表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
春秋遥かに  作者: 大田牛二
第十一章 崩壊する秩序
523/557

田氏一門

 小邾の大夫・射が句繹を挙げて魯に降った。

 

 射が魯に言った。


子路しろと約束をさせていただければ、盟を結ぶ必要はございません」

 

 子路は誠実で裏切らないこと人物であろうと思われていたため、大夫・射は魯に帰順する際の盟約を結ぶよりも、子路との口頭の約束を求めたのである。国への信用よりも個人への信用が勝ったことになる。

 

 魯は子路を派遣することにしたが、子路は辞退した。

 

 季孫肥きそんひ冉求ぜんきゅうを送って子路にこう伝えた。


「千乗の国(魯)の盟を信じず、汝の言を信じるというのに、汝はなぜそれを恥辱とするのか?」

 

 すると子路はこう答えた。


「魯と小邾の間に事(戦争)が起きようとも、私にはその理由を問うことができず、城下で死ねれば充分です」


 今後、戦争が起きることになれば、魯が射を受け入れたことが原因であるため、小邾の曲直を正すことができない。射を受け入れて戦争を招くという罪を犯したのだから、国のために死ねるだけでもましであり、小邾を非難することはできない。


「彼は不臣(臣としての道を尽くさないこと)でありながら、その言を実現させようとしております」


 射が子路に魯への帰順を約束すれば、射も子路に対して要求を求めることだろう。射を受け入れれば要求を満足させなければならなくなる。


「これでは彼を義(正義)としてしますことになります。そのようなことは、私にはできません」


 子路は射の偽善を見抜き、彼の思惑に乗るべきではないと言ったのである。

 

 









 この頃、斉では、父である田乞でんきつが亡くなり、息子の田恒でんかんの権力が益々増していた。


 このような逸話がある。隰斯彌が田恒に会いに行き、彼と一緒に台に上って四方を見渡したことがあった。


 三面は何もなく遠くまで眺めることができたが、南面は隰斯彌の家の樹木が茂っており、視界を遮っていた。田恒は何も言わなかったが、


(不快に思われたかもしれん)


 不快になったのではないかと察した隰斯彌は、家に帰ると家人に命じて樹木を伐らせた。ところが樹木に数回斧が入れられたばかりの時、彼は中止を命じた。


 相室(家を管理する者)が問うた。


「なぜすぐに指示を変えたのでしょうか?」

 

 隰斯彌は言った。


「古にこういう諺がある『深い淵の中に魚がいることを知る者は不祥(不吉。不幸)になる』。あの人(田恒)は大事を行おうとしている。私が彼の内心を察したと知れば、私が危険になるだろう。木を伐らなくても罪にはならないが、人が話していないことを知れば、それは大きな罪(禍)になるものだ」

 

 こうして中止された。


 田恒の一挙一動に配慮しなければならないほど、彼の権力が大きくなっていた。

 

 しかしながら田恒と同列の地位にいる者がいた監止(闞止。字は子我)である。

 

 斉の簡公かんこうが魯にいた頃からを寵信していた人物である。また、勢力を大きくする田恒の存在に対しての対抗馬でもあった。

 

 田恒とてそのような風に扱われることを察知できないほど鈍感ではなかったが、国君の信頼を得ているという大きな差があり、その対策をどうするべきかと彼は考えていた。


 ある時、彼は父の言葉を思い出した。


 父・田乞が世を去る数日前のことである。


『恒よ。我が先祖は陳からこの斉に渡り、根ざして長い時を持って大きな大木になった。しかし、大木になった故に我が一族を疎む者も必ず出るものだ。その度に我が一族はそれを打ち破ってきた。そのことを忘れてはならない。警戒を怠るようなことがあってはならない。慎重に物事を勧めるようにせよ。良いな』


『はい』


『もし、困難に直面した時、我が一族の歴史を振り返よ。そこにお前を助ける答えがあるはずだ。決して忘れるな。我らの原点を……』


 彼は父の言葉から自分の一族がどのように斉で大きな存在になっていったのかを改めて調べた。そして、我が一族が勢力を大きくする上でもっとも大切にしたことは民からの信頼であることを理解した。


 田恒は原点に立ち返り、大斗(大きな容器)で穀物を貸し出して小斗で徴収することにした。

 

 斉人は民衆が田氏に帰心する様子を描き、


「老婦が野菜を採り、田成子に贈る」


 と歌うほどになった。

 

 民からの信頼を受けることができているものの、国君の信頼が強い闞止に対して安心できない田恒は過剰に反応し、朝廷で何度も振り返って闞止を見るほどであった。

 

 そのような姿は他の者にも異変が近いことを伝えることになった。

 

 御者・おう(鞅は名で田氏の一族)が簡公に言った。


「田氏と闞氏が並存することはできません。主公はどちらかを選ぶべきです」


 自分の一族よりも国が混乱することを憂う彼には誠実さがあった。しかし、優柔不断な簡公は忠告を聞かなった。

 

 ある日の夕方、闞止が簡公を謁見した。

 

 この頃、陳逆ちんぎゃく(字は子行。田氏の宗族)が人を殺した。闞止が簡公に会いに行く途中、ちょうど陳逆に遭ったため、捕えて公宮に入った。

 

 田氏は親族間の関係が深かったため、陳逆に病だと偽らせ、潘沐(米汁。髪を洗うのに使う。病人であるため清潔にする必要がある)を送った。


 あわせて酒肉を用意し、囚人を監視する役人にふるまった。暫くして田氏の人々は酔った役人を殺し、陳逆を逃走させた。

 

