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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第十一章 崩壊する秩序
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無礼な国々

外伝も更新しました

 紀元前488年


 春、宋の皇瑗こうえんが鄭を侵し、晋の魏曼多が衛を侵した。鄭も衛も晋に服従しなかったためである。


 その頃、孔丘こうきゅう一行は楚から衛に戻っていた。するとそこに魯から使者がやって来た。子貢しこうに魯に来てもらいたいとのことである。


「行きなさい」


 孔丘はそう勧めたため、子貢は魯に向かった。


 魯が子貢を招いたのは、魯が呉と会したことがきっかけである。


 夏、魯の哀公あいこうが鄫(または「繒」)で呉と会した。


 呉が魯に百牢(牛・羊・豚各百頭)を要求した。


 魯の子服何しふくかが言った。


「先王の時には、そのような事はございませんでした」


 すると呉人が言った。


「宋は我が国に百牢を贈られた。魯が宋に劣ってはならないとは思わないか。しかも魯は晋の大夫をもてなすのにも十牢を越えた。呉王に対して百牢を使っても、問題ないだろう」


 子服何が反論した。


「晋の士鞅しおうは貪欲で礼を棄てており、大国の威によって我が国を脅かしたために、我が国は十一牢を使ったのです。貴君がもし礼によって諸侯に命を発するというのであれば、決められた数があります(上公九牢・侯伯七牢・子男五牢)。もし貴君も礼を棄てるというのであれば、淫者(度を越えた者)となります。周が王となって礼を制定してから、上物(上等の物。天子が諸侯をもてなす時の礼数・十二牢等)は十二を越えることはありませんでした。これは天の大数だからです。それでも周礼を棄てて百牢を求めるのなら、執事(呉の執政者)の命を聞くしかありません」


 呉は結局、百牢を要求した。


 子服何は、


「呉はもうすぐ亡びることだろう。天を棄てて本に背いている。しかし与えなければ我が国に害を与えるだけだ」


 と言って百牢を贈った。


 呉の大宰(太宰)・伯嚭はくひが魯の季孫肥きそんひを招いた。季孫肥は、


(なんという図々しさか)


 と怒り、断るたけに子貢を送ることにして、彼に辞退させた。


 伯嚭が問うた。


「国君は遠くまで外出したにも関わらず、大夫が門を出ないのは何の礼ですかな?」

 すると子貢はこう答えた。


「これは礼ではございません。ただ大国を恐れただけであり、大国を恐れたから国君自ら国を出て会に参加したのです。大国が礼を用いず諸侯に命じておりますが、大国が礼を用いなければ、小国にはその結果を測り知ることができません。そのため我が君が大国を恐れて既に命を受けたのです。そのため臣が国を棄てるわけにはいかないのです」


 つまり、国君が自ら会に参加したために、臣下は国君が留守にしている国を守らなければならないため出向くわけにはいかないということである。


「大伯(太伯。呉の祖)は端委(玄端の衣と委貌の冠。周の衣冠)を身につけて周礼を守りましたが、仲雍が継いでからは断髪・文身(刺青)し、裸の身体に装飾をつけました(仲雍は周礼を棄てて呉の風俗に従いました)。これのどこに礼があると言えるのでしょうか。全ての事に理由があるから現在の状態があるのです」


 哀公は鄫から帰国後、礼を棄てた呉は大事を成せず、覇業を成就することもできないと判断した。


 季孫肥は邾を討伐しようとし、大夫を饗(享。宴の一種)に招いて相談した。だが、邾は呉に服従している国であり、これを攻めれば、呉を怒らせかねない。子服何が言った。


「小国が大国に仕えるのは、信があるからです。大国が小国を守るのは、仁があるからです。大国に背くのは不信であり、小国を攻めるのは不仁です。民は城によって守られ、城は徳によって守られているのです。二徳(信と徳)を棄てれば、危険を招きます。これでどうして守ることができると言うのでしょうか」


 主戦派の仲孫何忌ちゅうそんかきが諸大夫に対して言った。


「二三子(汝等)はどう思うか。賢策を受け入れよう」


 諸大夫は言った。


「禹が塗山に諸侯を集めた時、玉帛を持って来た国は万国もございました。しかし今でも存続している国は数十もありません。これは大国が小国を守らず、小国が大国に仕えなかったためです。危険を知りながらなぜそれを言わないのでしょう。魯の徳は邾と同等にも関わらず、大衆によって圧力を加えるのが正しい事でしょうか?」


