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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第十一章 崩壊する秩序
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私を理解するものは何処にいるのか

 陳を去った孔丘こうきゅうは衛の蒲に着いた。すると衛の公叔氏が蒲で叛し、蒲人は孔丘を拘留した。

 

 この時、弟子の公良孺が自分の車五乗を率いて孔丘に従っていた。公良孺は背が高く、賢能と勇力を持っている。

 

 公良孺は孔丘に言った。


「以前、先生に従い、匡で難に遭い今、またここで難に遭いました。これは天命と言えましょう。戦って死んでもかまいません」

 

 そう言った公良孺は蒲人たちの中に飛び込み、暴れまわった。


 その強さに蒲人たちは恐れて孔丘に言った。


「衛に行かないようならば、逃がしてやる」

 

 孔丘は同意し、蒲人と盟を結んでから東門から出て行った。

 

 ところが孔丘は衛に向かった。子貢しこうはこの師匠の行為を不思議に思った。礼に反する行為だと思ったからである。


「盟に背いてもよろしいのですか?」


 と聞くと、孔丘は、


「脅迫された盟を神が聞くことはない」


 と答えてそのまま衛に向かった。

 

 

 

 衛の霊公れいこうは孔丘が来たと聞くと喜び、郊外まで出迎えに行った。

 

 霊公が聞いた。


「蒲は討伐することができるだろうか?」

 

「できます」

 

 孔丘は即答した。霊公は、


「大夫達は討伐するべきではないと言っている。蒲は衛にとって晋・楚に対抗する要地だ。衛がそれを討つのは、相応しくないのではないだろうか?」


 と言い始めた。

 

「蒲の男子は死の志(命をかけて忠義を守る心)があり、婦人は西河(衛)を守る志がございます。私が討伐するというのは、四五人に過ぎません」

 

 孔丘がそう言ったため霊公は、


「善し」


 と言ったが、結局のところ蒲を討伐することはなかった。

 

 霊公は年老いていたため、政治を怠り、孔丘を用いることもなかった。

 

 孔丘は嘆息して、


「本気で私を用いる者がいれば、期月(一年)だけで三年の成果を挙げることができるのだがなあ」

 

 と言って衛を去った。







 衛を去った途中で、孔丘は琴の音を聞いた。


 音のする方に行くと、一人の男が琴を弾いていた。男の名は師襄子しじょうしと言った。


「先生、私に琴を教えてください」


 孔丘はそう願い、師襄子に琴を習った。しかし、十日経っても彼は新しい曲を習おうとしなかった。

 

 師襄子は、


「新しい曲を習ってもよい」


 と言ったが、


「私はこの曲を習いましたが、まだその数(技巧)を習得しておりません」


 と言って曲を習おうとしなかった。

 

 暫くして師襄子が、


「既に数を習得している。新しい曲を習ってもよい」

 

 と言ったが、孔丘は、


「私はまだその志(心意。含蓄)を習得しておりません」


 と言った。

 

 暫くして師襄子は、


「既に志を習得している。新しい曲を習ってもよい」

 

 と言ったが孔丘はまたしても、


「私はまだその人(曲を作った人)を体得していません」


 と言った。暫くの間、孔丘は静かに深思していると、やっと満足した様子で顔を挙げ、言った。


「私はその人を体得することができました。彼は色が黒く、身長が高く、眼は遠くを望み、四方を治める王のようでございました。文王ぶんおうでなければこの曲を作ることはできないでしょう」

 

 師襄子は席を離れて再拝し、


「我が師はこの曲を『文王操(現在は伝わっていません)』と呼んでおりました」


 と言って彼を尊重した。






 十一月、趙鞅ちょうおうは朝歌(范氏・中行氏)を攻撃した。


 当時、晋の佛肸ふつきつが中牟(趙氏の邑)の宰(長)を勤めていた。

 

 趙鞅(趙簡子)が范氏と中行氏を討伐に動くと、中牟は趙氏に背いた。佛肸は使者を送って孔丘を招いた。

 

 孔丘はこの招きに応じようとすると、子路しろが止めた。


「かつて先生は『自ら不善を行う者がいれば、君子はそこに行かないものだ』とおっしゃておりました。今、佛肸は自ら中牟で謀反したのです。先生がそこに行こうとするのはなぜでしょうか?」

