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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第十一章 崩壊する秩序

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匡での危機

 魯から旅立った孔丘こうきゅうが先ず最初に衛に行った。子路しろの妻の兄・顔濁鄒の家があるためであり、孔丘と弟子たちはそこで寄宿した。


「先生方、どうぞごゆっくりなさいませ」


「顔濁鄒殿、感謝する」


 孔丘は荷物を整理すると冉有ぜんゆうを連れ、衛見物をした。孔丘は、


「随分と人が多い国だ」


 と言った。魯は貧しい国であり、そこまで人が溢れかえるほどに道を行き来しているということはないため尚更思ったのである。


(斉もこのようであった)


 斉も衛も人が多い国である。すると冉有は、


「確かに人が多い国です。先生でしたらこの多くの人をどうなさいますか?」


 と問うた。孔丘は、


「まずは人々の日常生活を豊かにすることであろう」


 と答えた。冉有は更に、


「人々の日常生活が豊かになれば、次には何をなさいますか?」


 と問うた。孔丘は、


「教育である」


 と答えた。そして、孔丘は早速、魯で行っていたような教育の場を設け、衛の人々に学問を授けるようになった。その集まった衛の者たちの中に後に孔丘の弟子の中で優れた才を見せることになる子夏しかが混じっていた。


 こうして過ごす内に、孔丘が衛にいることが知られるようになり、興味を覚えた衛の霊公れいこうは孔丘を招いた。


「おっ先生を早速、目をつけるとは、衛君は中々の男なのではないか」


 子路は嬉しそうに言うが、子貢しこう顔回がんかいは渋い表情を浮かべた。


「難しいと思うよ」


 顔回がそう言うと子路は、食ってかかった。


「先生が衛君に用いられないと言うのか。現に招かれているではないか。それとも衛君との問答に失敗するとでもいうのか」


「そうではない。子路殿」


 子貢は首を振って言った。


「私も衛の者だからわかるのだが、衛という国は君は下、臣は上なのだ」


「どういう意味だ?」


「衛という国の君主は優れた者が少なく、臣下には優れた者が多いということだ。恐らく衛君に先生を勧めた臣下がいたのだろうが、衛君は優れた人と言うのは難しい人物だ。先生が用いられるかどうかは、難しいだろう」


 霊公に招かれた孔丘は、霊公に謁見した。


「お招きいただき感謝します」


「良い、良い、堅苦しいのは、抜きにしよう。さて汝は魯にいた時、俸禄はどれほどであった」


 魯にいた時の俸禄を問うと孔丘は、


「粟六万(恐らく六万斗)です」


 と答えた。


「そうか、そうか良かろう。汝にそれを与えよう」

 

 と、霊公は簡単に粟六万を孔丘に与えることを約束した。


 そのことを孔丘は戻って弟子たちに話した。するとそこに顔濁鄒が来て、孔丘に耳打ちした。


「どういうことか」


 耳打ちされた内容を聞き、孔丘は言った。


「兵がここを見張っている……」


「衛君の心変わりの速さですね」

 

 子貢はそう言った。確かに彼の言うとおり、霊公はある人から孔丘の讒言を聞き、公孫余假こうそんよかに兵を率いさせ、孔丘を監視させたのである。

 

「私がここにいては、顔濁鄒殿に迷惑がかかる出よう」


 孔丘は衛を出て、陳を目指すことにした。

 

 

 

 孔丘は陳に向かおうとして匡の地を通った。僕(御者)を勤める顔刻がんこくが鞭で匡城を指して言っら。


「以前、私はこの城に入ったことがあります。あそこに孔があります」


 と城壁の孔を指した。


 この会話を道にいた匡人がいた。


(何故、孔のことを知っているのか)


 そう思った匡人は村の人々にそのことを話した。


「あれを知っているということは、陽虎ようこの仲間ではないか」


 かつて陽虎は城壁の孔から匡に入り、匡人に対して暴虐を行ったことがあった。そのため彼らは陽虎のことを恨んでいた。


「そう言えば、馬車に乗っている男、陽虎に似ていたような」


「それは誠か」


「ならば、討つべきだ」


「そうだ、そうだ」

 

 匡の人々は孔子の一行を陽虎の一行だと思いこみ、一斉に孔丘一行に襲いかかった。


「おいおい、なんでこいつら俺たちを襲って来るんだ」


 子路は剣を抜くが、孔丘は、


「ならん、このまま逃げるぞ、誰も殺してはならん」


「しかし、先生」


「良いから殺すのは無しだ」


 子路は舌打ちしながらも剣で相手を斬ることなく、峰打ちに止めた。


 この混乱の中、顔回は子貢を呼んだ。


「子貢殿、ここは衛の甯氏を頼りましょう」


「そうだな、私が行く」


「お願いします」


 孔丘一行は何とか匡人の襲撃から逃れたが、五日間にわたって包囲されてしまった。その包囲の中、顔回と子貢がいなかったため、皆二人を心配する中、

 

 顔回が遅れて駆けつけた。孔丘はほっとして、


「汝は既に死んでしまったのではと思っていた」

 

 顔回はにこりと笑い、


「先生がおられるのです。私はまだ死ねません」


 と言った。


「ところで子貢はどこにいるか知っているか」


「私たちを助けるため、衛に向かい甯氏を頼ってもらっております」


「そうか」


(無事であるか)


 孔丘はほっとしつつも、現状の厳しさを再確認した。

 

 匡人はますます包囲を固め始め、弟子達は恐れ始めた。すると孔丘が言った。


文王ぶんおうは既に没したが、文(礼楽の制度)はここにあるのだ。天が文を滅ぼすつもりならば、文王より後から死ぬ者(孔丘)に文を委ねる必要もなかったはずである。天が文を私に委ねたのだから天が文を滅ぼすつもりはない。匡人に何ができようか」


 彼は弟子たちと鼓舞した。

 

 そんな中、甯氏と子貢が駆けつけた。


「匡の人々よ。彼は陽虎ではない。別人である。皆、矛を収めよ」


 甯氏が孔丘を守り、陽虎ではないことを証明したため、匡人は包囲を解いた。


「感謝します」


「いえ、ご無事で何よりです。ただ、孔丘殿、衛に戻ってもらいたいと我が君が申している。衛に来てもらえないだろうか」


 孔丘は少し悩んでから、


「助けていただいた恩義がございます。衛に参りましょう」


「感謝する」

 

 孔丘は匡を去って蒲の地に移動し、そこから衛に戻った。


「良くぞ参られた」


「ご厄介になります蘧伯玉きょはくぎゃく殿」


 孔丘ら一行は蘧伯玉の家に寄宿した。





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