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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第十一章 崩壊する秩序

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呉王の驕慢

 紀元前485年


 二月、邾の隠公いんこうが魯に出奔した。隠公は斉君の甥だったため、後に斉に遷った。邾では太子・革(桓公)が政治を行った。


 呉王・夫差ふさと魯の哀公あいこう、邾の太子・革、郯君が会して、斉の南境を攻撃し、鄎に駐軍した。


 三月、斉人が悼公とうこうを殺して呉軍に報告した。


 悼公を殺したのは鮑氏、または陳氏(田氏)と言われ、はっきりしていない。だが、田一族が手を下すにしては拙いように思えるため、前年の鮑牧の仇を取った鮑氏の者と見るべきだろうか。


 呉王・夫差は三日間、軍門の外で哀哭した。諸侯が死んだ時の喪礼である。


 だが、一方で呉の大夫・徐承が水軍を率いて海から斉に進攻させている。偽善であること腹立たしいことである。


「呉王がこれほど礼儀知らずとは思わなかったわ」


 田乞でんきつは息子の田恒でんかん(史記では田常でんじょう)に斉軍を率いさせ、これを破った。


 呉は兵を退いた。


 斉は悼公の子・壬を立てた。これを斉の簡公かんこうという。


 夏、宋が鄭を攻めた。一方で、晋の趙鞅ちょうおうが斉を攻めた。


 出兵前に大夫が卜うように請うたが、趙鞅はこう言った。


「斉との戦いは既に卜っている。一つの事を重ねて令(命亀。卜うこと)してはならない。卜いの結果も再び吉になるとは限らない。出兵せよ」


 晋軍は犁と轅を取り、高唐の郭(外城)を崩し、頼に及んで還った。


 衛の公孟彄が斉から衛に帰った。


 公孟彄は蒯聵の一党で、衛から放逐されていた。この年、蒯聵に背いて衛に帰国したのである。






 呉王・夫差が魯に使者を派遣し、再び出兵を要求した。来年に斉を再び攻めるためである。


 これには伍子胥ごししょも反対したのだが、彼は聞こうとはしなかった。


 彼の自分勝手さは度を越え始めていた。


 かつて呉王・闔閭は姑蘇山に台を築き、山名にちなんで姑蘇台と名付けた。国都から西南三十五里に位置し、闔閭はここを春夏の外游の場とした。


 後に夫差は姑蘇台を修築し、三年でやっと完成させた。


 台の周りは曲折しており、縦横の距離は五里に及ぶほどで、豪華な装飾をほどこした。そのため多くの人力が消耗された。集められた宮妓は千人に及ぶほどであった。


 更に春霄宮を築いて長夜の宴を開き、石の酒盅(杯)を千個も作った。


 また大池を造り、池には青龍舟を浮かべ、妓楽を並べ、日々、西施せいしと水上で遊んだ。


 宮中には霊館や館娃閣を建て、銅の寝床、玉の門檻(門の下の横木)を置き、宮の周りの欄干は全て珠玉で装飾した。


 西施は鄭旦ていたんを通じて、范蠡はんれいに対し、この呉の状況を伝えさせていた。


「そうか。いつもご苦労だな」


 范蠡は鄭旦に対し言った。


「そろそろ呉王に対し、伍子胥への憎しみを植え付けていかねばならない。西施様にそのことをお伝えしてくれ、あの方ならそれだけでやることは理解されるだろう」


 鄭旦は頷くものの、その場を離れようとはしなかった。


「一つお聞きしてもよろしいでしょうか?」


 彼女は范蠡に尋ねた。


「なんだ?」


「呉を滅ぼした後、西施様はどうなるのでしょうか?」


「情が移ったか」


「いえ、そのようなことは……」


 范蠡は目を細める。


「王がお決めになることだ」


「主は……主はどうお考えですか?」


 鄭旦は范蠡を見据える。


「私の意思などは関係ない。良いから下がれ」


「はい……」


 その後、呉の状況を越の朝廷内で共有されると、越王・勾践が范蠡に問うた。


「私が汝と呉について謀った時、汝は『まだその時ではない』と言った。今、呉王は声色に耽って百姓を忘れ、民功(民事)を乱し、天の時に逆らい、讒言を信じて優(俳優。芸人)を好み、輔(国君を補佐する臣)を疎んじ弼(国君の過ちを正す臣)を遠ざけている。その結果、聖人は出仕せず、忠臣は解骨(解体。ここでは忠心を忘れること)し、皆、意を曲げて歓心を買いことばかりに気を取られ、諫言をする者がなくなり、上下が目先の安逸に満足している。今ならいいのではないか?」


 范蠡はまたしても首を振った。


「人事は至っておりますが、天がまだ応じていません(呉の人は討伐できる状態になっているが、天の兆しが現れていません)。暫く待つべきです」


 越王は、


「わかった」


 と頷いた。


 冬、楚の子期しき(公子・結)が陳を攻めた。


 呉の延州来・季子(季礼きさつ本人か子孫)が陳を援けに向かった。


 しかし季子は子期にこう言った。


「二君(楚君と呉君)とも徳に務めず、力によって諸侯を争っておりますが、民に何の罪があるのでしょう。私は撤兵を請い、あなたの名を成そうと思います。徳に努めて民を安んじられますことを」


 両軍共に戦闘を行わず、撤退した。


 その頃、夜のこと鄭旦は西施と話していた。


「そう范蠡様がそのようなことを……そろそろのようね」


「西施様、越が呉を滅ぼすのは近いかと思いますが、されどその後のことが私には心配でなりません」


 西施は首を傾げる。


「心配って?」


「西施様の身でございます。西施様は身命を賭して、越に尽くされていますが、王を始め范蠡様もあなた様を助ける意識に欠けているようでならないのです」


 鄭旦の言葉に西施は首を振る。


「既に覚悟はできております。心配はいりません」


「ですが」


「構わないのです」


 彼女はその後、何も言おうとはせず、星を眺めた。








「星を見ておいでですか」


 呉句卑は范蠡に尋ねた。


「ああ」


「綺麗な星々です」


「ああ。綺麗だ。私のような者に比べれば遥かにな」


「主はほかの者よりもずっとずっと美しい方にございます」


 容姿のことを言っているわけではない。人としての本質のことである。


「私は狡く、汚い男だよ」


 范蠡はそうつぶやいた。







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