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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第十一章 崩壊する秩序

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檇李の戦い

遅れました

 五月、呉が越(於越)に侵攻した。


「呉が攻めてきたか」


 喪に服していた勾践こうせんは喪を払い、この事態に対応することになった。


「呉の陣営は先鋒を伍子胥ごししょが努め、中軍は闔廬こうりょが率い、後軍は太子・夫差ふさが率いておりますが、彼を補佐する伯嚭はくひが率いていると言えましょう」


 文種ぶんしょうが勾践にそう報告する。


孫武そんぶとやらはどうしたのだ」


 勾践がそう聞くと霊姑浮れいこふが答えた。


「孫武は亡くなったと聞いております。王、孫武亡き呉など、怖くありませんぞ」


「確かにあの孫武さえいなければ、呉など恐るに足りません」


「そのとおりです」


 霊姑浮に続くように群臣たちは言う中、


「人の死を喜ぶ前に対策を考えることこそが我々の行うべきことではないでしょうか」


 范蠡はんれいが発言した。


「范蠡、無礼であるぞ」


「やめぬか」


 霊姑浮が范蠡に怒りを顕にしようとするのを勾践が止めた。


「だが、范蠡よ。孫武のいないのは幸運なことなのだ。皆が喜ぶのは無理がないのだ」


 勾践は笑みを浮かべながら言う。


「確かに孫武がいないことは大変、幸運なことであり、王の自信溢れるお姿から恐らく策があるのだと考えます。されど決してご油断なきよう」


「わかっている。汝は心配性だな」


 勾践は笑うと、霊姑浮たちも笑った。范蠡はそれを横目で見つめるだけであった。







「汝もよくわからぬ男だ。あの場で楚の介入の可能性のことを言えば良かっただろうに」


 計然けいぜんが范蠡にそのように言う。


「既に楚の申包胥しんほうしょとは話し合っています。問題ありません」


「そう言うことではないのだ」


 計然は頭を抱える。


「良いか。そう言った状況も時には生まれるということを王に学ばせるべきだと申しているのだ」


「信が無い中では難しいでしょう」


「信を得るために必要なことだと申している。本来、信というものは一朝一夕で得られるものではないのだ。汝も理解していよう」


 信頼関係というものは時間を掛けて積み上げていくものなのだ。


「理解はしています。しかしながら王は私を必要とはされていないのです」


「汝は大志があるのだろう。そして、その大志は王の信が無ければ得ることができないはずだ。呉の伍子胥を思えば良い。あの者は楚への復讐のため、呉王の信を勝ち取ろうと努力した」


(そして、その努力で私の父は死んだ)


 范蠡からすれば、伍子胥のそれのために父は踏み台になったのだと考えている。


「それは伍子胥のやり方です。私のやり方ではありません」


「やり方よりもどのように信を得られるかが大事なはずであろう」


「いずれ……王にとって私が必要な時が来ます。それが今では無い。それだけです」


 范蠡はそう言って去っていった。計然はその後ろ姿にため息を付いた。







 呉は越に向かって侵攻していた。


「王、越軍は檇李(または「酔李」。越地)に陣を構えたそうです」


「そうか」


 伍子胥の報告に呉王・闔廬は頷いた。


「汝はそのまま先鋒を努め、真正面から越軍に打撃を与えよ」


「それは構いませんが、少々進軍が遅いように感じるのですが、もう少し早く進軍しては如何ですか?」


 伍子胥はかつて孫武から軍では進軍の速さの重要性を学んでいた。


「そのような小細工など越に対しては、必要ない。何せこちらの方が兵は多いのだ」


 呉王・闔廬は彼の言葉を聞き入れず、そのまま進軍し続けた。その時、


「報告します。後方に敵兵が急襲しました」


「何、夫差のところか。直ぐに後軍の守りを固めさせよ」


 呉王・闔廬が指示を出す中、伍子胥は言った。


「王、くれぐれも慌ててはなりません。もしかすれば、兵の移動によって隙ができれば、そこに奇襲を仕掛けられる可能性があります。お気をつけください」


「わかっている」


 呉軍は越軍の急襲を上手く捌いた。






 

「ふむ、呉め。流石にそこまで上手くいかないか」


 句践は整然とした呉の陣形を眺めながら呟いた。


「戦は相手に混乱をもたらした方が勝つものだ」


 彼は死士(決死の士卒。または死刑囚)に急襲させて前列の呉兵を捕えさせた。しかし呉軍は全く動じることはなかった。


「先鋒は確か伍子胥だったか。地味だが、良い指揮だ」

 