 

「確かに私はそう言った。しかし『堅い物は磨こうとも薄くならず、白い物は染めようとも黒くならない』とも言う。君子は悪人がいる場所に居ようとも自分が姦悪になることはないのだ。私は匏瓜(瓢箪)ではない。壁や柱に掛けておくだけで食べないというわけにはいかないであろう」


 自分は飾りに使われる瓢箪とは違い、実際に能力を発揮しなければ意味がないということである。しかし、彼は結局招きに応じることはなかった。

 

 そんなある日、孔子が磬(打楽器)を打った。蕢(草で作った篭)を背負った者が門の前を通り、その音を聞くとこう言った。


「心に想うものがあるようである。この磬の音には焦りがある。しかし、自分を理解する者がいないのも、仕方がないではないか。自分を信じるだけで充分であろう。焦っても意味はないのだから」


 この時の孔丘の心情を的確に射ていると言える言葉である。






 

 孔丘は衛に用いられなかったため、晋の趙鞅に会おうとした。

 

 しかし、彼が黄河に至った時、竇鳴犢と舜華の死を知った。孔丘は黄河を眺め、嘆息した。


「悠々と流れる黄河は壮大だなあ。私がここを渡ることができないのは命(天命)だなあ」

 

 それを聞いた子貢が小走りで進み出てその理由を問うと、孔丘はこう答えた。


「竇鳴犢と舜華は晋の賢大夫であった。趙鞅は、志を得る前にはこの二人に意見を聞いて政治を行っていた。しかし志を得れば、二人を殺して政治を行うようになった。『子を孕んだ動物を割き、幼獣を殺せば、麒麟が郊外に現れなくなり、沢の水を干し、魚を獲れば、蛟龍が陰陽に符合しなくなり、巣を倒して卵を割れば鳳凰が飛ばなくなる』という。これはなぜだと思う。それは君子は同類を傷つけないからだ。鳥獣でも不義の行為があれば避けるのだから、私はなおさらそうしなければならないではないか」

 

 孔丘はその場で、『陬操(琴の曲)』を作り、竇鳴犢と舜華を追悼した。

 

 後にまた衛に行き、蘧伯玉きょはくぎょくの家に厄介になることになった。


「また、来てしまい申し訳ない。蘧伯玉殿」


「お気になさらず、大したものは出せませんが、ごゆっくりくださいませ」


 蘧伯玉は、孔丘とその弟子たち全員を止めた。


「弟子たちにまでしっかりと礼を示すのは蘧伯玉殿だけだな。他だと俺たちは使用人のような扱いでしかない」


 子路はそう言うと子貢が同意した。


「そうだな。流石は衛一の名臣と言われるだけある」


「だが、俺は不満もある」


「不満だと、それは何だ?」


「衛君に先生を推薦しないことだ」


 子路はそう言った。確かに蘧伯玉は一度も孔丘のために推薦したことはない。


「今の衛に仕えることは、決して先生に良いというわけではない。口を謹んだ方が良いぞ子路」


「けっ」


 子路はふて寝した。

 

 後日、霊公が孔丘を呼び、軍の陣形について問うた。しかし孔子はこう答えた。


「俎豆の事(俎豆は食器。ここでは祭祀の礼の意味)について、私は学んだことがありますが、軍旅の事は学んだことがございません」

 

 翌日、霊公が再び孔丘と話したが、霊公は空を飛ぶ雁を眺めるばかりで、孔丘の言葉に集中しなかった。


「やっぱり駄目だ」

 

 孔丘は衛を離れて再び陳に行くことにした。


「蘧伯玉殿、申し訳ない」


「お気になさらず」


 蘧伯玉は孔丘たちが去っていくのを見送った。その姿が見えなくなると蘧伯玉の臣下が言った。


「迷惑な連中です。主は連中を迎えるために食事を減らし、連中の食事を用意され、無駄遣いを改めて衣服を用意し、部屋を整えて向か入れたというのに、直ぐにここを去ってしまうとは、何のために主が迎える準備を行ったというのか」


 そういった言葉に対し、蘧伯玉は特に何も言わなかった。こういう人である。





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