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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第二章 覇者の時代へ
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乾時の戦い

「此度の責任を如何にして取られるのか」


 魯の宮中に群臣たちの怒号が響く。斉に向かっていた魯軍は斉に公子・小白しょうはくが即位したことを知り、魯に退いていた。


「此度の責任は全て私の責任でございます。罰は如何ようにも」


 管仲かんちゅうは何の感情を込めずに言う。


「お前一人の責任でどうにかなるものでは無いことを貴様は理解しているのか」


 慶父けいほが管仲に対し、指を指し怒鳴る。


「この者を直ぐ様、処刑するべきです」


 彼は魯の荘公そうこうに向かって進言する。


「待たれよ」


 臧孫達ぞうそんたつがそんな慶父を止める。


「今はそのようなことよりもこの後、斉に対し我が国はどうするのかが重要である」


 臧孫達は斉に新君が立った以上、これとどう付き合うかを考えるべきとした。


「そのようなこと決まっておる」


 だが、慶父は感情のまま、荘公に向かって進言する。


「斉を攻めるべきです。こちらには公子・きゅうが居ります。彼を擁して斉を攻めましょうぞ」


 確かにこちらは公子・糾を擁してはいるが斉には既に正式に即位した公子。小白がいる。


「否、我らは斉と和睦し、関係修復を図るべきです」


 臧孫達はこれ以上、斉に関わることを良しとはしない。


「それは我らを見捨てるということでしょうか」


 臧孫達はそう主張するのを召忽しょうこつが嫌な顔をして反論する。関係修復を行う上で斉にいる公子・小白は公子・糾の首を要求するだろう。公子・糾を命を賭けて守ろうとする彼としてはそれは避けたい。


「そのようなことは言ってはおらぬ」


 心外とばかりに臧孫達は答える。


「されど……管仲殿も何か言われよ」


 召忽は管仲も反論するよう促すが彼は首を横に振る。


「今は魯側の方針に従う他ありません」


 変にここで意見を述べて相手に悪印象を与えるべきではないということである。


「しかし……わかった」


 彼の言葉を受け、召忽は退いた。彼とてわかっているのである。この状況で何を言おうとも状況は好転しないのだ。


「して、如何なさいますか」


「うむ」


 荘公は悩みだした。斉では正式に公子・小白が即位したがこちらは公子・糾を擁している。そのため公子・糾を擁して斉を攻め彼を即位させるということもできる。しかし、斉での混乱が静まったのにも関わらず、斉を攻めるのはどうなのか。


(だがあの斉の先君がやっと死んでくれた。これから公子・糾を擁立して斉を得ようと考えていたのだが……)


 魯の荘公は若い。そのため野心も彼にはある。その野心が簡単にこのまま引き下がるのを良しとはしなかった。それに魯は最近の戦では負け無しである。


「斉を攻める」


 荘公は宣言した。


「どうかご再考を……」


「直ぐ様準備しましょう」


 慶父が臧孫達の言葉を遮って言い、軍の準備を始めた。それを臧孫達は苦々しく見つめる。


「これで何とか我らが戦で功を立てればお前の罪は許されるだろう」


 召忽は笑みを管仲に向けて言った。魯が斉と戦ってくれることは、状況を好転させる一手になりうるからである。


(優しい人だな)


 召忽のことをそう思いながらも管仲は言う。


「糾様が無事ならば私はどうなろうとも構いません。しかし、この戦は勝つのは難しいと思います」


「そうだろうか」


「えぇ。特に今の魯軍では少なくとも勝機は無いでしょう」


 斉は公子・小白が即位し、鮑叔ほうしゅく高傒こうけいが補佐をしている。そんな斉には隙が無い。


(そして。問題なのは糾様を擁して進軍した以上は公子・小白は糾様を許すことは無いだろう)


 魯で大人しくしていれば公子・小白も公子・糾をどうこうしようとはしないだろうが戦を仕掛け、もし斉が魯に勝てば斉は魯に対し糾の死を要求するだろう。


 兄弟であろうとも歯向かうのであれば、殺すのは当たり前のことなのだ。


 つまりこの戦に勝たなければならなくなるが今の魯が斉に勝てるかと言うと難しいとしか言えない。


「それでも糾様に仕えている以上勝たなければならない」


 召忽は管仲の言葉に対し毅然とした態度で言う。


(強い人だ)


 管仲にはその強さが羨ましかった。


 八月、魯は斉へ進軍を始めた。















「魯がこちらに進軍を開始したようです」


「そうか」


 小白は玉座でその報告を聞く。


「このまま魯が進軍を続けると乾時の地に至ります」


 鮑叔が地図を示しながら言う。


「良し。ならばそこで魯と戦おう。高傒。戦の準備を」


「既に命じてやらせています」


「ならば良い」


 彼は玉座から立ち上がり大夫たちに命じる。


「斉は先君が亡くなられて以来。混乱が起き、不徳ながらも私が後を継ぎ、即位した。されど魯は斉と同盟国でありながら、斉の混乱を治めるのに協力するわけでも無く。挙句にはこの混乱に乗じ、この地に再び乱を起こそうとしている。これを許しても良いのか。否、断じて許してはならない。必ずや魯に勝つぞ」


