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春秋遥かに  作者: 大田牛二
最終章 春秋終幕
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陳滅亡

 晋の趙鞅ちょうおうは衛の荘公そうこうが即位したことを知ると衛に使者を送ってこう伝えた。


「衛君が晋にいた時は、志父(趙鞅の別名)が主でございました。貴君の太子が朝聘のため晋に参られれば、志父は我が君の譴責から免れることができるでしょう。もしも来なければ、我が君は志父がそうさせている(趙鞅が衛に入朝をさせないでいる)と譴責することでしょう」


 恩義があるのだから来いということである。


「衛君は来るだろうか?」


 趙鞅は趙無恤ちょうむじゅつに問うた。彼は傍にいる趙伯魯ちょうはくろを見た。しかし、趙伯魯は首を振った。


 それを見て、趙鞅はため息をついた。


「無恤よ。私はお前に聞いている」


「はい……恐らく衛君は断ると思われます。ただ……」


「ただ?」


「父上を利用しようとする者がいると思われます」


 彼の答えに趙鞅は不敵な笑みを浮かべた。

 

 趙無恤の予想通り、荘公は国内が安定していないことを理由に晋への朝聘を拒否した。一方で、太子・しつが晋の使者の前で荘公の欠点を訴えた。

 

「お前の言う私を利用しようとするのは太子か」


「どうなさいますか?」


「行くとしよう」

 

 六月、趙鞅は軍を動かし、衛を包囲した。


 趙無恤にも一軍が任された。


「兄上」


 趙伯魯を趙無恤は呼ぶが、趙伯魯は答えようとしなかった。


「伯魯」


 趙無恤は悲しそうな表情を浮かべながら、言った。すると、趙伯魯は彼の方を向き答えた。


「何でしょうか?」


 敬愛すべき兄を兄と言えず、臣下として扱わねばならない。


(これが家を継ぐということなのか)


 何故、父が自分を選んだのかがわからないだけに彼の苦悩は大きかった。


「軍の状況はどうでしょうか?」


「特に問題はありません。いつでも戦闘を行える準備ができています」


 趙伯魯は淡々と軍の状況を述べた。


「そうですか……」


(恐らくは戦闘するこはない)


 趙無恤はそう考えていた。なぜならば、荘公の夫人は斉女だからである。斉の横槍が入ると考えていたのである。


 彼の予想通り、斉の国観こくかん国書こくしょの子)と陳瓘ちんかん(子玉)が衛を援けるため、軍を率いてやって来た。


 趙鞅は比較的戦闘を行わないように軍を動かしたが、晋の致師の者(会戦の前に単車で敵陣に挑戦する勇士)が斉軍に捕えられてしまった。


「斉はどうするでしょうか?」


 趙伯魯が趙無恤に問うた。


「恐らく、致師は解放されると思われます」


「何故でしょうか?」


「斉とて、下手にことを構えたくはないということです」

 

 陳瓘は捕らえた捕虜(勇士)に服を返して、囚人の服から元の服に換えさせた後、接見して言った。


「国子が斉柄(斉の政権)を掌握し、私にこう命じた『晋師を避けてはならない』誰が命を廃すことができるだろうか。汝を煩わせる必要はない(致師の必要はない。我々が自ら戦いに赴く)」

 

 陳瓘は捕虜を釈放した。

 

 趙鞅は帰還した勇士の報告を聞くと面白いと感じた。


(せっかくだ。戦っても良かろう)


 彼はそう思いつつも趙無恤に意見を問うた。


「斉と事を構えるべきではないと思います。下手に事を構えると予想以上の規模の戦になりかねません。それにこの戦で利を得るのは、父上を利用しようとした者しかおりません」


「衛の討伐は卜ったが、斉との戦いはまだ卜っていないからな。退くとしよう」

 

 晋軍は撤兵した。

 

 

 









 楚で白公・しょうが乱を起こした時、陳は自国に食糧や物資の蓄えがあったため、楚を侵した。しかし、楚はすぐに乱を平定して国を安定させた。そこで楚の恵王けいおうは陳を攻めて麦を奪うことにした。

 

 恵王が大師(太師)・子穀しこくと葉公・子高しこう(沈諸梁)に意見を求めると、子穀は、


「右領・差車さしゃと左史・ろうはいずれも令尹(子西しせい)と司馬(子期しき)を援けて陳討伐に参加してきました。任務を任せることができましょう」


 と二人を推薦したが、子高が反対した。


「将帥が賎(賎しい者)なら、民(兵)が怠慢となり、その命を聞かなくなる恐れがございます」


 推薦された二人は過去に捕虜になったことがあった。そのため兵に舐められる危険性があるとしたのである。

 

 子穀はむっとして言った。


観丁父かんていほも鄀の捕虜になったことがありますが、武王ぶおう(楚の武王)が彼に軍を率いさせたおかげで、州と蓼を占領し、隨と唐を服従させ、大いに群蛮の地を開くことができたのです。彭仲爽ほうちゅうそうも申の捕虜になったことがありましたが、文王ぶんおう(楚の文王)が彼を令尹に命じたおかげで、申と息を滅ぼして県を置き、陳と蔡を朝見させ、封畛(封疆。国土)が汝水に至ったのです。任務を全うできるかどうかだけが重要であって。賎かどうかは関係ありません」

 

 またしても子高が反対した。


「天命を疑うことはできません。令尹(子西)は陳に対して怨みを持っておりました」


 二年前に子西が呉を攻めた時のことである。その際に陳は呉を慰労した。これが原因で子西は陳を憎んでいた。


「もしも天が陳を亡ぼそうとしているというのであれば、令尹の子に天の保護が与えられていることでしょう。国君はなぜ彼を選ばないのでしょうか。私は右領と左史に二俘の賎(二人が捕虜になった賎しい過去)だけがあり、令徳(美徳)が無いことを畏れております。観丁父と彭仲爽も捕虜になりましたが、美徳があったから成功したのです」

 

 恵王が卜うと、武城尹(公孫朝こうそんちょう。子西の子)が吉と出た。

 

 結果、公孫朝が陳の麦を奪うために出征することになった。

 

 楚の出兵を知った陳は兵を出して抵抗したが、敗戦した。楚軍はその勢いのまま陳を包囲します。

 

 七月、楚の公孫朝が陳を滅ぼした。陳の最後の国君は閔公びんこうである。

 








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