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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第十一章 崩壊する秩序
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宰我

 紀元前489年


 孔丘こうきゅうが蔡から葉(楚の邑)に入った。


 葉公・諸梁(楚の大夫)が彼を迎え入れ、彼に政治について問うた。すると孔丘はこう答えた。


「政治の秘訣は、遠くの賢人を招き、近くの者を帰服させることにございます」


 その言葉を近くで聞いていた子貢しこうが孔丘に訪ねた。


「以前、斉君(斉の景公)が先生に政治について質問された時、先生は『政治の要は節財にある』とお答えになったと聞いています。また、魯君(魯の定公ていこうが質問された時は『政治の要は臣下を理解することにある』とお答えになりました。そして、今回、葉公が質問された時は、『遠くの賢人を招き、近くの者を帰服させることにある』とお答えになりました。三者の問いは同じであるにも関わらず、なぜ先生のお答えは異なるのでしょうか。政治には違いがあるのでしょうか?」

 

 孔丘は言った。


「それぞれにやり方があるのだ。斉君が国を治める時は、台榭(楼台)を多数建造し、苑囿で遊び、五官(目耳鼻舌身のこと)伎楽が休むことなく、一朝に千乗の車を賞賜として三家に与えたこともあった。だから『政在節財』と言ったのだ。魯君には三人の臣下(三桓)がいたが、三人は国内で結束してその君をないがしろにし、国外では諸侯の賓客を拒み、その明察を覆っていた。だから『政在諭臣』と言ったのだ。楚は国土が広いが都は狭く、民は離心して居住を安定させていない。だから『政在悦近而来遠』と言ったのだ。三国は状況が異なるために政治も異なって当然ではないか。『詩』にはこうある『国が乱れて国庫が空になったというのに、我が民衆を救済しようとしない(『大雅·板』)』これは奢侈不節によって国を乱した者を憐れんでいるのである。またこうもある『臣下が職を守らず、王の憂いとなる(『小雅・巧言』)』これは奸臣が主を覆って乱を招くことを憐れんでいるのである。そしてこうともある『乱離に苦しむ。どこに帰れば良いのだろうか(『小雅・四月』)』これは民衆が離散して乱を招いた者を憐れんでいるのである。この三者をみれば、政治が必要とすることが同じではないと分かるだろう」

 

 後日、葉公が孔丘について子路しろに問うた。しかし子路はどう答えればいいか分からず、何も話すことはなかった。

 

 それを知った孔丘は彼を招き言った。


「由(子路の名)よ。お前はなぜ『あの人は道を学びながらも飽きることなく、人に教えて厭うことなく、学問に発奮すれば、食事も忘れて楽しい時には、憂いを忘れ、老いが迫っていることも知らないほどである』と言わないのか」


 自分というものをこのような表現を持って、他者に示すことができるのは、彼ぐらいだろう。


 それから数日後、葉公が孔丘らを呼び言った。


「楚王に使者を出すのだが、その使者にあなたの弟子の方々を使わしていただきたいのですが、よろしいか?」


「構いません」


「では、誰か適当な者を推薦していただきたい」


 孔丘の後ろで控えていた弟子たちは皆、子貢が選ばれると思った。弟子の中で最も弁舌に長けた人物だからである。


 だが、孔丘が推薦したのは子貢ではなかった。


「では、宰我さいがを推薦いたします」


 弟子たちは師の推薦を意外に思えた。


 宰我という人物は孔丘の弟子の中では異質な人物である。怠け者で、道徳を軽視するところがあるからである。そのため子路とは別の意味で手のかかる弟子の一人であった。


 ともかく宰我が楚の昭王しょうおうの元に葉公の使者として出向いた。


 要件は簡単な報告のみであったが、謁見した宰我に対し、昭王は言った、


「君は孔丘の弟子の一人であると聞いている」


「はい、左様でございます」


「君の師の名声はこの楚にも届いていてね。そこでそれを尊重してこれを君の師に贈ろうと思うのだが、これで良いかい?」


 昭王は象牙で装飾した安車(小車)を見せた。しかし宰我は、


「先生はこのような物を必要としておりません」


 と断った。


「何故だい?」

 

 昭王は彼の言葉に興味を覚え、理由を問うた。すると彼はこう答えた。


「先生の様子を観察しておりますとそのことがわかるのです」


「もっと詳しく話を聞きたいな」

 

 昭王が詳しく説明を求めると宰我は、


「私が先生に従うようになってから観てきた姿は、発言は道から離れることがなく、行動は仁から違えることがなく、義と徳を尊び、清素で倹約を好み、士官して俸禄を得ようともそれを蓄えることなく、道に合わなければ去り、退いても吝心(恥辱と思う心)を持ちません。その妻は綵(彩色の服)を着ず、妾は帛(絹の服)を着ず、車器(車や器物)には装飾がなく、馬は粟を食べず、道が行われていればその政治を楽しみになり、行われていなければその身(自分のやるべきこと)を楽しんでおります。これが先生です。麗靡(華美)を目にし、窈窕の淫音(礼から外れた音楽)を耳にしようとも、先生は度が過ぎていれば、視ることも聞くこともございません。だから私には先生がこの車を必要としないと分かるのです」


 と言った。

 

「なるほど、それならば、先生が欲しているのは何かな」

 

「今の天下は道徳が廃れております。先生の志はそれを復興させて行わせることにございます。天下に正しく政治を行おうとする国君がいて、道を成すことができるようであれば、先生は歩いてでも朝見に行くことでしょう。このようでありますので、遠く離れた国君の重貺(厚い賞賜)を必要とすることはございません」

 

 昭王は頷き言った。


「君の師の徳は大きいなあ」

 

 帰った宰我がこの事を孔丘に話すと、孔丘が弟子達に問うた。


「二三子(汝等)よ、我の言をどう思う?」

 

 子貢が真っ先に答えた。


「まだ先生の美を語りつくしているとは言えないでしょう。先生の徳の高さは天に匹敵し、深さは海に匹敵します。宰我の言は行動の実(事実)を述べているだけに過ぎません」

 

 孔丘は首を振り言った。


「言とは、実(真実)があるから人を信じさせることができるのだ。実を棄てて何を称すことができるだろうか。賜(子貢の名)の華(美辞)は我(宰我)の実に及ばない」


 言葉は何でもかんでも飾り付ければ良いというわけではない。言葉というものは飾り付けが度を超すと、却って伝えたいことを隠してい、まるで媚びたような言葉になってしまう。それでは意味がない。


 宰我は決して弟子としては、孔丘の教えに対して、従わない部分が多いものの、物事の本質をしっかりと見据えようとする目を持っている。


 孔丘はそれを愛した。

 

  (しかし、楚王か)


 宰我の話を聞く限り、昭王は良質の君主に見える。


 だが、孔丘は彼が楚の王であるということが二の足を踏ませた。


 彼は結局、蔡へ戻ることにした。




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