 大夫たちは一斉に敬礼する。


 斉軍は小白、自ら率いて、鮑叔、高傒が補佐をしながら斉も進軍した。


 斉と魯は乾時の地で対峙した。


 先に仕掛けたのは魯の左側にいる慶父である。彼は自ら矛を振るい、斉軍に対し、武勇を示す。


 これに対するのは高傒である。彼は慶父の猛攻を耐えながら徐々に後ろに下がっていく。


 それに合わせ、右側にいる召忽は糾に前進することを進言した。糾はその進言を入れ、軍を前進させる。


 魯の両側が前進する中、小白が必死に太鼓を鳴らしながら魯の猛攻に耐える。


「どうした斉の弱兵共」


 慶父が矛を振りながら叫びながら、攻め上がる。それに合わせ公子・糾も更に前進していく。


 それを管仲は目を細める。、


(前に出すぎている)


 彼は余りにも魯軍優勢の状況に違和感を覚えた。


「糾様と召忽に使者を出せ、一旦後退されたしと」


「はっ」


 使者は公子・糾と召忽の元に走った。
















 慶父が前進を続ける中、側面から斉の伏兵が現れ彼に襲いかかった。


「なんだと」


 慶父はこれに驚き、対応に追われたため後退することができない。


 公子・糾と召忽の軍は管仲からの使者のおかげで一旦退くことができたが斉の伏兵の攻撃に耐える。


「一気に前進しましょう」


 それを見て鮑叔は進言する。


「おぉよ。全軍前進」


 斉は一斉に魯に襲いかかった。


 魯はこれにより大崩れになりだした。
















「管仲。如何にする」


 公子・糾は大崩れになり始めた魯軍を見て、縋るように管仲に言った。


「この戦を覆すのは難しいかと今は一先ず後退を」


 それに対し、管仲は淡々と答える。


「しかし、管仲殿」


 召忽はそんな管仲に反論しようとするが、管仲は反論を聞かず彼を見て、


「召忽殿は糾様を守ってください」


 管仲はそう言って、配下の者と共に前線に出て斉軍を防ぐため、前進した。


 一方、大崩れになってしまったため、逃げ回っていた荘公は御者と車右の秦子しんし梁子りょうしにより、戎路(戦車)から下ろされた。


「君よこちらに御乗りよ」


 梁子は軽車(副車)を用意して、荘公を乗せる。


「お前たちはどうするのだ」


「我らは斉軍を防ぎまする」


 秦子が荘公にそう言った。


「死んではならんぞ」


「君を行かせよ」


 荘公の言葉を無視して秦子と梁子は御者に命じて、荘公を戦場から脱出させる。彼らはその後小道のいたるところに荘公の旗を置くことによって、斉軍を惑わせた。その結果、荘公は無事、戦場から脱出した。


 だが、二人は捕虜となった。














 斉軍を防ぐ中、管仲は最早、魯の勝利は無いと考えていたが、急に目の前に小白の姿が見えた。


 (公子・小白か)


 小白は自ら指揮を取っていた。その姿は勇ましく新たな時代の盟主の姿そのものであった。


(小白には天命がある)


 管仲はそう感じずにはいられない。


「そして、私には天命が無い」


 彼は弓を構え、矢を引くと小白に矢を放った。


「うん、あれは」


 鮑叔は目を細める。


(管仲か)


 管仲の姿に気づいた彼は彼の手に弓を持って、小白を狙っていた。


「主よ頭を下げられよ」


 彼は目をぱっと開き、叫んだ。


 この声に小白が気づいた時、矢が彼に迫っていた。小白は直ぐ様身を屈める。矢は小白の冠を掠ったまま通り過ぎた。


「やつを狙え」


 怒りを表わにしながら小白は兵に命じ管仲を襲わせる。


(やはり天命は私には無いか)


 管仲は自嘲しながら向かってくる兵を見る。


(ここで私は死ぬのか)


 結局、自分は天下に対し、何も成し遂げられてはいない。


(せめて、死に様だけは美しくありたいものだ)


「管仲殿」


 その時、彼の後方から召忽がやって来た。


「何故ここにいるのですか」


 驚く管仲を尻目に召忽は矛と盾を構える


「そのことは後で構わんだろう。それよりもここから退くぞ」


 召忽は降り注ぐ矢を矛で振り払いながら管仲と共に退却を始め、彼の活躍により、戦場を脱出した。


「捕まえることが出来なかったか」


 小白は悔しそうに地団駄を踏む。


「一度ならず、二度までも私を殺そうとしおって許さん」


 怒りを表わにする彼を見ながら鮑叔は


(管仲を救ったのは召忽か)


 意外であった。管仲と召忽の性格は真反対であり、決して交わることのない二人と思っていた彼には意外なことであった。


(召忽も惜しいな)


 鮑叔は頭を抱えた。


(これは主の説得は難しそうだ)


 鮑叔は怒りに震える小白を見ながらやれやれと首を振る。


「またしても私は生きるのか」


 管仲は戦場を後にしながら、自嘲する。今の自分がとても惨めに思ったからである。


「お前にはまだ生きて成し遂げたいことがあるのだろう」


 召忽は笑いながら言う。


「成し遂げたいことか」


『それは誠に己が成すべきことか』


 ふと管仲はいつの日か聞いた言葉を思い出した。


(私が成すべきこととは)


 彼は天を仰ぐ、だが相変わらず天は彼に対し、無言である。



 乾時での戦いは斉の圧勝に終わった。















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