董安于
趙鞅と趙無恤って仲が悪いと思うんですよね。
紀元前496年
以前、衛の公叔発が上朝(臣下が朝廷で国君に謁見し、政事の報告をしたり命を聞くこと)してから衛の霊公を享宴に誘ったことがあった。
公叔発は献公の孫である。
朝廷から退いた公叔発が史鰌(史魚)に会って霊公を宴に誘ったことを話すと、史鰌はこう言った。
「あなたは必ずや禍を招くことになりましょう。あなたは富裕であり、国君は貪欲だからです」
公叔発は頷いた。
「その通りだ。私があなたに先に話さなかったのは、私の過ちである。私は先にあなたに話すべきだった。しかし国君は既に私の誘いに同意してしまっている。どうすれば良いだろうか」
史鰌は答えた。
「あなたが臣下として礼を尽くせば、害から免れられます。富裕な者であっえも臣下の礼を守れば難から逃れることができます。これは尊貴な者であっても卑賎な者であっても同じです。しかし戍(公叔発の子)は驕慢ですので、亡命することになりましょう。富裕でありながら驕慢にならない者は珍しく、私はあなたしか見たことがありません。逆に驕慢にも関わらず、亡ばなかった者は、今まで存在したことがありません。戍はその一人になりましょう」
後に公叔発が死ぬと、霊公は富を持つ公叔戍を嫌うようになった。
それに気がついていない公叔戍は、霊公夫人(南子)の党を除こうとしたため、夫人が霊公に、
「戍は乱を起こすつもりですわ」
と訴えた。
春、霊公は公叔戍とその党を駆逐した。公叔戍は魯に、趙陽は宋に出奔した。
趙陽は公叔戍の党人で、衛の大夫・趙黶の孫である。
晋の梁嬰父は趙氏に仕える董安于を昔から嫌っていたため、荀躒にこう言った。
「あの者を殺さなければ彼は趙氏で政事を行い、趙氏が国を得ることになりましょう。なぜ先に難(前年の内乱)を発した罪を趙氏に問わないのでしょう?」
納得した荀躒は趙鞅に使者を送ってこう伝えた。
「確かに乱を起こしたのは范氏と中行氏ですが、乱を誘ったのは董安于である。よって彼も二氏と共に乱を謀ったことになるではないか。国には、禍を始めた者は死刑にするという命がある。二子は既に罪に服していることを敢えてお伝えする」
(董安于を殺せというのか)
だが、ここで庇うような真似をすれば、次は知氏と戦うことになる。ただでさえ、范氏、中行氏との戦いで自身の勢力も削がれている。
(今、戦うことは厳しい)
それでもそのことを引換に彼の命をかけることだろうか。それほどの価値はあると言えるのだろうか。
趙鞅は悩んでいると董安于が会いに来た。
「主よ。知氏から使者が参ったとお聞きしている」
「ならぬ。汝は趙氏のために尽くしてくれた。それなのに、汝を殺すなどありえん」
「私の死によって晋が安寧になり、趙氏が安定するというのであれば、私が生きている必要はありません。人は誰でも死ぬものです。私が死ぬのは遅いくらいです」
「ならぬ」
趙鞅は必死に彼の死を止めた。
帰宅した董安于は、
(趙鞅様にお仕えして、幸せであった)
趙鞅への感謝を思いながら首を吊って死んだ。
「董安于が死んだだと……」
趙鞅は董安于の死に唖然とした。
「どうなさいますか」
周りがそう言うが、趙鞅は唖然としたままでいると、
「木の実一つで、獣の腹を満たす。魚一匹で獣の腹満たす。獣の腹よりも人の欲の方が、厄介、厄介、早く満たしましょう」
そんな童子の声が聞こえてきた
「誰の声か」
趙鞅はその声の正体を知っていた。それだけに怒りが湧き出しそうになっていた。
「父上、お気をお鎮めください。あれは趙無恤の声ですが、深い考えを持ってのことでは……」
息子の趙伯魯がそう言って父を宥めようとする。
「無恤を連れて参れ」
「父上、どうか。どうか落ち着いてくださいませ」
「くどい。いいから連れて参れ」
こうして趙無恤が連れてこられた。彼は周りをキョロキョロ見ている。
「さっきの歌は何だ」
「歌……?」
趙無恤は首を傾げる。
「お前というやつは」
趙鞅は席を立つと趙無恤に近づき、そのまま彼を蹴飛ばした。
「父上、なんということをなさるのですか」
蹴飛ばされた趙無恤に慌てて、趙伯魯が駆け寄る。
「まだ幼子なのですよ」
「黙れ、こやつは……」
趙鞅は歯を食いしばり、言葉を発しようとしたが、止めた。
「不愉快だ」
そう吐き捨てると彼は臣下を解散させた。後に残ったのは、趙伯魯と趙無恤だけとなった。
「父上には後で謝ろうな」
趙伯魯は趙無恤の服の汚れを叩いていく。
「兄上、悲しんでいると人は動くことができません」
趙無恤は静かに呟いた。
「でも、怒りは人を動かすことができます。父上は止まってはいけないのです。どんなにも悲しくても……」
趙伯魯は趙無恤の目に涙が浮かんでいるのが見えた。
「そうだな。お前も董安于殿のことが好きだったもんな。あの方の思いは無駄にしてはいけないな」
二人は泣いた。
一方、部屋に戻った趙鞅は未だ怒りを顕にしていたが、ふと思った。
(無恤めわざと怒らせたか)
童子のくせになんと生意気なのか。そう思うと怒りがこみ上げていく。
(それでも決断しなければな)
趙無恤の歌っていた歌は決断を急かす歌であり、董安于の死を無駄にするなという思いもある。
(孺子めが……)
翌日、趙鞅は董安于の死体を市に晒し、知氏(荀躒)にこう伝えた。
「あなたが罪人・董安于を処刑するように命じられましたので、その罪に服させたことを報告致します」
荀躒は満足そうに頷き、趙鞅と盟を結んで協力を誓った。この後、趙氏は安定した。
その後、趙鞅は董安于を宗廟で祭った。最高の臣下への最大の敬意であった。
一人の男が横たわっていた。そこに二人の男が近くにいる。
「孫武殿……」
伍子胥は今にも命の炎が消えそうな孫武を心配そうに見る。そして、呉王・闔廬も傍にいる。
「王、伍子胥殿、越王・允常が亡くなった今が好機です。越を攻め滅ぼすべきです」
孫武は消えそうな声がそう言う。
「礼に反していることは確かですが、越は呉にとって脅威なのです。必ずや滅ぼさなければなりません」
「ああ、わかっている。もうしゃべるな孫武よ」
「越軍は我が軍に比べれば、強さはありませんが、しぶとさはあります。どうかくれぐれもご油断なきよう」
孫武はどうか、どうかと呟きながら息を引き取った。
「孫武よ。必ずや越を滅ぼす。どうか天涯にて見ててくれ」
その数日後、呉は越に侵攻した。後に言う檇李の戦いである。
孫武という人物の人物としての完成形が結局わからなかった。ある意味、小説向きの人ではないなと書いていて思いました。




