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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第十一章 崩壊する秩序
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鳳よ、鳳よ

外伝も更新しました。

 安孺子・荼が高氏と国氏によって擁立された斉で事件が起きた。


 田乞でんきつは以前から高氏と国氏に仕えるふりをし、毎回、上朝(朝廷に出勤すること)する時には、必ず高氏や国氏の車に同乗した。


 また、しばしば諸大夫についてこう話した。


「彼等は皆、偃蹇(驕慢横柄)であり、あなた方の命に背こうとしております。彼等はこう言っています『高氏と国氏は国君を得て(国君を擁立して政権を掌握し)、我々を逼迫している。彼等を除くべきである』と、彼等はあなた方に対して計謀を用いようとしているのです。あなた方は早く対策を考えるべきです。よく考えて、彼等を滅ぼすべきなのです。待つのは下策です」

 

 そして、朝廷に入ると彼は二氏にこう言った。


「彼等(大夫達)は虎狼と同じです。私があなた方の傍にいれば、いずれ私が殺されてしまうでしょう。彼等の近くに居させてください」

 

 高氏と国氏は卿であるため、朝廷では諸大夫と異なる場所にいる。田乞が二氏に従って卿の場所にいれば諸大夫の反感を招くことになるため、二人から離れて諸大夫の位置に戻った。

 

 場所を変えた田乞は諸大夫にこう言った。


「二子(高氏と国氏)が禍をもたらそうとしている。国君を得たことに頼り、二三子(諸大夫)を除こうと考えているのだ。また、こうも言っている。『国が多難であるのは、貴寵がいるからだ(景公けいこうに寵信されていた大夫が存在するからだ)。彼等を全て除けば、国君を安定させることができるだろう』彼等の計画は既に完成しているのだ。彼等が動く前に先手を打たなければ、後悔しても手遅れになるだろう」

 

 諸大夫は田乞の言葉を信じた。


 このように田乞は高氏、国氏と諸大夫らの間を行き来しながら、互いに互いを憎ませつつ、両者の陣営に対して自分との信頼関係を構築するという荒技を彼は行っていた。


(さて、そろそろ良かろう)

 

 六月、田乞は鮑牧ほうぼく鮑国ほうこくの孫)および諸大夫と共に、甲冑を身につけて公宮に入った。

 

 それを聞いた高張こうちょう国夏こくかと同じ車に乗って斉君・安孺子に会いに行き、荘(斉都・臨淄城内の大街)で諸大夫と戦った。しかし高氏と国氏が敗れてしまった。彼らに味方する者が少なかったためである。

 

 国人が追撃したため、国夏は莒へ奔り、後に高張、晏圉あんぎょ晏嬰あんえいの子)、弦施げんしと共に魯へ亡命した。

 

 この事件で生き残った高氏と国氏も権力を失い、田氏が斉で専横するようになったのである。


 田乞は一人、酒を飲んでいた。権力を独り占めにしたも同然の状況の中、彼はあまり喜びはなかった。


(私が欲しかったものがこうもあっさりと手に入るのか)


 晏嬰が生きていた頃はそのようなことはなかった。


(結局、あの爺さんが生きている間は、何もできなかったものだ。まあ良い。勝ち負けになんぞ興味はない)


 田氏一門がこの国を得る。それしか彼には興味はなかった。








 七月、陳を助けるため、楚の昭王しょうおうは城父に駐屯していたが病にかかった。


 その時、赤い鳥が集まったような雲が現れ、太陽を挟んで三日間飛んだ。

 

 昭王は人を送って周の大史(太史)に意見を求めた。この時、昭王は城父におり、楚都よりも成周の方が近かったため、周に使者を送ったのである。

 

 周の大史はこう答えた。


「恐らくあなたの身に何かが起きるでしょう。しかし禜(お払いの儀式)を行えば、令尹や司馬の身に移すことができましょう」

 

 昭王は苦笑した。


「腹心の疾(病)を除いて股肱(四肢)に移したとして、何の益があるのか。私に大過が無ければ、天が夭折させることはない。逆にもし罪があるのなら、謹んで罰を受けるべきじゃないか。咎を移すような真似はできない」

 

