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春秋遥かに  作者: 大田牛二
最終章 春秋終幕
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仕組まれた戦

 紀元前476年


 范蠡はんれいは衛から越に帰国した。


「どうでしたかな?」


 そう問いかけてきたのは、諸稽郢である。


「まあ衛君のご印象は大変よろしいものでした」


「そうでしたか。では、抜かりはないですかな」


「ええ、きっちりと呉の仕業に見せかけるように細工はしておきました」


 范蠡が衛の出公しゅつこうの帰国を助けたのは、衛に恩義を売ると共に、呉と周辺諸国の関係を良くしないための行動であった。


 越が呉を滅ぼす時まで、他国の介入はしてもらっては困るのである。


「では、私も仕込みを行うために行くとしますかね」


 諸稽郢は首を鳴らしながら言って范蠡の横を通り過ぎようとすると、


「あっそうだ」


 彼は振り返り言った。


計然けいぜん殿が亡くられた」


「そうですか。お身体が優れないことは聞いておりましたが……」


 范蠡は計然が尊敬のできる人であっただけに彼の死を悲しんだ。


「残念だ。本当にね。ただ、彼は幸運だったかもしれないね」


「どういう意味ですか?」


 諸稽郢に問うと、彼は笑って言った。


「范蠡殿もお分かりでしょうに……人が最も運が必要なことにおいて、計然殿は運が良かったということですよ」


 彼の言葉に范蠡は無言であった。


「ふふ、死時というものは運が必要です。そうは思いませんかね。計然殿は良い時に亡くられた」


 諸稽郢はひらひらと手を振りながら去っていった。


(確かに計然殿は幸せかもしれんな)


 范蠡はそう思いながら歩き出した。











 諸稽郢は楚に向かった。


「おお、良くいらした」


 彼を出迎えたのは、越との外交を担っている申包胥しんほうしょである。


「今宵はどのような用事でしょうかな?」


「実はですなあ」


 諸稽郢は勿体ぶるように言った。


「我が国と戦をしませんか」


「はあ?」


 申包胥は思わず、驚きの声を上げた。楚と越は婚姻も結んでいる友好国であり、このような場で言うようなことでもない。


「それは宣戦布告ということでよろしいですかね」


「いえいえ、確かに戦はしますが本気でやるわけではございません」


 諸稽郢は肩をすくませ言う。


「我らは来年にでも呉を滅ぼしたいと考えております」


「ふむ」


 彼の言葉に申包胥は目を細める。もうだいぶ昔のように感じる呉との死闘を思い出したのである。


(あの頃にいた者もほとんどいなくなってしまった。友であった伍子胥ごししょも含めて……)


 伍子胥が今の呉王に殺されたと聞いた時は驚き、悲しんだものである。


(生きているのは私や越の重臣となっている范蠡ぐらいなものだ)


 そう思えば、皮肉なものである。


「つまり、越は呉の警戒心を逸らすために我らを攻めたいということか」


「ええ、左様でございます。もしこれを受け入れていただければ」


 諸稽郢は持っていた地図を広げ指を刺した。


「このあたりの土地と住民を楚に譲りましょう」


「悪くないが、このぐらいで呉が警戒心を解くだろうか?」


 申包胥は楚に軍を向けたぐらいで、呉が警戒心を解くとは思わなかった。


「確かにそのとおりでございます。ですので、戦の後にやってもらいたいことがあるのです」


「まだあるのか。なんだ?」


「呉と結んで頂きたいのです」


 またしても申包胥は驚いた。


「呉とだと、汝らは呉を滅ぼすのではないのか?」


 呉を滅ぼそうというのに、その呉と結べとはあまりにも矛盾した理屈である。


「ええ、滅ぼします。これもそのための策でございます」


 諸稽郢は真面目な表情をしながら言った。


「我らが攻めた後に楚は呉と好を結んでいただきたい。呉は楚と結んだことで安心することでしょう。そして、我らが呉に侵攻すると呉は楚を頼ることになりましょう。その時に楚が断って頂ければ良いのです」


「その時に我らが本当に介入しないと言い切れるか?」


 あまりにも越の方に利益がある。それを黙っているほど楚は甘くない。


「それは困りますねぇ。どうしてもそこは受け入れていただきたいのですがね」


 両者、向かい合う。しばらくして申包胥はため息をついた。


「良かろう。我らはそれに従うことにしよう」


「感謝します」


 春、越が予定通り、楚を攻撃した。

 

 夏、楚の公子・けい公孫寬こうそんかんが越軍を撃退するために冥(越地)まで来たが、彼らが来る前に越軍は既に撤退し、追いつかなかったため楚軍も引き上げた。

 

 秋、楚の葉公・沈諸梁が東夷へ越の進攻に対する報復として侵攻した。

 

 三夷(越に従っていた夷のうち三つの族)の男女が敖(東夷の地)で楚と盟を結んだ。


 楚は越との打ち合わせ通り、呉と関係を結ぶことにした。


 申包胥は呉に向かった。そして、呉王・夫差ふさに謁見した。


「越の暴虐は底なしでございます。きっと楚へも牙を向けることでしょう」


「ええ、我らも越の横暴には気を揉んでおります。我ら両国は協力し、越に対抗しなければなりません」


「そのとおりである」


 夫差は大いに彼を歓迎し、もてなした。これによって楚と呉は関係修復を図られた。


「あれが伍子胥を殺した男か」


 夫差がもっと早く越に対処していれば、このような状況にはなっていなかっただろう。


(越に協力するということは、伍子胥の仇を取ることにもなるのか)


 かつて友でありながら対立することになったというのに……


「世の中というものはおかしなものだ」





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