范蠡
遅れました。
呉を滅ぼした越軍は退却を始めていた。
「王、西施様はどうなさりますかな?」
越王・勾践に諸稽郢が訪ねた。
「美女は国を滅ぼす元だ。追放せよ」
「承知しました」
西施は殺されることはなかったものの、他国に追放されることになった。
「范蠡様も王もやはり、西施様を邪魔に思っていたのですね。何ということでしょうか」
彼女に仕えている鄭旦は憤りを顕にする。
「殺されなければ、幸運というものです」
西施はそう言った。
「鄭旦は范蠡様の元に戻りなさい」
「いいえ、西施様。私はいつまでも西施様にお仕えします」
「鄭旦……ありがとう」
西施は涙ぐみながら言った。彼女たちは追放された。
越軍が五湖(太湖周辺)に還ると、范蠡は勾践の元に出向き言った。
「王は徳に勉め、国を治めてください。私は国に入りません」
驚いた勾践は、
「私には汝が言っていることの意味が分からない」
と言った。范蠡はこう答えた。
「人の臣となる者は、国君が憂いれば、国君のために労し、国君が辱めを受ければ、国君のために死ぬものです。かつて王が会稽で辱めを受けたにも関わらず、私は事を成すために死にませんでした。今、既に事が成就しましたので、私は会稽の罰を受けることを願うのです」
勾践に夫差の奴隷となるように勧めたことは臣下としてあるまじき行為であり、屈辱を国君に与えた以上は、臣下としているべきではないということである。
また、呉を滅ぼす際に彼は独断専行に近い行為を行っている。
しかし、勾践は彼の言葉を理解しながらも止めた。
「もしも汝の悪(過失)を赦さず、汝の美(長所)を宣揚しない者がいれば、越では善い終わりを迎えられないようにするだろう。汝は私の言を聴け。私はこれから汝と共に国を治めるつもりである。もし私の言を聞かないようならば、汝の身は殺され、妻子も戮されることになるぞ」
范蠡のことを尊重しながらも後半の言葉は脅しに近い言葉が含まれている。その言葉に勾践という人物の怖さが溢れていた。
范蠡は拝礼にして述べた。
「私は既に命を聞きました(国君の言葉は理解しました)。王は制(法)を全うなさいませ。私は意(志)を行います」
彼はその場を立ち去り、そのまま呉句卑に用意させた軽舟に乗って、五湖を去っていった。
「船に乗って、どこに参られるのですか?」
「斉に行く」
范蠡は即答した。
「妻子の方々は大丈夫でしょうか?」
呉句卑はそう彼に問うた。勾践は自分の言葉に従わなければ、妻子を処罰すると言っていたからである。
「大丈夫だ。王はそれをすることはない」
范蠡はそう断言した。
「さあ、急ごう」
范蠡が去った後、勾践は都・会稽に戻ると工匠に命じて良金(良質の金属)で范蠡の像を作らせ、毎朝礼拝した。大夫には浹日(十日ごと)の朝(拝礼)を命じ、范蠡の家族は優遇した。
また、会稽の周囲三百里を范蠡の地とし、こう宣言した。
「後世の子孫でこの地を侵す者がいれば、越で善い終わりを迎えることはできない。皇天后土(天地の神)と四郷地主(四方の神)がこれを証明するだろう」
それを見ながら諸稽郢は思った。
(王の范蠡への信頼は本物だったということだろうか。しかし、これが全て計算尽くで行っているのだとすれば、どうだろうか?)
