表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
春秋遥かに  作者: 大田牛二
最終章 春秋終幕
538/557

志、果たす時

遅くなりました

 紀元前475年


 春、斉人が魯に来て会見に招いた。

 

 当時、晋では諸卿が政権を争っており、公室の権威が衰えて覇者の地位を失っていた。


 楚も呉、越との戦いで忙しく、中原に進出する余裕はなかった。そこで斉の田恒でんかんは諸侯の盟主となって自分の地位を固めようとしたのである。


 また、晋の趙鞅ちょうおうが世を去ったことも理由であった。

 

 夏、斉と魯が廩丘(斉の邑)で会した。この時、いくつかの小国も参加している。斉、魯と諸侯は鄭のために晋を討伐することを相談した。

 

 諸侯が兵を出したが、鄭は諸侯の出兵を断った。このように諸侯の兵を受け入れれば、晋の攻撃を受けるだろうという思いがあったのだろう。

 

 秋、諸侯は兵を還した。

 

 

 





 呉の公子・慶忌けいき(王子・慶忌。恐らく呉王・りょうの子)がしばしば呉王・夫差ふさを諫めていた。


「政治を改めなければ必ずや呉は亡びます」

 

 しかし夫差は諫言を聞こうとはしなかった。

 

 慶忌は呉都を離れて艾(呉の邑)に住み、機会を見つけて楚に行った。楚の後ろ盾を持って、越と呉に和を結ばせようとしたのである。


 この動きは越の外交を担っている諸稽郢にも伝わった。


「ふむ、中々に厄介だ」


 しかしながら既に楚には働きかけを行っている。


 だが、ちょっとした油断で今までの苦労というものは簡単に泡となって消えてしまうものだ。作ることよりも壊すことの方が物事というものは楽なのだ。


「楚に行くとしますかね」


 彼は楚に向かった。そして、楚に対して以前の約定を念を押し、彼は公子・慶忌にも会った。


「私は越の諸稽郢と申します」


「おお、あなたが」


 公子・慶忌は彼を歓迎し、言った。


「我が国の呉は越に対し、和を請おうとしているのです。しかしながら欲望の塊のような伯嚭はくひがそれを邪魔するのです」


「我々としても越がかつての罪を悔い、自ら越との関係を修復しようと心より思うのであれば、和を結ぶことでしょう。それに置いて、 伯嚭の存在が邪魔となっているのであれば……」


「わかりました。私が伯嚭を始末し、国を正しましょう」


「そうなれば我ら越は呉と和を結ぶことでしょう」


 諸稽郢はこうして、彼からの信頼を受けると楚に対し、彼との協力を結んだふりをすることを請い、呉には間者を派遣し、


「公子・慶忌は越を利用して、自ら王位に即こうとしている」


「伯嚭を殺し、自ら大宰になろうとしている」


 などと噂を流した。


(ここまでやれば良かろう)


 諸稽郢は呉に戻った。


 冬、ついに越王・勾践こうせんは呉を滅ぼすための軍を動かすことにした。このことを知った公子・慶忌けいきは越と講和するために呉に帰った。

 

 公子・慶忌は呉に対して不忠な者を除き、呉の政治を改めてから越と和を結ぼうとしたが、越が侵入したと報告が受けてから彼が戻ってきたため、噂によって疑心暗鬼となっていた夫差は公子・慶忌を殺害した。

 

 彼の死んでも越が呉への侵攻がやめたわけではなく、越は呉に侵入した。


 呉は以前、越との戦いの中で精兵のほとんど失っており、今年までに何度か小規模な侵入と妨害によって、兵を鍛える余裕はなかった。


「王、ここは姑蘇台に篭もりましょう」


 夫差は伯嚭の進言に従って、姑蘇台に篭った。


「楚に援軍を乞え」


 彼は使者を楚に派遣し、援軍を請うた。前年に楚と手を結んだことを期待してのものだった。しかし、楚は援軍を出さなかった。


 越との事前の約定があったためである。

 

 十一月、越が姑蘇台を包囲した。

 

「何故、楚は来ないのだ」


 夫差が憤ったが、何の意味もなく。目の前に越軍が見えるだけである。


「一気に攻め込まないのか?」


 勾践は姑蘇台を眺めながらそう言った。


「ここは慎重に事を行うべきです」


 范蠡はんれいはそう言った。


 彼は呉を滅ぼすために、ここまで慎重に事を進めて来た。それだけに慎重であった。


 かつて呉を滅ぼすため、夫槩ふがいを担ぎ上げた時、流れのままに動いて失敗した。


(あの時のような失敗はしない)


 彼はそう考えてここまで来たのだ。今、こそ自分の志は果たされるのである。


「王様、范蠡様」


 そこに臣下の呉句卑が来た。


「晋の趙氏の臣下が来ています」


「趙氏の臣下……だと?」


 勾践と范蠡は顔を見合わせた。趙氏と言えば、今、長であった趙鞅が世を去り、その息子が喪に服しているはずである。それなのに臣下がここに来るとはどういうことなのか?


