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春秋遥かに  作者: 大田牛二
最終章 春秋終幕
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呉、滅亡

大変遅れました

 紀元前473年


 かつて呉が邾を攻撃した。その二年後、邾の隱公いんこうは魯に出奔し、更に斉に移った。邾では太子・かく(桓公)が政治を行った。

 

 四月、隠公は斉から越に奔った。越が勢力を拡大し始めていたことで自分の帰国に協力してもらうためである。

 

 隠公が越に訴えた。


「呉は無道でございましたので、父(隠公)を捕えて子(太子・革)を立てたのです」

 

 越は隠公を邾に帰らせた。

 

 すると今度は太子・革が越に奔った。

 

 




 呉王・夫差ふさが姑蘇に立て篭り、越が包囲してから二年が経った。


范蠡はんれいよ。呉王の処遇はどうする?」


 越王・勾践こうせんが問うと范蠡は答えた。


「呉王を捕らえれば、殺すべきです。直ぐに殺すべきです。さっさと殺すべきです」


 彼は夫差に慈悲を与えるべきではないとした。


 楚からの援軍が来ることもなく、打開する術がないまま限界を迎えた夫差は大夫・王孫雒(王孫が氏)を越に派遣して講和を請うことにした。

 

 王孫雒は肉袒膝行(上半身を裸にして膝で歩くこと。降伏の礼)して前に進み、王孫雒が勾践に謁見し言った。


「かつて上天が禍を呉に降され、会稽で罪を得ました。今、君王が私を図りましたが(報復しましたが)、私は改めて会稽の和を請います」


 会稽で自分はあなたを救ったではないか。ならば、自分を救うのが筋ではないかということである。

 

 勾践は使者の態度を見て、憐れに思って同意しようとした。しかし范蠡が諫めた。


「聖人が功を立てることができたのは、天の時をうまく使えたからです。時を得ても完成させなければ、天は逆に刑を与えるのです。天節(天の時が変わる期間)は遠くなく、五年で変化するもの。小凶は近いため訪れるのが早く、大凶は遠いためゆっくり訪れます。先人はこう申されました。『斧で木を伐って斧の柄を作る時、参考になる斧は遠くないものだ』今、王はご決断できないようですが、会稽の事を忘れたのですか?」


 会稽で夫差が勾践を許したため、夫差はこのような目にあっている。ならば、ここで夫差を救えば、今度は自分の番になることになる。

 

 勾践は、


「わかった」


 と言った。

 

 しかし、王孫雒は一度去った後に再び訪れ、ますます辞を低くして勾践を尊重した。

 

 勾践はまたしても講和に同意しようとしたが、范蠡は言った。


「我々が朝早くから夜遅くまで政務に励みましたのは、呉に報復するためだったはずです。我々と三江五湖の利を争ったのは、呉ではありませんか。十年の謀を一朝にして棄ててもよいのですか。同意してはなりません。呉を滅ぼす希望はすぐにかなうのです」


 努力によって積み重なったものは一瞬で崩すことは容易なものである。だからこそ、難しく慎重にならねばならない。

 

 勾践は難しい表情を浮かべ、


「私も同意したくはないのだが、使者に答えるのが難しい。汝が対応してくれ」


「わかりました」

 

 范蠡はそう言うと左手に戦鼓を、右手にばちを持って使者に会い、こう言った。


「かつて上天が越に禍を下し、呉に越を制させたが、呉はこれを受け取らなかったのだ。今、我々はその義(呉の選択)を逆にして禍に報いようとしている。我が王が天の命を聞かず、君王の命を聞くと思うだろうか?」

 

 王孫雒は泣きながら言った。


「子范子(尊敬する范氏)よ、先人はこう申されました。『天が行う虐(悪事)を助けるな。天を助けて虐を行う者には不祥(不吉)が訪れるからだ』今、呉は稻も蟹も食べ尽くしてしまいました。あなたは天を助けて虐を行おうとしていますが、不祥を恐れないのでしょうか?」

 

