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春秋遥かに  作者: 大田牛二
最終章 春秋終幕
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傲慢の貴公子

 紀元前472年


 春、宋の景曹けいそうが死んだ。

 

 景曹は宋の元公げんこう夫人のことで、宋の景公けいこうの母である。景は諡号、曹は姓で、小邾出身である。また、魯の季孫斯きそんきの外祖母でもある。

 

 魯の季孫肥きそんひ(季孫斯の子)が冉求ぜんきゅう(孔子の弟子)を弔問の使者として派遣し、景曹を送葬させた。

 

 宋に着いた冉求が言った。


「我が国には社稷の大事があり、肥(季孫肥)に職競(職務が多忙な事)を与えておりますので、紼(棺の縄)を牽くことができません(葬送に参加できません)。そこで私を派遣し、輿人(雑役の者。棺を牽く列。葬列)に従わせてこう申されました。『肥は彌甥(血縁が遠い甥)となることができました。粗末な物ではございますが、先人の馬がありますので、この者を送って夫人の宰(家宰)に献上いたします。旌繁(車馬の装飾。旌は車の旗飾、繁は馬の首につける飾り。ここでは景曹の葬列の馬)に並べることくらいはできることでしょう』」







 六月、晋の智瑤ちよう(荀躒の孫)が斉を攻めた。


「危険です」


 智瑤を補佐する智果ちかは彼が馬に乗って、数人の兵のみで偵察に行こうとするのを止めた。


「斉如きに何ができようか?」

 

 智瑤は聞き入れず、そのまま斉軍を偵察しに行った。すると馬が突然、驚いて前に駆け始めた。


 数人の兵たちは驚くが、智瑤は平然とした。


「斉人は私の旗を知っている。今、引き返してしまえば、私が恐れて返ったと言うだろう」


 と言って、馬の勢いのまま、斉の営塁まで接近し、そのまま取って返して戻った。


「ふん、斉軍とは臆病なものだ」


 矢の一つさえ射掛けようとしなかった斉軍に対して、鼻で笑った。


「実に美しくない」

 

 戦いが始まる前に晋の大夫・張武ちょうぶが卜をするように請うた。しかし智瑤は言った。


「国君が天子に報告されてから、宗祧(宗廟)で守亀を使って卜ったところ、既に吉と出ている。私が改めて何を卜うというのか。そもそも、斉人が我が英丘を奪ったために、国君は私に命を降したのである。これは武を示すためではなく、英丘を治めるためだ。名分があって罪を罰するだけで充分ではないか。卜の必要などない」

 

 両軍は犁丘(隰)で激突した。結果は晋軍の勝利であった。晋軍が捕らえた捕虜の中には、斉の大夫・顔庚(顔涿聚)がいた。


 智瑤はそのことを知ると直ぐに自ら殺害してしまった。

 

(本来であれば、捕虜は国君に献上するのが普通だが……)


 智果はそう思った。確かに敵国の大夫であることから、さっさと始末するというのもわからなくはないが、彼には直様、そういう判断になったことに不安を覚える。


「何も自らお殺りにならなくとも良かったのではありませんか?」


 彼はそう智瑤に言ったが、


「何故だ?」


 智瑤は首を傾げた。


「私に殺されるのだ。素晴らしい死を遂げたとは思わないか?」


 その言葉に智果は思い出す。

 

 かつて晋の卿・智申(智甲。荀躒の子)が子の智瑤を後嗣に立てようとした。すると智果が止めた。


「彼は宵(宣子の庶子)に及びません」

 

 智申は嫌そうな顔をしながら言った。


「宵は佷(横暴。人に従わないこと)である」

 

 智果は首を振った。


「宵の佷は表面に見えておりますが、瑤の佷は心の中にございます。心に佷があれば国を敗亡させますが、表に佷があれば害を招かないものです。瑤が人より賢である部分(優れた部分)は五つあり、不逮(人に及ばない部分)は一つございます。美鬢・長大(髪髭が美しく背が高いこと)が一つ目の賢です。射御(射術・御術)に優れているのが二つ目の賢です。伎芸(各種の技)に精通していることが三つめの賢です。巧文辯恵(文辞が巧みで弁舌が優れていること)であることが四つ目の賢です。剛毅で果敢であることが、五つ目の賢です。このような長所があるにも関わらず、不仁という一つの欠点がございます。人を凌駕する五賢があっても不仁によってそれを行えば、誰も許容できないことでしょう。もし瑤を後嗣に立てれば、智宗(智氏の宗室)は必ず滅びることでしょう」

 

 しかし智申は諫言を聞き入れなかった。

 

 智果は太史(氏姓を管理している)の所に行き、智氏を棄てて輔氏に改めることにした。


(ただただ、滅亡の予感を感じたからだ)


 目の前の男が智氏を滅ぼすそう思っての行動である。


「私によって殺されることは大変、光栄なことなのです」


 智瑤は続けて言った。


「人の死には美しい死に方と美しくない死に方があります。しかし、多くの者は美しくない死を遂げます」


 彼は残念そうな表情を浮かべる。


「誠に残念なことです。だからこそ、この美しき私が美しき死を与えなければならないのです」


 彼は自分のことを大変、美しい人間だと思っている。いや、信じていると言った方が正しいかもしれない。自分の一挙一動の全てが美しいのだと、彼は思っている。


 智瑤は幼少の頃から、美しき存在が自分しかいないことを誰よりも嘆いていた。なんでみんな美しくないのだろう。


 彼は純粋にそう思っていた。そんな彼は戦場が好きだった。一見、血や泥で汚れる戦場などのどこに美しさがあるのかと思うが、彼はそうは思わなかった。


 智瑤は戦場において自ら剣を振るうことを好んだ。大将であってもである。何故ならば、自分で殺した兵を見ると、


「なんて美しい死に様だろう」


 本気でそう思い、うっとりする。彼にとって他者を殺すという行為は、相手の命を奪ったというよりは、美しき死を与える行為なのだ。


「さて、私の美しい軍でも見に行きますかな」

 

 また、彼は自分の率いる兵もまた、美しいものだと、美しくあるべきだと考えていた。そのため彼は徹底的に兵を鍛えると同時に、彼等の武器から鎧まで、形や色、寸法まで自分の美しいと思うものに統一させていた。


「おや、汝の鎧は少し大きくないかね?」


 陣中を見て回っていた智瑤は一人の兵を捕まえそう言った。


「その、自分は少し他の者たちよりも大きく……」


 智瑤は兵の言葉を聞かず、その兵の首を飛ばした。


「全く、美しくない者だった。しかし、私によって美しくなった。素晴らしい」


 それを後ろで見る智果はただただ絶句するだけであった。











趙無恤も出そうと思いましたが、智瑤のことをストレートにこれって伝えたかったので、出しませんでした。

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