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春秋遥かに  作者: 大田牛二
最終章 春秋終幕
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趙氏の後継者

「父上、父上お願いがあります」


 趙鞅ちょうおうが自室で書物を読んでいる時、扉の外から若い男の声が聞こえてきた。


(またか……)


 彼はうんざりした表情で、入れと言った。


 入ってきたのは息子の趙伯魯ちょうはくろである。


「父上、お願いがあります」


「わかっとる。何度も聞いた」


「ならば」


「これも何度も言っている。ならん」


「父上、無恤むじゅつを後継になさるべきなのです。無恤の才覚も天命もご存じのはずです」


 趙伯魯の言葉に趙鞅は嫌な顔をした。











 晋の頃公けいこうの頃、趙鞅が病にかかり、五日間も意識を失っていたことがあった。


「主君は大丈夫だろうか」


「最悪は、伯魯はくろ様をお立てになるしかあるまいなあ」


 と、大夫達は皆、心配した。董安于とうあんうが急いで名医・扁鵲へんじゃくを急いで呼んだ。


 彼が趙鞅の病を視てから病室を出てくると、董安于は趙鞅の容体を問うた。扁鵲は言った。


「血脉は治まっております。心配することはないでしょう。昔、秦の穆公ぼくこうもこうなりましたが、七日後に目が覚められました。目が覚めた日、穆公は公孫枝こうそんし(子桑)と子輿しよ(どちらも秦の大夫)にこう言ったそうです。『私は帝(天帝)の所に行った。とても楽しかった。滞在が長引いたのは教えを受けたからである。帝は私に「やがて晋が大いに乱れ、五世に渡って不安定になる。その後、霸を称えるが、老いる前に死ぬだろう霸者の子(文公ぶんこうの子・襄公じょうこう)は暫く汝の国に令を出すが、男女の別がなくなる」と言った』公孫枝は穆公の言葉を記録して保管しました。こうして秦讖(秦の予言)が世に出たのです。その後、晋の献公けんこうが乱し、文公が霸を称え、襄公が秦軍を殽で破り、帰国してから縦淫になったことは、あなたも知っておられるでしょう。お父上の病も同じようなものですので、三日も経たずに快癒し、快癒したら言葉があるでしょう」

 

 果たして二日半後に趙鞅は目を覚ました。

 

 彼が皆に言った。


「私は帝の所に行った。とても楽しい所で、百神と鈞天(天の中央)で遊んだ。九奏万舞(九曲の歌と各種の舞)が披露されたが、三代(夏・商・周)の音楽とは異なり、その声は人心を動かされるほど素晴らしく。一頭の熊が私を捕まえようとしたため、帝は私に矢を射るように命じた。矢は熊に命中し、熊は死んだ。今度は一頭のヒグマが来たため、また矢を射た。矢は羆にも命中し、羆も死んだ。とても喜んだ帝は私に二笥(二つの箱)を下賜した。それぞれに副(小箱)が配され、私は一人の児童が帝の側にいるのを見た。帝は私に一頭の翟犬を下賜されて言った。『汝の子が壮年になれば、これを与えよ』と、また、帝は私にこう告げた『晋は代々衰弱し、七世で滅亡する(晋の頃公けいこうの次の定公ていこうから数え、出公しゅつこう哀公あいこう幽公ゆうこう烈公れつこう孝公こうこう静公せいこうで七世になる。静公の時代に滅ぶ)。嬴姓の者(趙)が周人(衛)を范魁(恐らく趙の地)の西で大いに破るが、その地を領有することはできないだろう。私は舜の勲功を想い、その時になったら胄女(子孫の娘)である孟姚もうよう(孟は字。姚が姓。娃嬴。呉広の娘)を七世の孫(趙の武霊王ぶれいおう)に嫁がせよう。』」

 

 董安于はこの内容を記録して保管し、扁鵲の言を父に教えた。趙鞅は扁鵲に四万畒の田地を与えたが、内心では、不快な気持ちが出た。


 夢で帝が言った『汝の子が壮年になった時にこれを与えよ』という言葉である。


(我が子で壮年になっていない者と言えば……無恤か)