 范蠡は毅然として言った。


「王孫子よ、昔、我が先君は周室の子爵にもなれず、東海の崖に隣接して黿鼉魚鱉(亀や鰐、魚)と共に住み、鼃黽(蛙)と共に水辺にいた。我々の容貌は人の姿と同じものの、その本質は未だ禽獣と同じである。だから礼を知らないのだ。どうしてあなたの巧妙な話が理解できただろうか」


 自分たちはあなた方とは違い、周王室の血縁では無い蛮族だから何を言っても無駄だということである。

 

 王孫雒は言った。


「子范子は天を助けて虐を行おうとしておりますが、天を助けて虐を行えば不祥になるのです。王に直接話を伝えさせてください」

 

 范蠡は首を振った。


「王は既に執事の人(范蠡。私)に全てを委ねられた。汝は去れ。執事の人に汝の罪を得させるな。汝が帰らなければ私が汝の罪を得ることになるのだ。あなたを害すことになることを察知して欲しい」

 

 王孫雒は帰って夫差に報告するため戻った。

 

 一方、范蠡は越王に報告しようとせず、左手の戦鼓を突然、叩き始めた。


「范蠡様。独断専行になりませんか?」


 驚きながら呉句卑が問うた。


「私は全権を任されている。問題無い。行け、先ほどの使者を血祭りにして、攻めよ」


「ははあ」


 呉句卑は兵と共に進み、王孫雒を斬り捨て、一斉に呉を攻めた。


「越の本格的な攻勢が始まったか」


 夫差はこちらにやってくる越の兵を見ながらそう呟いた。


「報告します。大宰は越兵に殺されました」


 兵が伯嚭はくひの死を伝えてきた。


「今、越兵に殺されるということは逃げ出そうとしたのだな」


 夫差は乾いた声で小さく笑った。信頼していた臣下は自分をおいて逃げようとしたのである。


 一方、越軍が勝手に攻め始めたことに驚いた勾践は慌てて使者を夫差の元に送った。そして、使者は夫差に言った。


「天が呉を越に与えたため、私はそれを受け入れないわけにはいかない。人の生とは長くないため、王は簡単に死を選んではならない。人が地上に生きるのは寓(寄生)と同じである。それがどれだけ続くだろうか。私は王を甬句東(越東境の地)に送り、夫婦三百(男女各三百人)を与えるつもりである。王が彼等と安らかに暮らし、王の寿命を終えることを願う」


 夫差はそれを聞くと笑って言った。

 

「天が既に呉に禍を降したのだ。それは前でも後ろでもなく、私の身に起き、宗廟・社稷を失うことになったのだ。もはや呉の土地と人民は全て越が有するようになっている。私には天下に会わせる顔がない」

 

 夫差は死ぬ前に使者を派遣し、伍子胥を祭らせてこう言った。


「死者が知ることができないのならばそれでよいが、もしも知ることができるというのならば、私はどのような面目が会って伍子胥に会えばよいのか。私の顔に布をかけよ」


 夫差は自害した。夫差の死はただ単に、常に選択を間違えた結果によるものである。選択を間違え続けて、世を去った。


 こうして呉は滅んだ。十一月のことである。

 

 范蠡の元に夫差の死が伝えられた。


「そうか。呉王は死んだか」


 彼は姑蘇を眺めた。その目には涙と共に寂しさを見えた。


「兵たちに伝えよ。降伏したものは全て受け入れよ。暴行は許さん」


 范蠡はそう命じながら父・鱄設諸せんせつしょのことを思った。父が呉のために死んだ。しかし、その死に彼は納得できなかった。そのために呉を滅ぼそうとここまでやってきた。そして、ついに呉を滅ぼした。


 だが、心の中は虚しさが広がっている。何故だろうか?


 それは自分が何度も呉を滅ぼそうとするために呉に挑む度にそれを跳ね返してくれることを心のどっかで期待していたのだろうか。


「呉は滅んだ。私はどうする」


 自分の復讐を果たした。しかし、それ以上に何か目標のようなものはなかった。また、計算高い自分は越を離れるべきだと告げてもいた。


 そう思っている時、彼の脳裏にある女性の姿が思い浮かんだ。


「ああ、そうか。私は何もしてなかったな」


 彼はそう呟いた。そして、それを行うことも悪くはないと思った。



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