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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第十一章 崩壊する秩序
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越王の信頼

 十月、呉の洩庸せつようが蔡に出向く度に聘礼を贈っていたが、同時に少しずつ兵を蔡に進入させていた。


 呉軍が新蔡(蔡都)に集結した時、蔡人はやっとそれに気づいた。


 恐れた蔡の昭公しょうこうは呉に遷る計画を大夫に告げた。遷都に反対する公子・を殺し、呉を安心させてから、号哭して先君の墓陵を遷した。


 十一月、蔡が州来に遷った。


 越王・勾践こうせんが呉に連れて行かれてから一年が経った。


 勾践は呉にいる間、細々と目立たないように暮らし、王とは思えない生活を送っていた。幽閉されている場所は、冬の寒さを防ぐような備えをされてはおらず、食事も決して良いものとは言えなかった。


 そのような情報が越に持たされてると、それを聞いた国民は涙を流し、大夫たちに中には呉に攻め込むなどと言った過激な考えを主張する者さえ出てきた。


 しかしながら越の人々を政務を預かっている文種ぶんしょうらが、宥めていた。


「このように挑発するかのような報告をするのは、恐らく我々を怒らせようという魂胆であろう」


 計然けいぜんはそのように説明を行った。


「恐らく伍子胥ごししょの差金だろうね」


 そう言った諸稽郢は何度も越に出向き、勾践の待遇を良くしようとしていた。


「暗殺の可能性があるため、王の元には計然殿が私にお与えになりました兵も同行させていますが、どうでしょうか。暗殺を図る可能性はあるでしょうか計然殿」


 范蠡はんれいが尋ねると、計然は答えた。


「可能性は低いとは思うが、伍子胥が越を滅ぼすことを諦めない限り、可能性はある」


「まあ、范蠡殿の兵が居れば大丈夫じゃないかな。問題があるとすれば、王がどこまで我慢ができるかだ」


 諸稽郢はそう言った。国内は文種が国民を宥めていることもあって、心配はないが幽閉されている勾践が今の生活を嫌って自暴自棄になれば、呉越の間で再び戦になってしまうかもしれない。


