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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第十一章 崩壊する秩序
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衛の出公

 秋、魯と斉が講和した。

 

 九月、魯の臧賓如(臧会の子)が斉に入って盟を結んだ。

 

 斉も大夫・閭丘明(閭丘嬰の子)を魯に送られた。

 

 彼が魯に盟を結びに来た時、魯の大夫・子服何しふくかが宰人(官吏。部下)を戒めて言った。


「会盟の場で過ちを犯せば、恭しい態度をとれ」

 

 それを聞いた大夫・閔馬父びんばほが笑ったため、子服何は理由を問うた。

 

 閔馬父はこう答えた。


「あなたの大(驕慢)を笑ったのです。昔、正考父せいこうほ(宋の大夫。孔丘こうきゅうの先祖)が周の太師(楽官の長)のもとで商の名頌(商王朝を称える詩)十二篇をまとめ、『那(詩経・商頌)』を頭に置きました。その最後の部分にはこうあります。『遠い昔のこと、先民が祭祀の儀礼を整えた。朝から晩まで温和で恭しく、祭祀を行う者はなお恭敬であった』古の聖王は恭敬を後世に伝えましたが、自分がそれを創始したとは言わず、『古から』と称し、古の者は『昔からあった』と言い、昔の者は『先人』の功績とされました。しかし今、あなたは吏人に『過ちを犯したら恭しい態度をとれ』と教えました。これは満(驕慢)も甚だしいことです。周の共王きょうおう昭王しょうおう(恭王の祖父)と穆王ぼくおう(恭王の父)の過ちを覆い隠して先人に恭敬だったために、『共』という諡号が贈られたのです。楚の共王きょうおうは自分の過ちを知ることができたため、『共』という諡号が贈られました。今、あなたは官僚に『過ちを犯したら恭しい態度をとれ』と教えましたが(道を失ってやっと恭しくなるというのならば)道がある時は(過ちを犯していない時は)どうなさるおつもりですか」

 

 斉と魯で盟が結ばれ、季姫(季孫肥の妹)を迎えて帰国した。

 

 季姫は斉の悼公とうこうに寵愛されるようになった。







 

 さて、悼公の即位に不満を持っていた鮑牧ほうぼくが諸公子に言った。


「あなた方に馬千乗(四千頭)を持たせましょうか?」

 

 千乗は諸侯を指すため、彼の言葉は悼公を廃して他の公子を立てることを意味する。

 

 諸公子は恐れて、これを悼公に訴えた。

 

 悼公は鮑牧を招き言った。


「ある者が汝を讒言している。何時は暫く潞に住んで様子を見るべきだ。もしも彼等が言うことが本当なら、家財の半分を持って国を出よ。もしもそのようなことが無いというのなら、元の場所に帰れ」

 

 鮑牧が門を出ると、悼公は鮑牧に家財の三分の一だけを持たせた。潞に行く途中では馬車二乗だけになる。

 

 更に鮑牧が潞に着くのを待って逮捕し、縛って国都に連れ戻して処刑してしまった。

 

 斉が讙と闡を返還した。悼公が季姫を寵愛したためである。

 

 楚の子西しせいはこの頃、子勝ししょうを呉から招いた。子勝は平王へいおうの太子だったけんの子で、楚から呉に亡命していた。

 

 楚に戻った子勝は巣大夫となり、白公と号した。

 

 白公は武を好み、士にへりくだって仇討ちの機会を伺うことになる。







 孔丘こうきゅうはこの頃、衛に長くおり、彼の弟子の多くが衛に仕えるようになっていた。しかし、彼自身は衛に仕える気は更々なかった。


 彼はこう言っている。


「魯と衛の政治は兄弟のようなものである」


 魯と衛の祖である周公と康叔は兄弟で、その政治も兄弟のように友好的であった。同時に政治的な部分も似ており、自分は衛で用いられることはないと彼は考えていた部分がある。


 また、当時、衛の出公しゅつこうの父・蒯聵は即位できず国外にいた。諸侯はこの事態に対し、出公に度々譴責を行っていた。


 出公は孔丘の弟子を受け入れ、彼にも政治をさせようとした。


 その一人である子路しろが孔丘に問うた。


「衛君は先生の出仕を待って政治を行わせようとしております。先生は何を優先なさるおつもりでしょうか?」


「必ず最初に名分を正さすことを優先する」


「その必要があるでしょうか。先生は遠回りをしすぎです。なぜ名分を正す必要があるのですか」


 名分を正すということをするとなれば、出公は父の蒯聵に位を譲らなければならなくなる。孔丘を招いているのは出公なのである。


 孔丘はため息をつき言った。


「由よ、汝は分かっていない。名分が正しくなければ言葉は適切ではなくなり、言葉が適切でなければ事は全うされず、事が全うされなければ礼楽を振興することもできず、礼楽が振興できなければ刑罰が不当になり、刑罰が不当になっれば、民はどうすればいいか分からなくなるものだ。だから君子の行いには必ず名分があり、言った事は必ず行わなければならない。君子の言にいい加減なことがあってはならないのだ」


 彼は出公が人気取りのために自分を招いているに過ぎないと考えていた。故に彼は衛に仕えようとはしなかったのである。






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