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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第十一章 崩壊する秩序
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子服何

 呉王・夫差ふさが邾のために魯を攻めようとし、叔孫輒しゅくそんちょう子張しちょう)に意見を求めた。


 叔孫輒は公山不狃(子洩)と共に魯から斉に出奔していたが、その後、呉に移ったようである。

 

 彼は言った。


「魯は名があるだけで情(実)がございません。討伐すれば必ずや志を得ることができましょう」

 

 叔孫輒は退出してからこの事を公山不狃に話した。すると公山不狃はこう言った。


「非礼です。君子は自国を離れても、讎国(敵国)には行かないものです。呉が魯を攻めれば呉が讎国になってしまいます。魯において臣の職責を尽くさず、逆に魯を討伐して敵国のために尽くすのは、死に値する行為です。このような事を頼まれれれば(命じられたら)姿を隠すべきです。たとえ自分の国を去っても、悪(憎しみ)によって郷土を棄てはならないのです。しかし今、あなたは小悪(小さな怨み)によって宗国(祖国)を覆そうとしています。これは難(相応しくない事。過ち)ではないでしょうか。もしあなたが軍を率いるように命じられれば、あなたは辞退するべきです。そうすれば、王は私に軍を率いさせることでしょう」

 

 叔孫輒は自分の発言を後悔した。

 

 夫差が公山不狃に意見を聞くと、公山不狃はこう答えた.


「魯は、普段は頼りとする国がありませんが、共に滅ぶことができる国はあります(緊急の時に協力して外敵と戦う国はあります)。諸侯が魯を援けるため、王が志を得ることはできないでしょう。晋と斉、楚が援けるはずですので、我が国は四讎(四つの敵国)を相手にすることになります。魯は斉と晋の唇です。唇が滅べば、歯が寒くなることは国君も知っておられるかと思います。斉、晋が魯を援けないはずがありません」

 

 夫差はこの意見を聞き入れず、彼に軍を指揮を任せた。

 

 三月、呉が魯を攻撃した。公山不狃はわざと険しい道を選んで進軍し、武城を経由した。

 

 以前から武城の人(魯人)は呉の国境で農耕をしていた。

 

 ある日、鄫人が菅草を川に浸けた。管草は水に浸けてから皮が剥かれ、縄や草鞋の材料になる。

 

 すると武城の人が、


「なぜ私の水を汚すのだ」


 と言って鄫人を捕えてしまった。

 

 呉軍が武城に来ると、捕まっていた鄫人が呉軍を導き、武城は呉軍に占領された。

 

 呉の大夫・王犯おうはんはかつて魯に仕えて武城の宰を勤めたことがあり、澹台子羽(武城人。孔丘こうきゅうの弟子)の父と交流があった。


 魯の国人は鄫人が呉軍に協力したことを知らないため、王犯や澹台子羽が呉軍を先導して武城を攻略したと思い込んだ。


 魯に内応者がいるとすれば、呉軍の勢いは止まらないと考え、魯の人々は呉の侵攻を恐れた。

 

 仲孫何忌ちゅうそんかき子服何しふくかに問うた。


「どうすればいいだろうか?」

 

「呉軍が来たら彼等と戦うだけではありませんか。何を心配しているのでしょうか。そもそも、彼等を招いたのは我が国です。これ以上、何を望むのですか?」

 

 呉軍が東陽を攻略して進軍を続け、五梧に駐軍した。

 

 魯の公賓庚と公甲叔子(公賓と公甲が姓)が夷で呉軍と戦ったが、公甲叔子は戦死し、同じ車に乗っていた析朱鉏も殺された。二人の死体が呉王・夫差に献上された。

 

 夫差は、


「彼等は同じ車に乗っていた。同じ車の者が共に死ぬことができるのだから魯は優秀な人材を使うことができるはずだろう。まだその国を望む時ではない」

 

 と言った。


 公山不狃はそんな彼を見て、


(この方は何をしたいのだろう)


 と思った。


 彼には想像できないだろうが、この男は魯の弱さを見て、飽きたのである。


 翌日、呉軍は庚宗に駐軍し、その後、泗水沿岸に遷った。

 

 魯の大夫・微虎びこはこの呉軍の不可解な動きを見て好機だと思い、呉王の陣を夜襲しようとした。私属の徒七百人に命じて幕庭(帷幕の外)で三回跳びはねさせ、跳躍に優れた勇士三百人が夜襲部隊に選ばれた。その中には有若ゆうじゃく(孔丘の弟子)もいた。

 

 三百人が稷門の中まで来た時、ある人が季孫肥きそんひに言った。


「そのような事をしても呉を害すことはできないでしょう。逆に多くの国士を死なせるだけです。中止するべきでは?」

 

 季孫肥は夜襲を中止させた。微虎は中止させられたことで舌打ちした。

 

 さて、この魯の状況を聞いた呉王・夫差は微虎を恐れて一晩に三回駐留地を変えた。飽きっぽい上に臆病でもある。

 

 呉が魯に講和を求めた。

 

 両国が盟を結ぶ前に、子服何が言った。


「かつて楚人が宋を包囲した時、宋人は困窮しようとも城下の盟を結びませんでした。我が国はまだ当時の宋の状況には至っておらず、それなのに城下の盟を結ぶのは、国を棄てることになりましょう。呉は軽率で本国から遠く離れているので長くはありません。もうすぐ帰国するでしょう。暫く待つべきです」

 

 季孫肥は従わなかった。

 

 仕方なく子服何は載書(盟書)を背負って萊門(魯の郭門)に行った。


 本来、盟書は盟主が準備するものであるため、今回は呉が書くはずである。しかし、子服何がそれを持って盟に参加したということは、呉に降伏するための盟(城下の盟)ではないことを示す。

 

 魯は子服何を人質として呉に送ろうとした。呉はこれに同意した。そこで魯は交換条件として呉の王子・姑曹を人質にすることを求めた。


 これには呉が反対したため、結局、魯も人質を送らないことになった。

 

 こうして呉軍は魯と盟を結んで還った。

 

 

 



 かつて斉の悼公とうこうが魯に出奔した時、季孫肥が彼に妹を嫁がせることを約束していた。

 

 即位した悼公は妻を迎え入れようとしたのだが、季孫肥の妹は季魴侯(季孫肥の叔父)と姦通しており、妹がこの事を話したため、季孫肥は娘を嫁がせられなくなった。

 

 五月、悼公が怒って鮑牧ほうぼくに魯を攻撃させ、讙と闡(または「僤」)を取った。

 

 斉のある人が胡姫(景公の妾)を讒言して、


「安孺子の党です」


 と言った。

 

 六月、これを信じた悼公が胡姫を殺した。

 

 悼公は呉に出兵を請い、魯を攻撃しようとした。

 

 それを受けて魯は呉の出兵を抑えるため、邾の隠公いんこうを帰国させた。

 

 しかし隠公の無道が直らなかったため、呉王・夫差は大宰(太宰)・伯嚭はくひに討伐を命じ、伯嚭は隠公を楼台に監禁し、荊棘で囲みを作った。

 

 また、諸大夫に太子・革(桓公)を奉じさせて邾の政治を行わせた。

 

 


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