勾践は范蠡への尊重を広く示すことで、自分への信仰心を厚くしようとしているのである。
(食えない方だ)
諸稽郢は肩をすくませた。
「西施様。大丈夫ですか?」
西施と鄭旦は国外追放を受け、北の斉に向かっていた。しかし、女二人旅であることから困難も多かった。
「ええ、大丈夫よ。心配しないで」
彼女は鄭旦に向かって、そう微笑んだ。
(本来は一国の王の妾として裕福な暮らしをするはずだったのに……)
それが今や、国外追放の身である。
(国を救うために身体一つで、呉に行ったというのに、王も范蠡様も誰もこの方を守らず、見捨てられた。それが国を治めるということなのかしら)
本当の功労者を見捨てる国が果たして本当によい国なのか。鄭旦にはわからなかった。
その時、後方から馬車が駆けてきた。そして、彼女らに近づくと止まった。
「西施様、もしや越の者かもしれません」
追放しておきながら密かに命を奪う。その可能性もあった。二人は警戒していると、馬車から一人の男が降りてきた。二人は彼を見て、驚いた。
「范蠡様っ」
出てきた男は范蠡であった。
「ご無事であったか」
范蠡は二人に微笑んだ。その後ろには鄭旦の父である呉句卑もいた。
「何故、ここに?」
西施がそう問いかけると范蠡は答えた。
「国を守るために全てを投げ打って、救おうとした一人の女性がおりました」
彼は彼女の手を取った。
「その方を迎えるのであれば、全てを投げ打たねば、釣り合いが取れないではありませんか?」
西施の目に涙が流れる。
「あなた様は多くの国民を、国を、救うだけに飽き足らず、私のようなものさえもお救いになるというのですか」
ある日、全てを投げ打ってでも復讐をしたいと願った男がいた。
その者の命を助けた一人の少女がいた。
少女に救われた命を持って、男は国の大臣にまでなった。
国が危機に陥ると、少女は身を持って、国を救おうとした。
男は復讐を果たし、多くの人々の思いを叶えた。
男は地位と名誉を手に入れた。
しかし、男はそれらを全て捨て、少女に受けた恩義を返すために少女を救うことを選んだ。
「さあ、行きましょう」
「ええ」
范蠡は西施と鄭旦を迎え入れ、斉に向かった。
范蠡が斉に着くと彼は鴟夷子皮と名乗り、斉で商売を始めた。するとたちまち富を得て、富豪となった。斉はその評判を知ると彼を相に迎え入れようとした。
しかし、彼はこれを聞くと、
「家にいて千金を手にし、官にいて位が卿相に登るのことは、布衣(庶民)の極(頂点)である。久しく尊名を受けるのは不祥(不吉)であろう」
と言って、斉から渡された相印を返上し、財産を知人や同郷の者に分け与え、重宝(貴重な宝物)だけを持って秘かに斉を去った。
「ここでも多くの人を救われるのですね」
西施は笑いながらそう言った。
「買いかぶりというものだ。私は逃れたかっただけですよ」
范蠡が斉から去ったことを知った田恒は密かに舌打ちした。
范蠡は、陶に入ると朱公と名乗った。後世の人々には陶朱公と呼ばれる。
彼は陶が天下の中心に位置しているため、四方の諸侯と通じて商品を行き交わせている場所だと判断し、貨物を作って蓄え、時に応じて利を求めた。
しかしながら人から利を奪おうとはせず、誠実さのある商売を心がけた。
范蠡は十九年で三回も千金の富を手にし、二回にわたって財産を貧しい友人や疎遠になった兄弟親族に分け与えた。
「これが富を得て徳行を積まれるとはこのことですね
西施はそう褒めたが、范蠡は笑うだけであった。
范蠡はこの地で落ち着くと、友人であり、同志でもあった文種に書を送った。
「『空、飛ぶ鳥が獲り尽くされれば、良弓はしまわれ、狡兎(狡賢い兎)が全て死ねば、走狗(猟犬)は煮られる』と申します。越王は長頸鳥喙(首が長く鳥のように口が突き出ていること)という相であり、患難を共にすることはできても、安楽を共にすることはできません。あなたはなぜ国を去らないのでしょうか?」
書を見た文種は病と称して入朝しなくなった。
すると彼が謀反を企んでいるという讒言が生まれはじめた。
勾践は諸稽郢に訪ねた。
「文種にその可能性はあるだろうか?」
「可能性というものはどんな時でもあるものです。ここで大切なのは、その可能性が王にとって好ましいものかどうかです」
「そうか……」
勾践は文種に剣を与えてこう言った。
「あなたは私が呉を討つための七術を与えた。私はそのうちの三術を用いて呉を破った。残りの四術はあなたが持っている。どうかあなたは私のために先王に従ってそれを試してみてもらいたい」
文種は自殺した。
「そうか……文種は死んだか」
范蠡はため息をついた。彼は有能な男であると同時に不器用な人でもあった。
「友人一人、救えないとはな」
彼は乾いた声で笑った。
それから数日後、屋敷の前で男が倒れていた。
男は魯の猗頓と名乗った。
なんでも彼は耕(農業)に従事しても、いつも飢えに苦しみ、桑(養蚕)に従事しても、いつも寒さに苦しんでいる毎日に嫌気を指して、陶朱公の富を聞き、その術を学ぼうとここまで来たが腹が減って倒れていたという。
范蠡は飯を食わせてた。
「で、私の富をどう築いたのかを知りたいのであったな」
「はい」
「では、教えるとしよう」
「本当ですか?」
「本当だとも」
范蠡はあっさりと富を築くやり方を教えた。
「あなたは速く富を得たいようだから、五牸(五種類の家畜。牛・馬・羊・豚・驢馬)を飼育するべきだろう」
「教え感謝します」
「あと、もう一つ。商売は信頼が大切だ。どんな時でもそれを忘れないようにしてくれ」
「はい」
教えを受けた猗頓は西河に移り、牛・羊を猗氏(地名)の南で飼うようになった。その結果、十年の間で牛も羊も数えられないほどの数に繁殖し、その富は王公に匹敵するほどになった。
その名は瞬く間に天下に知れ渡った。
「友人は救えなかったが、一人の行き倒れは救えたか」
范蠡はそう呟いて、酒を煽った。