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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第十一章 崩壊する秩序
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伍子胥

 呉と斉が艾陵の戦いを行う前、越に呉が越を攻めようとしていることを知った。


「王、直ぐに自ら参られて、呉王に祝いの言葉を述べられてください」


 范蠡はんれいがそう進言したため、越王・勾践こうせんは呉に自ら向かい、祝いの言葉と礼物を呉に送った。


 呉王・夫差ふさが彼を歓迎する中、伍子胥ごししょが諫めた。


「いけません。越王は質素な食事をして百姓と苦楽を共にしております。このような人物が死なない限り、必ずや我が国の患いとなりましょう。呉にとって越は腹心の疾(病)というべきものですが、斉は疥癬(皮膚病)に過ぎません。王は斉を赦して越を優先なさるべきです」


 しかし夫差は諫言を聞かなかった。彼は越に何ができようかと越のことを下に見ていた。また、斉討伐を決めた時、越王・勾践が自ら祝いの言葉を述べ、礼物を渡してきた。その態度を夫差はまるで媚びているようだと思った。


 一国の王がやる行為としては無様だと思いながら彼は見ていた。しかし、伍子胥はその行為の全てが呉を滅ぼすための手段であると思えて仕方なかった。


 だが、夫差は伍子胥の言葉を聞こうとはしなかった。


 その後、夫差は斉を討伐して艾陵で破った。


 帰国した夫差が伍子胥を譴責すると、伍子胥は、


「王は喜ぶべきではありません」


 と言った。それを聞いた夫差が激怒したため、伍子胥は自殺しようとしたが、夫差は慌てて彼の自殺を止めさせた。








 そのことが西施せいしを通じて范蠡の元にもたらされた。


(案外、呉王と伍子胥の仲を裂くのは難しいな)


 彼はそう思ったが、西施の言葉を伝えに来た鄭旦ていたんが言った。


「西施様曰く。呉王が伍子胥の自害を止めたのは外聞故とのことです」


 伍子胥は先君から仕えてきた重臣である。その彼を死に追いやったとなれば、外聞が悪いということである。


「西施様は良く見ておいでだ」


 范蠡は西施の言葉からここで夫差と伍子胥の仲に止めを刺すと決めた。


 彼は勾践を含め、大臣たちを集めると夫差と伍子胥の仲がもう少しで裂けることを伝えた。


 越の大夫・しょうが勾践に進言した。


「ここは慎重にせねばなりません。確実に仲を裂くべきです。今、呉王の政治は驕っており、粟(食糧)を借りることを口実にして呉王と伍子胥の仲が本当に裂くことができるか試してみましょう」


「それで仲を裂けるとは思えないのだが」


「いいえ裂けると思います」


 文種がそう言うため、越は飢饉を理由で呉に食糧を求めた。


 呉王・夫差は同意しようとしたが、伍子胥は反対した。だが夫差は聞き入れず、越に食糧を贈った。


「これで裂くことは確実にできましょう」


「何故、そう言える。今回、我々に食料を送るほどの呉王の度量を見たようにしか思えないが?」


「いいえ、今回のことで呉王は逆に度量を損なっていると思います。かつて晋で飢饉があった際、秦の穆公ぼくこうは晋に食料を与えました。それは民を思いやったがための行為です。しかし、呉王が我々に食料を与えたのは見栄のためです。民を思いやっての行為ではありません」


 同じ行為であってもその根底にあるものには天地ほどの差がある。


「しかし、その見栄を示すために行ったことに伍子胥が反対したことで、呉王の自尊心は大いに傷つけられたことでしょう。また、呉王は先に伍子胥の自害を止めたことで、伍子胥を尊重したと思い込んでおります。そのほど臣下である伍子胥を尊重しているのに、懲りずに諫言してきたことに呉王は内心、大いに憤っていることでしょう」


 夫差は子供っぽさがあり、玩具を振り回しているような感覚で軍や国を動かしている。そのためそれに対して叱られると癇癪を起しているのである。


 それでも自分は我慢していると思っているところに夫差の愚かさがあると言える。


「また、報告によれば、このような話が出ています」


 諫言を聞き入れられない伍子胥も流石にイラつき始め、


「王は諫言を聞こうとしない。今後、三年で呉は廃墟になるだろう」


 と口走った。この発言を太宰・伯嚭はくひが聞いた。彼は越との関係についてしばしば伍子胥と対立してきたため、伍子胥を讒言した。


「伍子胥の外貌こそ忠臣のようですが、実際は残忍です。そもそも自分の父兄も顧みなかったのに、王を顧みることがあるとお思いでしょうか。王が斉を攻めようとした時、彼は強く諫めました。しかし王が功績を立てたため、彼は逆に王を怨んでおります。王が伍子胥に備えなければ、彼は必ずや乱を興しことでしょう」