 顔と身分に似合わない才がある。それが趙鞅の趙無恤への評価である。しかし、趙無恤は才覚があるものの、それに見合うだけの行動力というものがなく、常に人よりも一歩、二歩後ろをある男で、気が弱い。趙鞅からすると見てて苛々する相手であった。


(才覚とは行動によって裏付けられるものだ)


 趙鞅はそう思うだけに趙無恤に対し、高い評価を与えていなかった。だが、ここに来て趙無恤を後継にするべきというような天啓に近いものが現れた。


(末子を下手に後継にすれば家が割れる)


 長子である趙伯魯は真面目で実直な人物である。彼を押しのけてまで、趙無恤を後継にすることは意味がないように思えた。

 

 後日、彼が外出するとある男が道を塞いだ。従者が追い払おうとしても動こうとせず、従者が怒って武器を向けると、道を塞いだ男が、


「主君に謁見したい」


 と言った。仕方なく従者が趙鞅に伝えると、彼は男を招いた。そして、顔を見ると驚いた。


「私は汝をはっきり見たことがある」

 

 男は言った。


「左右の者を退けてください。お伝えしたいことがございます」

 

 趙鞅は目配せし、人払いをすると男が言った。


「主君が疾の時、臣は帝の側におりました」

 

「そうだ。確かにいた。あなたはなぜ私に会いに来たのか?」

 

 男が言った。


「帝が主君に熊と羆を射させ、両方とも死にました」

 

「その通りだ。あれはどういう意味だ?」

 

「晋は大難に襲われ、主君が禍の筆頭となります。しかし帝は主君に二卿を滅ぼさせることになります。熊と羆は二卿の祖にあたるのです」

 

 この二卿とは范氏と中行氏を指すことは後にわかったことである。

 

 趙鞅が問うた。


「帝は私に二笥を下賜し、それぞれに副が配されていた。それは何故だろうか?」

 

 男は答えた。


「主君の御子息は将来、翟で二国に勝ちます。どちらも子姓です」

 

(子姓……二笥の副というのは子を表しているのだな)

 

 趙鞅はまたしても問うた。


「私は一人の児童が帝の側にいるのを見た。また、帝は私に一頭の翟犬を与えて『汝の子が成長したら与えよ』と命じられた。翟犬を子に与えるというのは、どういう意味だろうか?」

 

「児童は主君の御子息です。翟犬は代の祖先でございます。主君の御子息は必ずや、代を領有することになります。また、主君の後嗣(後代)は政治を改革して胡服(異民族の服)を身に着け、翟で二国を併合しょう」

 

(胡服はともかく、代をか……)

 

 趙鞅が男に姓を訪ねて官爵を与えようとしたが、男は、


「私は野人に過ぎません。帝の命を告げに来ただけです」


 と言って姿を消した。


「これから私の言ったことを記録せよ」

 

 趙鞅はこれを記録させて、府庫にしまった。







 それを趙伯魯が見つけてしまった。彼は弟の趙無恤のことだと思い、それからというもの彼は趙無恤を後継に選ぶべきであると父に迫っていた。


「父上、姑布子卿(姑布が姓、子卿は字)様がお会いになった時のこともあります。どうか、ご決断ください」


 趙鞅が病から回復してからしばらくして、姑布子卿という者が趙鞅に会いに来た。趙鞅は彼を歓迎し、諸子(子供達)を呼んで、人相見の達人である彼に会わせた。だが子卿は、


「この中に将軍となる者はいませんなあ」


 と言った。趙鞅は内心では、不快に思いながらもが問うた。


「趙氏は滅ぶのだろうか?」

 

 すると子卿は言った。


「私が来る途中、道で一人の子に会いました。主君の御子息ではありませんか?」

 

 趙鞅はこの場に読んでいなかった子の趙無恤を仕方なく呼んだ。

 

 彼が来ると子卿が立って言った。


「彼こそ真の将軍になりましょう」

 

 趙鞅はその言葉に益々顔を険しくさせて言った。


「彼の母は賎しい翟婢である。貴人になれるというのか?」

 

