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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第十一章 崩壊する秩序
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国を揺らす者

外伝も更新しました

 夏、斉の景公けいこうが宋を攻めた。

 

 景公が宋を攻撃した時、岐堤(堤防の名)に登って四方を眺め、深く嘆息した。


「昔、我が先君の桓公かんこうは長轂(兵車)八百乗で諸侯の霸者となった。今、私は長轂三千乗を擁しているものの、ここ(宋の地)に久しく留まることもできない。これは管仲かんちゅうがいないからだろうか」

 

 これを聞いた弦章げんしょうが言った。


「『水が広ければ魚は大きくなり、主が英明ならば、臣は忠臣になる』と申します。昔は桓公がいたから管仲がいたのです。今も桓公がここに居れば、車の下の臣は全て管仲になることでしょう」

 

「ああ、汝の言うとおりである」


 景公は自らの言葉を悔いた。

 

 晏嬰あんえいが死んで十七年が経ったある日、景公が諸大夫と共に酒宴を開いたことがあった。そこで景公は自分の矢の腕を披露したが、矢は全て的から外れてしまった。ところが諸大夫は堂上で、


「善」


 と言って喝采した。

 

 すると景公は顔色を変えて嘆息し、弓矢を投げ捨てて自室に戻ってしまった。

 

 その時、弦章が自室に入ってきたため、景公はため息とつきながら言った。


「章よ、私が晏子を失ってから十七年になるが、私の過ちに対して大夫の言葉から『不善』という言葉を聞いたことがない。今、私が射た矢が的から外れたにも関わらず、皆はそろって『善』と称えた」

 

 弦章は、


「これは諸臣の不肖であると言えます。彼等の知(智慧)は国君の不善を知ることができず、彼等の勇は国君の顔色を損なうことができません。しかし一つ原因がございます。国君が好むものに臣下は従い、国君の好物を臣下も食べると申します。尺蠖(尺取り虫)は黄色い物を食べれば、その身も黄色くなり、青い物を食べればその身も青くなるものです。国君にも人に媚びさせる言動があるのではないでしょうか?」


 と景公にも問題があることを述べた。

 

 景公は頷き、


「今日の言は、章が国君(師)であり、私が臣下(弟子)であるなあ」


 と彼の言を称えた。

 

 この時、海人(沿海の人。または漁業を管理する官)が魚を献上したため、景公は車五十乗分の魚を弦章に下賜した。


 弦章が帰る時、魚を載せた車が道を埋めた。

 

 彼は車を運ぶ御者の手を取るとこう言った。


「先程、口をそろえて国君の『善』を称えた者達は、皆、この魚を欲していた。かつて晏子は賞賜を辞退することで国君の行いを正させ、過失があっても隠さなかった。今、諸臣は阿諛によって利を求めているから、矢が的から外れてもそろって『善』と称えた。私は国君を補佐しているが、大きな功績が無い。それにも関わらず、魚を受け取れば、晏子の義に背き、阿諛する者を欲望に迎合させることになってしまう」

 

 弦章は魚を辞退した。

 

 君子(知識人)は、


「弦章の廉潔は晏子の遺訓である」


 と言って称えた。

 






 かつて斉の燕姫えんき(景公の嫡夫人)が太子を産んだが、成長する前に死んでしまった。

 

 後に諸子(妃妾)の鬻姒(または「芮姫」「芮子」)が荼という子を産み、景公の寵愛を受けることになったが、諸大夫は庶子の荼が太子になることに反対していた。


 荼は年少で母の身分も低く、行いも正しくなかったとされており、諸大夫は年長で賢明な公子を後継者に選ぶように望んでいたのである。

 

 諸大夫は景公の意志を確かめるため、こう聞いた。


「国君は歯長(老齢者)でございますが、まだ太子がいません。どうするおつもりでしょうか」

 

 景公は諸大夫が荼の即位に反対していることを知っていたこともあり、こう答えた。


「二三子(汝等)がそのように憂虞(憂慮)すれば、却って疾疢(病)を招くだろう。とりあえず楽(快楽)を図ればよい。国君がいないことを憂いる必要はないではないか」

 

 そんな風に言っていたが、やがて景公は病に伏すようになった。


 彼は国夏こくか高張こうちょうに命じて荼を後継者に立たせた。他の群公子は莱に移された。

 

 この決定を聞いた田乞でんきつは内心、喜んだ。


(我が一族の最高の好機はこれより始まる)


 田乞は景公が産んだ別の子・陽生ようせいと以前から仲が良く付き合っていた。彼を国君に立てるため、彼は行動し始めた。

 

 九月、景公が死に、公子・荼が立った。国君としての諡号は無く、安孺子あんじゅし(または「晏孺子」)とよばれる。


 田乞は国氏と高氏を通じて、莱にいる公子たちに脅しをかけるよう唆した。



 

 十月、公子・(または「寿」)、公子・、公子・黔が衛に、公子・しょ(または「駔」)、公子・陽生ようせいが魯に出奔した。

 

 莱人が公子たちの行動を見て歌った。


「景公が死んでも埋葬に参加しない。三軍の謀議にも参加しない。衆人よ、衆人よ、どこに行くというのだろうか」


 彼らの不孝さを嘲笑った。


 この男も、


「ああ、愚かな連中だ」


 田乞は笑う。


 斉の公室に連なる者たちを国から追い出した。


「さて、あとは」


 あとは斉で権力を握る諸大夫を取り除くだけである。


 斉という国は彼によって飲み込まれようとした。








 鄭の駟秦したいは富を有して奢侈であったが、嬖大夫(下大夫)であった。しかし度々卿の車服を庭に並べて自慢していた。


 鄭人は彼を嫌い殺してしまった。


 子思しし子産しさんの子・国参こくさん)が言った。


「『詩(大雅・仮楽)』にこうある『職位にあって努力を惜しまなければ、民は安寧を得ることができるものだ』その位を守らず越権して久しく維持できた者は数少ない。『商頌(詩経・商頌・殷武)』にもこうある『礼を越えず乱さず、怠惰にもならなければ、天は多福を与えると』」

 



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