 句践はにやりと笑った。そして、その傍に控えていた文種に言った。


「先ほど集めていた者を出せ」


「承知しました」


 文種は命令を受けて、陣頭にある部隊を出した。





「報告します。越軍の陣営から真っ直ぐこちらに向かう部隊があります」


 伍子胥は兵からその報告を受けて、越の陣頭から向かってくる部隊を見た。


「顔の所々に……刺青のようなものが見えるな。罪人か?」


 彼の言った通り、越軍から出てきた部隊は罪人で構成された部隊で三列に並び、呉軍に近づいていた。


 そして、ある程度、近づくと剣を抜き首において叫んだ。


「二君が軍を治め(会戦し)、私たちは旗鼓を犯した(軍令を犯した)。国君の隊列の前でありながら不敏(無能。不明)を示したため、我らはここで刑から逃げず死に帰さん」

 

 そう言い終わると囚人達は次々に自刎していった。異様な光景と言えた。何せ、いきなり自分たちの目の前で自決していくのである。


 最初、呉の将兵は驚きのあまり唖然としていたが、少しずつその異様な光景に恐れを抱き始めた。


(明らかに皆、士気が下がっている)


 伍子胥はこの異常な状態にどう対処すべきか悩んだ。






「ここからでも良く見える。呉軍は相当驚いているぞ」


 勾践は呉軍の動揺を見ると次の指示を出した。


「事前に決めていた通り、別働隊は中軍に攻めかかれ、別働隊の奇襲が上手くいくかが、この戦の勝利するための条件である。各自奮戦せよ」


「御意」


 皆が、命令に応じると一人、范蠡が進言した。


「王、一つ進言したいことがあります」


「范蠡、無礼であるぞ」


 霊姑浮が声を荒げるが、勾践が止めた。


「良い、言ってみよ」


「私は奇襲するべきところを後軍にするべきではないかと考えます」


 勾践は顔を顰める。


「どういうことか」


「先ほど、呉軍の実力を試す意味で奇襲を仕掛けた際、明らかに他の呉軍に比べまして、動きが鈍く感じました。鈍いところに仕掛けた方が良いのではないかと考えます」


「確かに汝の意見はわかる」


 范蠡の意見に勾践は頷きながら言った。


「鈍いからこそ、中軍へ仕掛けた時に援護する動きも鈍かろう」


 中軍に仕掛けた際の援護の動きが鈍ければ確かに有利ではある。


「話しはここでおしまいだ。当初の要諦通り、呉の中軍に奇襲を掛けよ。良いな」


「御意」





 霊姑浮率いる奇襲部隊が、呉王・闔廬の率いる中軍に奇襲を仕掛けた。


 先鋒の伍子胥は目の前で自決していく越兵がやっといなくなった時に奇襲を仕掛けられたことを知り、中軍を援護しようとしたが、前方の越軍が仕掛けてきたため、援護に迎えなかった。


 一方、夫差のいる後軍にも中軍への奇襲の報告を受けたものの、その動きは鈍かった。


 呉の中軍は孤立した。


「呉王はどこだ」


 霊姑浮は戈を持って、呉の陣営を駆け巡ると、そこに高貴な服をまとったものが馬車に慌てて乗ろうとしていた。


「呉王、覚悟」


 彼は呉王・闔廬に向かって、戈を撃ち込んだ。ちょうど闔廬は馬車に乗る直前で、やられたため、馬車の中に転び、足の将指(親指。手の将指なら中指)を負傷してしまった。


 その際に闔廬の片方の履物が取れたため、霊姑浮はそれを奪った。

 

 




 呉王、負傷の知らせは呉軍全体に広がった。この報告で慌てて、陣営を崩す後軍に対し、先鋒の軍は伍子胥の指揮の下、越軍の攻撃に耐えながら悠然と退却していった。

 

 呉軍は兵を還し、檇李から七里離れた陘という場所に至った。そこで呉王・闔廬は世を去った。


 楚を滅亡一歩手前にまで追い詰めた彼の死は呆気ないものであった。

 

 伍子胥は悲しむ暇もなく、呉軍を呉都に急いで撤退し夫差が王位に即けた。







「呉王、戦死するとはなんと素晴らしいことか」


 勾践は上機嫌で、霊姑浮の功績を認め、宴を開いていた。霊姑浮たちもこの戦勝に沸いた。


 その様子を范蠡は舌打ちした。


(この浮かれようはまるで呉が楚都を占領した時の浮かれようだ)


 彼は楚都を占領した時の呉軍の様子を思いながらまた、舌打ちした。


(まあ、虐げられる民がいないだけマシかもしれないが)


 呉は喪に服している国を攻めるという悪逆を行ったが、その引き換えに呉王が戦死するというのは、果たして釣り合っているのだろうか。


(殺すのでであれば、夫差だった方が良かったのだが)


 あくまで個人の感想的にはそう感じる。


(今回の戦で大きな恨みを買ったかもしれない)


 范蠡はそう思った。







 

 即位した夫差は庭に人を立たせると、自分が出入りする度に、


「夫差よ、越王が汝の父を殺したことを忘れたか」


 と問わせ、その都度に夫差は、


「忘れることはない」


 と答え、復讐の念を強めるようになっていた。


 呉越の戦いはまだ、始まったばかりであった。



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