 子卿が言った。


「天が授けたのです。たとえ賤しくても貴人になれましょう」

 

 そのようなことがあっても趙鞅は趙無恤への態度を軟化させることはなかった。


「あの者を招いたのは、お前ではないのか?」


 趙鞅は人相見である子卿が来たこと自体が不可解であった。そのため趙伯魯が呼んだのではないかと考えていた。


「父上、そのようなことはどうでも良いのです。無恤には才覚があり、天命を受けているということが大事なのです」


「お前は何故、自分が与えられようという地位を捨てるような真似をする」


 確かに趙伯魯は長子であり、能力としても申し分ない。何も言わずとも家を継ぐことができる立場にある。


「父上、今は乱世でございます。ただ趙氏を保つだけであるならば、私でもよろしいかと思います。しかし、趙氏が危機に直面した時、それを打開し趙氏を発展させることができる者は無恤しかおりません」


 趙鞅は彼の言葉を聞いてしばらく黙った。


「何故、お前はそこまで無恤を信じることができる」


「自慢の弟だからです」


 趙伯魯の言葉に趙鞅はため息をつき言った。


「私は未だ無恤の才覚の本質まで見抜くことができていない。やつの才覚をしっかりと確認したい。それを持って後継とするかどうかを決める」


「父上のご納得できるやり方で構いません。しかし、必ずや無恤は期待に答えましょう」


「ふん、どうかな」


 趙鞅は手で部屋を出るよう指示すると、趙伯魯は部屋を出た。


「自慢の弟か……」








 

 趙鞅は常山の近くに諸子たちを集めた。そこには珍しく趙無恤がいた。彼は大好きな兄である趙伯魯の元に近づき言った。


「父上は皆を集めどうなさるのでしょうか」


「見ていればわかる」


 趙伯魯はそう答えるだけであった。


 皆が集まったことを確認した趙鞅は、常山を指差し言った。


「私は宝符を常山の上に隠した。先に得た者に賞を与えるとしよう。さあ行け」

 

 諸子たちは常山を駆け登った。しかし、誰も見つけることができていなかった。


「無恤。父上の宝符が何かわかったか?」


 趙伯魯が問うと、趙無恤は恥ずかしそうにしながらも言った。


「正解かどうかはわかりませんが、わかりました」


 そう言った彼を趙伯魯は微笑みながら言った。


「自信を持って、父上にお伝え致せ、きっと正解だ。父上はきっとお前を認めてくれるだろう」


「そうでしょうか」


「そうだとも、さあ私のことは気にせず父上の元に行きなさい」


「はい」


 趙無恤は常山を駆け下りた。


「父上、宝符を見つけました」

 

 趙鞅が、


「言ってみろ」


 と言うと、趙無恤は答えた。


「常山の上から代に臨み、代を取ることができると分かりました」


「そうか」


 趙鞅は彼の答えにそれだけ言うと常山に登った子供たちを呼び戻すように言ってからさっさと帰っていった。


「兄上、父上を怒らせてしまったでしょうか?」


「いや、そんなことは無いさ」


 その数日後、趙鞅は臣下を始め、趙伯魯や趙無恤と言った子供たちも集められていた。


「我々を集めてどうなさるのか」


「うむ、何か特別なことでも決めるのだろうか?」


 臣下たちは集められた理由がわからないまま、話していると、趙鞅が現れた。そして、こう言った。


「趙氏の後継を趙無恤とする。以上」


 趙鞅はさっさと立ち去った。


 その場には唖然とした表情で、固まる臣下と趙鞅の子供たちだけが残された。特に後継者に任命された趙無恤は大いに混乱していた。


 そんな彼の手を趙伯魯は手に取ると臣下たちの前に出て、趙無恤を立たせたまま、自分は拝礼し言った。


「臣・伯魯。趙氏の後継に選ばれました無恤様に拝礼致します」


 趙伯魯がそう言うと臣下たちも続けて、拝礼した。一番、この決定に不満を持つだろう趙伯魯の態度によって臣下たちからは反対に声が上がらなかった。


 この状況に趙無恤はただただ驚くばかりであった。

















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