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春秋遥かに  作者: 大田牛二
最終章 春秋終幕
534/557

衛を巡って

大変遅れました。

 魯の哀公あいこうと斉の平公へいこうと蒙で盟を結んだ。魯の仲孫彘が相(国君の補佐)を勤める。

 

 平公が稽首した時、哀公は拝礼を返した。稽首は跪いて頭を下げるが、拝礼は腰を曲げて頭を下げるだけである。斉人が怒ると仲孫彘が言った。


「天子でなければ我が君は稽首しないのです」

 

 仲孫彘が高柴(子羔。季羔)に問うた。


「諸侯の盟では誰が牛耳を執るべきだろうか」

 

 高柴はこう答えた。


「鄫衍の役(会盟の詳細は不明)では呉の公子・姑曹が牛耳を執り、発陽の役(鄖の会盟)では衛の石魋(卿)が牛耳を執りました」

 

 仲孫彘は頷き、


「それなら今回は私である」


 と言った。

 

 会盟で犠牲の牛耳を執るというのは、会盟を主宰するという意味であるが、実際に牛耳を切るのは盟主ではなく小国の役目である。


 小国の卿大夫が盟主を補佐して牛耳を切りとることになっていた。

 

 鄫衍では魯と呉が盟を結んだが、大国の呉が牛耳を執ったというのは、礼から外れたことであり、発陽では魯・衛・宋が盟を結んだ。その時に衛の卿が牛耳を執ったため、衛は盟主ではなかった。


 仲孫彘は魯が小国であることから、今回の会盟では自分が牛耳を執ると言ったのである。

 

 

 







 宋の右師・皇瑗の子・麇には田丙という友がいた。


 麇は自分の兄・酁般(または「劖般」。般が名で、酁は宋の邑名)の邑を奪って田丙に与えた。

 

 怒った酁般は桓司馬(向魋)の臣・子儀克に話した。子儀克は向魋の乱に参加しようとせず、宋の郊外に留まっていた。

 

 子儀克は宋都に入り、夫人(景公の母)に言った。


「麇が桓氏(向魋)を国に入れようとしております」

 

 これを聞いた景公は驚き、皇野(子仲)に意見を求めた。

 

 以前、皇野は杞姒(皇野の妻)が産んだ子・非我を嫡子に立てようとしていたのだが、


「伯(年長者。非我の兄)を立てるべきです。彼は良材です」


 と、麇が言って反対した。皇野は麇の忠告を無視し、自分に反対した麇を憎むようになっていた。

 

 そのため、景公に意見を求められた皇野はこう答えた。


「右師は既に年老いておりますが、麇は分かりません」


 右師である皇瑗は老齢であるため、乱を起こすことはないが、若い麇にはその恐れがあると彼は言ったのである。

 

 景公は麇を捕えた。

 

 息子が捕らえられたことを知った皇瑗は恐れて晋に奔ったが、景公に呼び戻された。

 

 紀元前477年


 春、宋は戻ってきた皇瑗を殺した。

 

 景公は後に皇瑗と麇の冤罪を知り、皇氏の家系を回復させて皇緩(皇瑗の従子、または従孫)を右師に任命した。

 

 

 




 巴が楚を攻撃して鄾を包囲した。

 

 以前、楚の子国しこく(令尹・公孫寧)が令尹になる前に、右司馬に任命することを卜った。観瞻かんせんが、


「志(希望)にかなっています」


 と言ったため、楚は子国を右司馬に任命した。

 

 巴軍が楚を攻めた時、誰を将帥にするか卜おうとしたが、恵王けいおうが言った。


「寧が既に志にかなっているのだ。何を卜うというのか」

 

 恵王は子国に兵を率いさせることにした(この時は令尹になっている)。子国が補佐の将を任命するように求めると、恵王は、


「寝尹(呉由于)と工尹(薳固)は先君によく勤めた者たちだ」


 と言った。

 

 寝尹は柏挙の役の後に昭王しょうおうを助けて負傷した王孫由于である。工尹は象の尾に火をつけて昭王を逃がした鍼尹・固である。この時は工尹になっていた。

 

 三月、楚の公孫寧と呉由于、薳固(まったは「屈固」)が鄾で巴軍を破った。

 

 恵王はこの功績を称え、子国を析に封じた。

 







 この頃、趙鞅ちょうおうは衛の石圃せきほ(または「石曼尃」)に対し、圧力をかけていた。彼は衛の荘公そうこうを追い出した張本人である。彼が荘公を追い出す上で、晋の力を借りていたが、斉の侵攻を受けるや斉に従った。


 その背信行為を趙鞅は許さなかった。


 石圃は恐怖し、彼は晋に従うということを伝えた。そして、石圃は国君・を駆逐した。


「良し、前回のように斉が軍事行動を見せれば、また斉に従うかもしれん」


 趙鞅はそう言って、軍を動かそうとした。


 衛君・起は斉に出奔し、彼の報告から裏で晋の趙鞅が動いていると察知した田恒でんかんは衛に軍を出し、再び起を国君に据えようとしたが、その時、


「報告します」


 伝令が駆けつけ、田恒は報告を聞くと、驚いた。


「どういうことか」


 彼が先ず頭に浮かんだのは、趙鞅の謀略であるということである。


 しかし、彼の予想は外れていた。なぜならば、趙鞅も同じ報告を受け、驚愕していたからである。


「なんだと、何故、既にいるのだ……」


(田恒の策か?)


 趙鞅はそう思ったが、直ぐにその考えを否定した。


「それはないはずだ」


 なぜならば、もしそうであるのならば起など立てる必要がなかったはずだからである。


 趙鞅も田恒もどちらもこの状況を完全には理解できなかった。


 二人がそれほど驚いたというのは、衛君・輒こと衛の出公しゅつこうが斉から戻って復位したのである。


 あまりにも早くやってきた出公に驚くばかりの石圃は、晋につながり国を売ろうとしたとして、追放処分を受けた。


 さらに、荘公に廃されて出奔していた石魋と太叔遺が呼び戻され、元の官職が与え、自分に従ってくれていたものにも褒美を与えた。


「いやはや、あなたのおかげでこうして復位できた。あなたがこの状況になることを話してくだされなければ、きっと私は復位できなかったことでしょう」


 出公はある男のそう言った。出公は斉で無為の暮らしを送っていたが、ある時、男がやってきて今の衛がどうなっているかを色々話してくれていたのである。


「いえ、全てはあなた様の仁徳がなさられたことでございます」


 男は拝礼してそういうものの、出公は喜びを隠さなかった。


「いや、あなたのおかげだ。今後もあなたの国とは好を結びたいものです。ねぇ范蠡はんれい殿」


 范蠡は再び拝礼し、


「誠に左様でございます」


 と言った。

 

 

 




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