 闞止は陳逆に逃げられたため、田氏の報復を恐れるようになり、そこで和解するために、陳氏の宗主の家で盟を結んだ。

 

 かつて陳豹ちんひょう(字は子皮。田氏の一族)が闞止の家臣になろうとして公孫(斉の大夫)に自分を推挙させたことがあった。しかし田氏に喪事があったため、一時中断していた。

 

 喪が明けてから、公孫が闞止に言った。


「陳豹という者がおり、背が高く上僂(猫背)で、いつも上を視ております。君子に仕えれば、必ずや君子の志を得ることができましょう」


 ここでいう君子とは闞止のことであるから彼はあなたの意を汲むことができ、満足させることができるということである。


「彼はあなたの臣になりたいと思っていますが、その為人(人となり。行為)が気に入らないことを恐れて今まで報告しませんでした」

 

 闞止はこう言った。


「汝が心配することはない。汝が紹介すれば用いるかどうかは私が決めるのだからな」

 

 陳豹は闞止に仕えることになった。

 

 後日、闞止が陳豹と政治について語り、とても満足し、陳豹を寵信するようになった。そして彼にこう言った。


「私は田氏を全て駆逐して汝を立てようと思うがどうだ?」

 

 陳豹は驚き答えた。


「私は陳氏の遠支であり、主に立つ資格はありません。また、違者(闞止に逆らう者)は数人に過ぎません。なぜ全てを駆逐する必要があるのでしょうか」

 

 陳豹はこのことを田氏に告げた。

 

 さて、闞止に恨みをもつ陳逆は田恒に言った。


「彼(闞止)は国君を得ているのです。先に動かなければあなたに禍が及びましょう」

 

 陳逆は田恒が事を起こした時に内応するため、公宮に住むことにした。

 

 五月、田恒の兄弟四人が車に乗った。または四乗の車に兄弟が二人ずつ乗ったという説もある。


 田恒は八人兄弟である。彼の他に荘、歯、夷、安、意茲、盈、得がいる。車に乗ったのが八人ならばこの八人になる。車に乗ったのが四人だとしたら陳恒以外の三人が誰かは不明である。


 彼らは簡公に会いに行った。

 

 幄(聴政する場所)にいた闞止が彼らを迎え入れるために門を出た。すると田恒らが中に入って門を閉め、闞止は中に入れなくなった。

 

 簡公の侍人が変事を覚り、彼らの防ごうとしたが、公宮に住んでいた陳逆が内応して侍人を斬った。

 

 簡公はこの時、婦人と檀台で酒を飲んでいた。そこに乗り込んだ田恒は簡公に寝室へ移るように要求した。簡公が戈を持って田恒を撃とうとすると、大史(太史)・子餘(田氏の党)が止めた。


「主公の不利になることを行うのではありません。害を除こうとしているだけなのです」

 

 田恒は府庫に住むことにしたが、簡公が怒っていると聞いて出奔を考えて、


「どこなら国君がいないだろうか?」


 と言った。

 

 この言葉は理解が難しい。少なくともこの当時、どこの国にも国君はいるものである。そのため斉の国君の影響が及ばない場所に行きたいという意味かもしれない。あるいは、国君が存在しない全く異なる地に行きたいという意味かもしれませんがどうだろうか。

 

 陳逆が剣を抜いて言った。


「需(躊躇)は事の賊です。躊躇すれば大事が失敗することになるのです。誰が田宗(田氏の宗族)ではないでしょう。そもそも田氏の宗族は多いため、力は充分足りているのです。あなたを殺さず、逃走させれば、田宗(田氏の歴代宗主)の咎を受けることを誓いましょう」


 逃げるのならば、自分はあなたを殺すしかないという意味である。

 

 田恒は出奔をあきらめた。

 

 闞止は公宮に入れなくなったため、自分の家に帰って私卒を集めてから公宮の闈(小門)と大門を攻めた。しかし勝てなかったため逃走した。

 

 田氏は闞止を追撃し、闞止は弇中(臨淄西南の地名)で道に迷い、豊丘に至った。しかし、豊丘は田氏の邑であり、田氏への信望が厚い。

 

 故に豊丘人が闞止を捕えて報告し、田恒は郭関(斉の郭門。外城の門)で闞止を処刑した。

 

 田恒が闞止の党に属す大陸子方(東郭賈。姜姓で陸郷を食邑にしたため大陸を氏にした)を殺そうとしたが、陳逆が命乞いをしたため釈放した。

 

 大陸子方は斉から出奔するため、簡公の名義を使って道中で車を手に入れ、耏に至った。耏は斉都の西に位置し、魯との国境付近にある。

 

 耏の人々(恐らく田氏に属す)は大陸子方が簡公の命を偽って西に来たと知るや、車を奪って東に帰らせた。

 

 一度戻った大陸子方が雍門(斉の城門)を出た時、陳豹が彼を援けて車を与えようとしたが、大陸子方は断ってこう言った。


「陳逆が私のために命乞いをし、陳豹が私に車を送れば、私と田氏の間に個人的なつながりができることになる。しかし闞止に仕えながら讎人と個人的に交われば、魯や衛の士に会わせる顔がない」

 

 大陸子方は再び西に向かって衛に奔った。

 

 田恒は簡公を舒州(または「俆州」「徐州」)に幽閉した。

 

 簡公は、


「早く鞅の言に従っていれば、このような事にはならなかっただろう」


 と嘆いた。時すでに遅しとは正にこのことを言う。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