「ええ、そのため私は一度、王の元に出向こうと考えています」


「范蠡、汝は呉に一度、反旗を翻した身だ。呉に行けば、殺されてしまうかもしれぬ。だからこそ今まで呉の前に出てこなかったじゃろう」


「そうだとも范蠡。行くのは危険すぎる」


 計然と文種が止めたが、范蠡は首を振った。


「王はまだ若い方です。あのような扱いを受け、耐えられるかどうかはまだわからない。様子を直接見てみたい」


「それならば、汝以外の者の元を行かせてはどうじゃ?」


「いえ、文種は国民をまとめる仕事がありますし、計然殿は群臣をまとめる仕事があります。諸稽郢殿は、呉と楚との外交を担っておいでです。自由に動けるのは私ぐらいだ」


 范蠡は、そう言って少し笑みを浮かべて、


「それに相手に私の存在を知られずに王にお会いする方法は既に考えております」


 と言った。







 実は范蠡は越にある人物が来ていることを知っていた。


「お久しぶりです。扁鵲へんじゃく先生」


「おお、汝か」


 扁鵲はかつて范蠡が大怪我をした時に治療してくれた人物である。


「どこか病かのう?」


「いいえ、実は頼みがありまして、参ったのです」


「ほう、聞こう」


 范蠡は呉都に越王・勾践が連れて行かれた経緯と、勾践に会うことを伝えた。


「それで私に何をせよと?」


「今、呉王の元に先生も知っている西施せいし様が呉王の妾となっております」


「ああ、あの嬢ちゃんがか……なるほどのう。つまり嬢ちゃんの治療と称して、呉に入る時に汝を同行させるということじゃな」


「はい」


 西施は元々身体が弱い女性で、幼少の頃に扁鵲の治療を受けていた。


「また、何回かそれをお願いしたいのです」


「ふむ……おいこっちへ来い」


 扁鵲は范蠡の願いを聞くと少し考えてから、弟子の中の一人を呼んだ。


「お前に扁鵲の名を与える。今度からはお前が一部の弟子たちを率いて天下を回れ良いな」


「はっ承知しました」


 扁鵲という名は代々伝えられてきた名であった。


「うむ、では范蠡殿。これでわしは自由に動けるようになった。汝の願いを聞こう」


「感謝します」


 先ず、范蠡は呉句卑を使って彼の娘であり、西施に仕えている鄭旦ていたんに、西施へ病気のふりをして、扁鵲を招くよう伝えさせた。


 それと同時に范蠡は扁鵲の弟子のふりをして、呉に入った。


「嬢ちゃんから招かれたわい」


「ええ、予定通りですね」


 扁鵲と范蠡は共に呉の宮殿に行った。


(昔よりも宮殿が大きく豪華になっている)


 昔の呉の宮殿はもっと質素であった。


「范蠡殿、ではここで」


「ええ、西施様によろしくお伝えください」


 范蠡は扁鵲一行から離れた。







 雪が舞う中、范蠡は勾践がいるという場所を訪れた。そこには古い屋敷があり、長いあいだ放置されていたかのうに壁はボロボロであった。


 これでは寒さは防げないと思いながら范蠡は近づいた。


 屋敷に近づくと牢屋の棒が見えた。そして、そこで静かにいる勾践の姿が見えた。勾践の服は埃まみれであった。


「王」


 范蠡は少し離れたところから声をかけた。しかし、声は届かなかったようで、勾践はぴくりとも動かなかった。


「王」


 もう一度、声をかけると勾践はぴくりと反応した。そして声のした方を探そうとキョロキョロすると、范蠡を見つけた。


 勾践が手招きしたため、范蠡は近づいた。


「何故、ここにいるのだ」


「王が困難にあるとお聞きし、参りました」


「范蠡……」


 勾践の目から涙が流れた。范蠡が危険を犯してまで来てくれたことが嬉しかったのである。


「国はどうだ?」


「文種が上手く治めています。過激なことをする心配はありません」


「そうか……」


 范蠡は目を細めた。


「王、もう少しの辛抱でございます」


 彼は勾践の手を取り、摩った。


「皆、王の待遇が良くなるよう努力しております。必ずや国に戻ることができます。もう少しばかりご辛抱を」


「ああ、わかっている。国のことは頼むぞ范蠡」


 勾践は范蠡の手を取り、そう言った。


「承知しました」


 范蠡は深々と拝礼した。







 范蠡は扁鵲と再び合流した。


「嬢ちゃんかからじゃ」


 扁鵲は西施からの書簡を渡した。そこには呉王・夫差ふさは斉や晋の方に目を向けているということや、伍子胥が越を滅ぼすことを何度も進言していることが書かれていた。


 范蠡はそれを呼んでから書簡を燃やした。


「戻りましょう」


 范蠡は扁鵲は越に帰国した。


「王はどうであった?」


 計然らが訪ねた。


「お体、お気持ち共に大丈夫そうでした。皆様方には国を頼むとおっしゃておりました」


「そうか」


 皆、勾践の無事を聞いてほっとした。


 その後、范蠡が皆から離れて屋敷に戻る途中、呉句卑に言った。


「王は難しい方だ」


「何が難しいのでしょうか?」


「仕えることがだ」


 彼は勾践との会話で、文種が国を上手く治めていることを伝えると僅かだが、勾践の目に淀みを見た。


(あの王の信を買うのは難しい)


 だが、此度のことで自分への信は大きくなっているだろう。


(後のことは後だ。今は王の釈放を早めることに集中しなければならない)


 されどこの時から彼は勾践から離れる時のことを考えるようになり、何度も今回のように勾践の元に訪れ続けた。



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