 このように何度も伯嚭が讒言を行っていることを文種は述べた。


「これにより、もうすぐ伍子胥は呉王によって始末されましょう」


「いや、こここは一気に畳みかけるべきだ」


 そう主張したのは、諸稽郢である。


「私の部下の逢同ほうどうを派遣し、伯嚭と共に讒言させましょう。何、伯嚭には賄賂を渡せば、共謀することはできます」


「諸稽郢殿、ここは慎重になさるべきではないのか。もはや呉王と伍子胥の間の亀裂は修復は不可能。下手に動く方が我らの動きを知られる危険性が高まる」


 文種のいう通り、確かに夫差と伍子胥の関係の修復はほぼ不可能であることは確実である。しかし、諸稽郢はここで手を抜くとある危険性が出てくると考えている。


「そうさ。確かに両者の関係はもはや修復は無理だ。しかし、そうなった時、伍子胥はどうすると思う」


「どうするとは?」


 文種がそう言うと、


「反抗する。隠れる。殉ずるの三つじゃろう」


 計然けいぜんがそう言った。


「どういう意味ですか?」


「国君に対して不当な扱いを受けるとなれば、臣下が行う行動はその三つということじゃ。国君を殺すことで、国君の首を差し替える。もしくは自らなるという反抗。国に道無しと称して、下野し隠れる。国君がどのような決断をしようとも逆らわずに殉ずるという三つじゃ」


 歴史を見れば、大抵な者はそう言った行動に出ている。


「伍子胥の性格的には、隠れるということは無い気がしますね」


 范蠡がそう言うと計然は頷く。


「そうじゃな。最悪は反抗によって名君かもしくは伍子胥の言うことを聞く傀儡が据えられことじゃな。そうなると今後が面倒じゃがらのう」


「だからこそ、伍子胥を一気に追い詰めるべきというこそさ」


 諸稽郢がそう言う。すると范蠡が言った。


「伍子胥が斉に使者として出向いた際に鮑氏の元へ行っております」


「それは、それは好都合だねぇ」


「諸稽郢殿、行けますか」


「ああ、これで伍子胥は確実に死に追いやれる」


 四人は互いに頷いた。


「では、そのようにせよ。汝らに任せる」


 それを見ていた勾践がそう言い、彼の言葉に四人は御意と答えた。







 諸稽郢は伯嚭の元に逢同を送り、彼と共謀して讒言を繰り返しさせた。


 流石に夫差は始めのうちは讒言を信じなかったが、伍子胥が斉に出向いた時に彼が自分の子を斉の鮑氏に託したことを知った。夫差は激怒した。


「伍子胥は私を騙していた」


 夫差は人を派遣して伍子胥に属鏤剣(名剣の名)を与え、自殺を命じた。


 伍子胥が大笑して言った。


「私は汝の父(闔廬)に霸を称えさせた。汝も私によって擁立された。当初、汝は私に国の半分を与えようとしたが、私は受け取らなかった。今、汝は逆に讒言によって私を誅殺するのか。汝一人で国を存続させることはできないぞ」


 伍子胥は剣を抜き、使者に向かって言った。


「私の眼をくり抜き、呉の東門に置け。越兵が入城するのを見届けるためだ」


 と命じてから自殺した。


 伍子胥、父と兄の仇を取るため、呉を強国に押上げ、楚という強大な敵を滅亡一歩手前まで追い込むという当時の人々が考えもしなかったことを行った。


 それを成し遂げることができたのは、彼の怒りが天を動かし、人をも動かしたためである。されど夫差という一人の男までは動かすことはできなかった。


 何たる無念であろうか。


 その無念は長き時を経て、司馬遷の『史記』にて生き生きと描かれ、多くの人の心を動かすことになる。







「そうか、伍子胥が死んだか」


「はい」


 范蠡の元に伍子胥の死が知らされた。


「王がお呼びです」


「承知した」


 勾践の下にも伍子胥の死が知らされていており、彼は范蠡を招いて言った。


「私が汝と呉について謀った時、汝は『まだその時ではない』と言った。今、伍子胥がしばしば王を諫めたため、呉王は怒って彼を殺した。もういいのではないか?」

 

 范蠡は首を振り、言った。


「節に逆らって(忠正を殺したこと)兆しが生まれましたが、天地がまだ形(兆)を見せておりません。先に征伐しても成功できず、逆に害を受けることになりましょう。まだ暫く待つべきです」

 

 勾践は、「わかった」と頷いた。


 范蠡は屋敷に戻ると呉句卑が言った。


「呉を滅ぼすのはまだ、先ですか?」


「ああ」


「中々、難しいですね」


「それでけ、呉王・闔閭、孫武、伍子胥の作った呉はそれだけ強大ということだ」


 范蠡は彼らが今の呉を作っているのを間近で見ていた。


(もう彼らはいない)


 呉の黄金期を作ってきた人間たちが退場し、今の呉には大した者がいない。


「伍子胥一人を始末するのに、これほど苦労したが呉を滅ぼすのはこれより苦労することはないだろう」


 范蠡はそう呟いた。





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