「取り敢えず、会いましょう。話はそれからです」


「そうだな。会おうとしよう」










 

 

 

 さて、少し時は遡る。


 晋では趙鞅が死に、趙無恤ちょうむじゅつが跡を継いだばかりであった。

 

 彼は喪食を減らした。喪食というのは喪中の食事のことで、父の喪に服している趙無恤は通常よりも質素な食事をしている。


 今回、呉が越に包囲されたと聞いて、その食事をますます簡単にしたのであうr。

 

 家臣の楚隆が趙無恤に問うた。


「三年の喪は親暱(親子の親密な関係)の極みでございます。主はそれを更に降しましたが(簡素にしましたが)、何のためでしょうか?」

 

 趙無恤はこう答えた。


「黄池の会で先主(趙鞅)と呉王は盟を結び、『好悪を共にする』と誓われた。今、越が呉を包囲したから、嗣子である私は旧業を廃さず共に戦いたいと思っているものの、私の力が及ぶところではない。だから喪食を降したのだ」

 

 楚隆は拝礼し言った。


「もし呉王にそれを伝えることができたら如何でしょうか?」

 

 趙無恤が、


「できるか?」


 と問うと、楚隆は、


「試させてください」


 と言って呉に向かったのである。

 

 楚隆はまず越の陣中に入ってこう言った。


「呉は上国(中原諸国)をしばしば侵してきましたので、貴君が自ら討伐したと聞き、諸夏(中原)の人々は皆喜んでいます。しかし貴君の志が実現しないことを恐れますので、呉に入って様子を探らせてください」


 勾践は眉を潜め、隣の范蠡に肘で軽く突いた。相手の話を信じても良いかということである。


 范蠡は頷いた。彼は目の前の男の態度から決して今回の戦いへの介入ではないと判断した。もし裏切ったとしても対応する準備はしっかりと行う。


 こうして越は楚隆を通した。

 

 彼が呉王・夫差に会うとこう言った。


「我が君(晋君)の老(卿)・無恤が陪臣・隆(私)を派遣し、不恭を謝罪させます。黄池の会で、我が君の先臣・志父(趙鞅)が斎盟を受け、『好悪を共にする』と誓われました。今、貴君は難の中にいます。しかし、無恤には労苦を厭うつもりがないものの、晋の力が及ぶところではございません。よって、陪臣を使ってこれを報告することになりました」

 

 夫差が拝礼稽首して言った。


「私は不才のため、越に仕えることができず(越の対処を誤り)、大夫(趙無恤)の憂いを作ってしまった。あなたの命(言葉)を拝受します」

 

 夫差は一簞(小さい箱)の珠玉を渡して趙無恤に贈るように伝え、こう言った。


「勾践が私を生かせば、憂患となるだけだ。私が良い終わりを迎えることはできないだろう」

 

 ここまでは使者としての楚隆に語ったことである。この後、夫差が個人的に楚隆に問うた。


「『溺れて死ぬ者は必ず笑うものだ』という。一つ質問がある。史黯(史墨。晋の史官。呉の滅亡を予言した)はなぜ君子になれたのだろうか?」

 

 死に臨んだ人は強がって笑うものだから呉王・夫差も滅亡が迫っているにも関わらず、自分の将来とは関係ない質問をしたのであろう。

 

 楚隆が答えた。


「彼は朝廷に進んでも人から嫌悪されることなく、退いても謗りを受けることがなかったのです」

 

 夫差は答えに納得して、


「すばらしい」


 と言った。


 楚隆は呉軍を離れると越軍に戻り、呉の状況を伝えた。そして。晋に戻る時、彼は范蠡に言った。


「我が主よりのお言葉をお伝えします。『此度の絵を描いたこと、感嘆の意を示させていただきます。特に衛での介入の見事さは素晴らしきものでございました。ただ、斉にはお気をつけを』とのことでした」


(趙無恤。侮れない方だ)


 そう思いながら范蠡は拝礼して、答えた。


「お言葉感謝します。代わりと言ってはなんですが、お言葉をお伝えください。『志を継ぐということは大変、難しきことでございますが、礼と信念を全うされますことを願います。また、あなたの敵は私よりも近いところにおりますことをお気をつけを』とお伝えください」


「承知しました」


 楚隆は晋に戻ると趙無恤に范蠡のことを伝えた。


「越の范蠡。見事な人だ」


(敵は近くにいるか……)


 趙無恤は笑った。


「千里先の情勢までも見ておられるのか范蠡という方は」




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