に立ったのだが……







「先生が生きていた頃に比べ、先生の教えを受けようとする者が減り、離れる者も多くなっております」


 有若は無能な男ではないが、子游、子夏、子張が補佐しつつも人を率い導くという点においては不足していた。


 このままではいけない。若いだけにそのような感情が大きかった曾参は左丘明を尋ねることにしたのである。


「左丘明様は、先生の友人であり、対等の立場で話すことができた数少ない方であり、先生の残された『春秋』の注釈することを子思様を通じて、許可された方でもございます。そんなあなた様が我々を導く指導者となっていただければ、先生の頃と変わらずに弟子も増えていくことでしょう」


「断る」


 左丘明は曾参の願いを突っぱねた。


「何故です?」


「私は確かに孔丘とは友人ではあった。しかし、彼の弟子でもなければ、彼の教えの信奉者でもない」


 左丘明はそう言った後、続けて、


「それに私を立てたとて、意味はないだろう」


 と言った。


「何故でしょうか?」


「私は孔丘ではないということだ」


 左丘明は当たり前のことを言っているに過ぎない。


 そもそも孔丘の弟子たちは彼の身分問わず、学びたいという意思を尊重し、やってきた者たちの多種多様性をまとめあげる力、そして、自分の教えを広めるために天下の至るところを歩きまわるというほどの行動力に惹かれて集まってきたのである。


 同時に孔丘のこれを真似しようとしても中々できることではない。


「それにそういったことが起こるのは普通のことだ」


「しかし」


「孔丘に惹かれて集まったのだろうお前たちは。教えはどうあれな。その孔丘がいなくなれば、人が去っていくのも道理であろう」


 良くも悪くも孔丘の威厳や徳によってまとまっていた集団だったのだ。それがまとめ役がいなくなれば、集団の中でまとまりが無くなるのは普通のことなのである。


「それをどう維持していくのかが、大事なわけだがな」


「そのためにも左丘明様の力が必要なのです」


 曾参はこのままでは孔丘を慕って集まったこの集団が崩壊する可能性が高いと思うが故に左丘明を立てようとしているのである。


「それでは意味がない。それは孔丘の影を必死に掴もうとしているだけだ。それでは逆に崩壊していくだけだ。有若を立てたこともそうだ。孔丘の容姿に似ているからという理由ではいくら話し合いで決めたとて、皆が納得できるものではなかろう」


 有若が無能だからといったことではない。選出された理由が問題なのである。


「結局、お前たちは孔丘から自分たちが離れることを恐れ、対立することも恐れているに過ぎない」


 曾参は強く反対して対立を招けば、集団が崩壊すると思って、一度は引いたではないか。しかし、左丘明からすれば、それは妥協したに過ぎないのである。


「曾参よ。今の現状を打開したいのであれば、お前たち孔丘の弟子が行うべきだ。それが教えを継ぐということなのだ。私が率いることでは意味がない」


「はい」


「弟子たちの中で対立が起きることを恐れるな。本当に恐れるべきことは何かを考えるのだ」


「恐れるべきこと……師の教えが無くなること」


 曾参がそう言うと左丘明は頷いた。


「そうだ。それこそがお前たちにとって恐れるべきことだ」


 左丘明は見えない目を細めていった。


「星は夜の中、ずっと輝くものだ。その星を見続けていれば、迷うことはない。どこにいようとな」


 曾参はその言葉を聞き、深々と拝礼した。


「教え感謝します」


 彼はそのまま部屋を出て行った。


「子貢。これはお前にも伝えたい言葉だ」


「はい」


「孔丘の教えは、星のようなものだ。その星さえ見ていれば、迷うことはない」


 左丘明は子貢の声のする方に指を向けた。


「顔回は顔回なりのやり方で、教えを全うした。子路は子路なりのやり方で教えを全うした。原憲もそうだ。やり方は違うが、皆、孔丘の教えを守ろうとしている。お前もお前のやり方で教えを貫けば良い」


「はい、感謝します」


 子貢は少し元気が出たようであった。


 それから数日後、左丘明はあることを聞いた。


 曾参が有若を指導者の座から引きずり下ろし、自分がその地位に着いたというのだ。それに子游、子夏、子張といったものたちは反発し、それぞれ個人的に自分の弟子を作り、教えるようになった。


 一枚岩だった孔子の弟子たちが分裂したのである。


 孔丘という偉大な指導者を失ったことで、儒教は少し長い衰退期に入った。その原因の一助に弟子たちの中での教えに対する考え方の違いによる対立が起きたためである。


 その結果、儒教が弱体化したことで他の思想が台頭することになる。その中で一番、最初に広がりを見せたのは墨家道である。


 この勢いに儒教が押されるが、それを押しのけることができるのは、孟子の登場を待つしかない。逆に言えば、彼の登場まで儒教は耐え忍ぶことができたのである。


「歩む道は違えども、進まんとする志が同じならば、無数に道が別れたとしても、迷うことはない」


 左丘明は『春秋』に注釈をつけながらそう呟いた。




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