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春秋遥かに  作者: 大田牛二
最終章 春秋終幕
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剣を研ぐ

遂に最終章です。

 六月、衛の荘公そうこうが平陽(衛都外)で孔悝と酒を飲み、厚い褒賞を与えた。諸大夫にも贈物が下賜された。

 

 孔悝が酔ったため荘公が送って帰ったが、夜半になると孔悝を追放した。

 

 追放された彼は母の孔姫を車に乗せて平陽を発ち、西門(平陽門)まで来た時、貳車(副車)を西圃(孔氏の廟がある場所)に送って祏(神主を保管する石箱)を運ばせた。

 

 子伯季子はかつて孔悝の家臣であったが、荘公が即位してからは抜擢されて彼の臣になっていた。

 

 そんな彼が孔悝追撃を請うた。恩知らずとはこのことである。荘公は同意した。主従どちらも恩知らずである。

 

 子伯季子は途中で祏を運ぶ副車に遭遇したため、孔悝の家臣を殺してその車に乗った。

 

 孔悝は副車がなかなか戻って来ないため、心配して許公為(許為)を呼んだ。


「少し、見て参れ」


「承知しました」

 

 許公為が様子を見に行くと子伯季子に遭遇した。許公為はかっと目を怒らせ言った。


「不仁の者と明(優劣)を争って勝てないはずがなかろう」

 

 すると許公為は子伯季子に先に矢を射るよう煽った。起こった子伯季子は三発の矢を射たが、どれも許公為から遠くはずれた。

 

 許公為はそれを見てにやりと笑うと矢を射た。するとその一発で子伯季子は貫かれて死んだ。

 

 孔悝の家臣が許公為の車を追って合流し、子伯季子が乗っていた車の袋から祏を探し出した。

 

 事情を知った孔悝は急いで、宋に出奔した。







 

 

 

 かつて、楚の平王へいおうの太子・けんが讒言に遭って城父から宋に奔った。しかし宋は華氏の乱で混乱していたため、鄭に遷った。太子・建は鄭で厚遇を受けたが、晋に行った時に晋に唆されて、鄭を襲う計画を立てた。


 太子・建が計画を実行するために鄭に戻った。その後、鄭はこのことを知り、彼を処刑した。

 

 太子・建には勝という子がおり、難を避けて呉に亡命した。

 

 その後、楚の令尹・子西しせい(王子・しん。太子・建の兄弟)が勝を招こうとしたが、葉公・子高しこう沈諸梁しんしょりょう。楚の左司馬・沈尹戌しんいんじゅつの子)が反対して言った。


「勝は詐(狡猾)で乱を好むと聞いております。国に害をもたらすものです」

 

 しかし、子西は言った。


「私は勝には信があり勇であると聞いている。不利になることはない。辺境に置けば衛藩(守り)となるだろう」

 

 葉公は首を振り言った。


「仁にかなっていることを信と申し、義を行うことを勇と申します。勝は復言(言ったことを必ず守ること)を好み、死士(死を恐れない勇士)を求めていると聞いております。これは私心があるからでしょう。復言は非信というべきです」


 復言は仁に合わないことでも口にすれば、必ず実践するため、本当の信ではない。


「また、義に合わないことにでも命をかけるのは勇ではございません。あなた様は必ずや後悔なさることでしょう」

 

 しかしながら子西はこの忠告を聞かず、勝を招いて呉との国境に置いた。勝は白公と呼ばれた。白は国境の県である。

 

 後日、白公・勝は父の怨みを晴らすために鄭討伐を求めたが、子西は、


「楚の政治が定まっていない。そうでなければ、忘れることはない」


 と言って拒否した。

 

 また暫くして白公が鄭討伐を請うと、子西は同意しました(紀元前483年)。

 

 しかし前年に晋が鄭を攻撃したため、楚は鄭を援けて盟を結ぶことになった。

 

 白公・勝は激怒し、


「鄭人はここにいる。讎は遠くない」


 と言った。つまり鄭を援けた子西も鄭人と同じ仇讎だということである。

 

 白公・勝は自分で剣を磨くようになった。

 

 司馬・子期しき(子綦。王子・結。子西の弟)の子・へいがそれを見て問うた。


「王孫(勝。平王の孫)はなぜ自ら剣を磨いているのでしょうか?」

 

 すると白公はこう答えた。


「私は直(率直。隠し事をしないこと)で名を知られている。汝に教えなければ、直とはいえないだろう。汝の父を殺す準備をしているのだ」

 

 勝にとっては子西が仇となっていたため、その弟の子期も敵の一人になったのである。

 

 驚いた平はこれを子西に報告した。父の子期ではなく子西に言ったのは、子西が令尹だったからである。

 

 子西は笑って言った。


「勝は卵のようなものである。私の翼で彼を成長させているのだ。それに、楚で私が死ねば、令尹や司馬は勝でなくて誰がなるというのか」」

 

 子西は楚に戻したことから白公が自分を感謝していると信じて、このことを冗談と思った。それに彼は自分の死後、令尹や司馬を任せるのは白公しかいないと考えており、敢えて子西を殺して位を奪う必要もないはずだと考えていた。


 白公の目的は位を得ることではなく、仇を討つことにあると彼は気づいてなかったのである

 

 これを聞いた白公・勝は笑って言った。


「令尹は狂ったのか。彼が善い死を得ることができれば、私は人の子とは言えない。必ずや私が子西を殺す」

 

 しかし子西は白公の殺意を察することができなかった。

 

 白公・勝は部下の石乞せきけつ(または「石乙」)に言った。


「王と二卿(子西と子期)の士は五百人の士で当たれば充分であろう」

 

 石乞は首を振り言った。


「五百人の士は得られないかと思います。しかし市の南に熊宜僚という者がおります。彼を得れば、五百人に匹敵しましょう」

 

 白公と石乞は熊宜僚に会いに行き、話をしてみた。二人はとても満足し、挙兵の計画を話した。しかし熊宜僚は協力を断った。


 石乞が剣を首に向けても熊宜僚は動かなかった。

 

 白公は、


「利を示そうとも誘惑され無い者は、威を恐れることもなく、人に言を漏らして媚びるようなこともしないものだ。自由にしてやれ」

 

 と言って彼を解放した。

 

 この頃、呉が慎を攻撃した。白公が兵を率いて呉軍を撃退した。

 

 白公が戦利品の武器を献上すると願い出ると、楚の恵王けいおうは同意した。


 これにより、後に白公の乱と呼ばれる事件が起きることになった。

 

 



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