 季孫肥も仲孫何忌も不快なまま享宴を解散させた。


 秋、哀公が邾を攻撃した。


「礼の無いことだ」


 子貢は吐き捨てるように言った。


 魯軍が范門(邾の郭門)に来た時、まだ鐘声(音楽)が聞こえた。


『春秋左氏伝』ではここで、


「大夫が諫めても諫言を聞かなかった」


 と書いているが、主語が無いため、魯の大夫が哀公を諌めたのか、邾の大夫が邾の隠公いんこうを諌めたのかがわからない。


 邾の大夫・茅夷鴻が呉に援軍を求めよう進言したが、隠公は拒否した。


「魯の柝(竹や木の打楽器)の音がここにも聞こえており、魯軍は間近にいるのだ。邾と呉は二千里も離れているために、三カ月以上待たなければ援軍は到着しない。我々を援けるのは無理だ。そもそも国内の備えでは足りないのか?」


 茅夷鴻は邾都から離れると茅の地で兵を起こした。


 八月、魯軍は邾都に入り、公宮に駐軍した。各軍が日中に略奪を行った。


 邾の人々は繹を守ったが、夜、魯軍が繹を攻めて略奪し、隠公を連れて帰国した。


 隠公は魯の亳社に献上され、負瑕(地名)に幽閉された。


 茅夷鴻は束帛(五匹の帛をまとめた物)と乗韋(四枚の牛皮)を持って呉に入り、援軍を求めた。


「晋が弱くなり呉も遠いため、魯は多勢に頼って貴君の盟に背き、貴君の執事(執政官)を軽視し、我が小国を虐げております。邾は自国を愛するのではなく、貴君の威信が立たなくなることを畏れております。貴国の威信が立たないのは、小国の憂いです。夏に鄫衍(鄫)で盟しながら秋にそれに背き、求めた物が全て満足できるというのであれば、四方の諸侯はどうして貴君に仕えることができましょうか。本来、魯の賦(軍賦。兵力)八百乗は貴君の貳(助手)であり、邾の賦六百乗は貴君の私(私属。部下)です。私(邾国)を貳(魯)に送ることを(邾も魯も呉の下に居るため、邾が魯に併合されることを)、貴君はよくお考えくださいませ」


 呉王・夫差ふさは納得した。








 その頃、宋が曹を包囲した。


 鄭の子思しし子産しさんの子・国参こくさん)が言った。


「宋人が曹を有せば、鄭の患いとなる。援けなければならない」


 冬、鄭の駟弘しこう子般しはん)が曹を援けるため軍を出した。


 かつて、ある曹人が夢を見た。複数の君子が社宮(社は曹の国社。宮は社の壁)に立ち、曹滅亡について相談しており、曹叔振鐸(曹の祖)が君子達に、


公孫彊こうそんきょうまで待ってほしい」


 と訴えると、君子達は同意したという夢である。


 翌朝、男が公孫彊という人物を探したが、曹にはいなかった。そこで自分の子にこう言った。


「私が死んでから、もし公孫彊という者が政治をするようになれば、お前は必ず国を去れ」


 曹伯陽そうはくようが即位すると、田弋(狩猟。鳥の狩り)を好んだ。


 曹の鄙人(辺境の人)・公孫彊も弋(鳥の狩り)を愛していたため、白雁を捕まえて曹伯陽に献上し、田弋の技巧について語った。


 喜んだ曹伯陽は公孫彊を気に入って政事についても意見を求め、ますます寵信するようになった。公孫彊は司城として政治を行うようになった。


 夢を見た男の子供は父の言っていた男だと思い、曹から去った。


 公孫彊は覇者になるための策略を曹伯陽に語り、曹伯陽はそれを信じた。そこで曹は晋に背き、宋を侵すようになったのである。


 この年、宋が曹を攻撃しましたが、晋は援軍を出さなかった。


 公孫彊は国都の郊外に五邑を築いた。黍丘・揖丘・大城・鍾・邘という。


 紀元前487年


 正月、前年から曹を攻撃していた宋の景公けいこうは兵を還すことにし、大夫・褚師子肥が殿になった。しかし曹人が宋軍を罵ったため、殿が撤兵を止めた。先を進んでいた全軍が褚師子肥を待った。

 

 景公はその後、殿軍が罵られて撤兵を中止したと聞き、怒って兵を曹に還し、一斉に曹へ攻めかかった。 

 それによって曹は滅ぼされ、曹伯陽と司城・公孫彊は宋に連れて行かれて殺された。









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