 昭王は禜を行わなかった。


 また、この話を聞いた諸将が自ら犠牲になろうとして神に祈祷すると昭王はそれを止めて言った。


「諸将は私の股肱というものであり、禍を股肱に移したところで、我が身から病を除くことはできない」

 

 昭王が病に伏していると卜人が、


「河(黄河)の祟りです」


 と言った。

 

 しかし昭王は黄河の祭祀を行おうとしなかった。大夫が郊外で黄河の神を祭るように勧めたが、昭王は言った。


「三代(夏・商・周)が祀を命じ(祭祀の制度を作り)、祭は望を越えない(祭祀は本国の山川を越えない)と決められた。江(長江)・漢・雎・漳が楚の望(祭祀の対象)だから、禍福が至る範囲もこれを越えてはならない。私は不徳ではあったけど、河(黄河)の罪を得ることはないとは思わないかい」

 

 昭王は祭祀を行わなかった。

 

 これを聞いた孔丘は、


「楚の昭王は大道を理解している人であった。国を失わず、復国できたのも当然のことだ」


 と評価した。


 昭王は呉と戦おうとする前に卜をすると「不吉」と出た。撤兵を卜っても「不吉」と出た。昭王は苦笑して言った。


「いずれにしても死ぬしかないね。再び楚軍を敗北させるくらいならば(一度目の敗北は柏挙の役のこと)、死んだ方がマシだけど、盟を棄てて陳を援けず、讎(呉)から逃げることと較べれば、死んだ方がマシだから、同じように死ぬのならば、讎との戦いによって死んだ方がいい」


 そう言って、彼は大臣を集めた。

 

 昭王は大臣の前で公子・しん子西しせい)に王位を継承させようとしたが、公子・申は辞退した。そこで公子・けつ子期しき)に継承させようとしたが、公子・結も辞退した。最後は公子・けい子閭しりょ)に継承を命じた。公子・啓は五回辞退してからやっと同意した。

 

 昭王が大冥(地名)への攻撃を開始すると、病が一気に悪化し、動けなくなった。


(ここまでか……まあ大丈夫、やるべきことはやった。後継者も決めたし、国の大事を任せるだけに人材もいる。うん、潮時というやつだね)


 彼は城父で死んだ。

 

 楚の昭王という人は暗君の子として生まれ、暗君の残した負の遺産のために国は滅ぼされかけ、自分は追われる目に合ったものの、多くの人に助けられて国を復興させることに成功した。


 歴代の楚の君主の中においては、荘王そうおうとは違うあり方で人を使うのが上手かった人でもあった。

 

 彼の死後、子閭が言った。


「王は自分の子を棄てて我々に王位を譲ろうとした。群臣は王を忘れてはならない。王の命に従うのは順だが、王の子を立てるのも順である。二つの順は失うべきではない」

 

 子閭は子西、子期と相談し、秘かに撤兵することにした。


 先ず、呉から楚に通じる道を封鎖し、越女(越王・句践こうせんの娘。昭王の妻妾)が産んだ子・しょう(熊章)を迎えて国王に立てた。


 これを楚の恵王けいおうという。彼の王位が安定してから兵を還した。







 孔丘一行は楚に向かっていた。すると彼らの後ろから走ってくる者がいた。


 楚の狂人・接輿せつよである。


 彼は歌を歌いながら孔丘らの傍を駆け抜けた。その歌の内容はこうである。


「鳳よ、鳳よ、なぜその徳がふるわないのだろうか。去った事は諫められないが(取り返しがつかないが)、これからの事は追いかけられるのだから、今までの行いを改めて隠居しよう。あきらめよう、あきらめよう。今、政治を行っている者は皆、危険だ」

 

 孔丘は驚きつつも接輿と話すために車から降りたが、接輿は走り去り、話しをする機会を与えなかった。


「あれは一体?」


「あの方は隠者だ」


 孔丘は去っていく接輿の姿に悪い予感を覚えた。そして、しばらくして昭王が亡くなったことを知った。


「そうか楚王が……」


 もしかすれば孔丘と共鳴する可能性のあったかもしれない国君が世を去った。


 孔丘は自分の心に冷たい風が吹くを感じた。


「鳳よ、鳳よ、なぜその徳をふるわす機会が与えられないのか」









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