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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第十章 権力下降

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侯犯

 晋の趙鞅ちょうおうが夷儀の役の報復のため衛を包囲した。

 

 かつて衛の霊公れいこうが晋の邯鄲午かんたんご(邯鄲大夫・午)を寒氏(五氏)で撃ち、城の西北を攻め落として守備兵を置いた。その夜、邯鄲午の兵が壊滅した。

 

 今回、晋軍が衛を包囲すると、邯鄲午が徒兵(歩兵)七十人を率いて衛の西門を攻めた。衛は邯鄲午を恐れていないため、敢えて城門を開けて迎え入れた。


 邯鄲午は門内で衛人を殺し、


「寒氏の役に報復した」


 と宣言した。

 

 この様子を見ていた晋の涉佗は笑って言った。


「彼(邯鄲午)は確かに勇敢である。しかし私が行けば、門を開けようともしないだろう」

 

 涉佗も徒兵七十人を率いて早朝から衛の城門に迫った。七十人は門の左右に並んで立った。衛は涉佗を畏れて正午になっても門を開けようとしなかった。涉佗は満足して引き返した。

 

(面子よりも門を落とすことが武人ではないのか)


 趙鞅はそのことを聞くとイラつきを見せつつ少し考えると、


「これより兵を兵を還す。衛に使者を送って背反の理由を問え」


 と命じた。使者が来ると衛はこう答えた。


「涉佗と成何に原因がございます」


 それを聞くと趙鞅は、


「衛への誠意を示すべきであろう」

 

 晋は涉佗を捕えて衛と講和を求めた。


「どうするべきか」


 霊公は王孫賈おうそんか王孫商おうそんしょう)に問うた。


「お断りになるべきです。我々が斬るよりも晋に処罰を任せるべきです」


 彼の進言もあり、衛は晋からの申し出を拒否した。


「ならば、処罰するべきであろう」


 趙鞅はそう考え、進言した。晋は涉佗を処刑し、成何を燕に出奔させた。

 

 子貢しこう孔丘こうきゅうの弟子)はこの件についてこう述べている。

 

「王孫商は善謀(謀を善くすること)と言える人物である。人を憎めば、その人を害すことができ、憂患があればその憂患を解決し、民を用いようと思えば、民を帰心させることができた。今回の一挙でこの三者が全てそろったのだから、善謀と称すのに充分であろう」

 

 彼は孔丘の弟子たちの中で最も頭の切れる人物として知られることになる。

 








 斉が鄆、讙、亀陰の地(三邑とも汶陽の地)を魯に返還した。


 魯との関係修復を図るために斉は魯に対し、譲渡したのであった。

 

 そんな魯では、事件が起ころうとしていた。


 以前、魯の叔孫不敢は叔孫州仇を後継者に立てようとした。それを公若藐(叔孫氏の一族)が強く反対したが、叔孫不敢は叔孫州仇を後嗣に立ててから死んだ。

 

 後に公南(叔孫氏の家臣。州仇の党)が賊を使って公若を射殺しようとしたが、失敗した。

 

 公南は馬正となり、公若は郈(叔孫氏の邑)の宰に任命された。

 

 叔孫州仇の地位が安定すると、郈の馬正・侯犯に公若を殺すよう命じたが、また失敗した。

 

 圉人(馬を管理する者)が侯犯に言った。


「私が剣を持って郈の朝廷に行けば、公若は必ずや誰の剣か知ろうとするでしょう。私があなたの物だと告げれば、公若は必ず剣を見ようとします。その時、私が礼を知らないふりをして剣の先を彼に向ければ、殺すことができましょう」

 

 侯犯は頷き、圉人を派遣した。

 

 圉人は策通り、公若に剣を見せ、油断した公若に剣先を向けた。公若は死を悟り、


「汝は私を呉王・りょうにするつもりか」


「そのとおりです」


 圉人は公若を刺し殺した。

 

 郈の宰がいなくなったため、侯犯は郈を占拠して挙兵した。

 

 この事態に対し、叔孫州仇と仲叔何忌ちゅうそんかきが郈を包囲したが、勝利することはできなかった。

 

 秋、叔孫州仇と仲叔何忌は斉に援軍をもらうことを願い、斉軍と共に再び郈を包囲したが、やはり攻略できなかった

 

 叔孫州仇は武力で落とせないことから郈の工師(工匠を管理する官)・駟赤しせきに問うた。


「郈は叔孫氏の憂いのみならず、社稷(国)の患でもある。あなたはどうするつもりか?」

 

 駟赤はこう答えた。


「我が業は『揚水(詩経・唐風・揚之水)』末章の四言(四文字)です」

 

 これは『揚水』の「命を聞きます」を指す。

 

 叔孫州仇は駟赤に稽首した。

 

 駟赤が侯犯に言った。


「斉と魯の間にいながらもどちらにも仕えないというのはなりません。斉に仕えて民を治めるべきです。そうしなければ民が離反してしまいます」


「わかった」

 

 侯犯はこれに従った。

 

 斉の使者が郈に来ると、駟赤とその部下達が民衆にこう言った。


「侯犯は郈の地を斉に与え、斉は郈の民を遷そうとしているぞ」

 

 人々は移住を嫌い、斉を恐れた。

 

 そこで駟赤が侯犯に言った。


「大衆の意見はあなたと異なっております。民衆の乱に遭って死ぬくらいならば、この地を斉に与えて他の邑と換えるべきではありませんか。他の邑も郈と同じですし、禍を鎮めることもできます。郈にこだわる必要はないでしょう。斉は魯を威圧するために、この地を欲しておりますので、必ず倍の地をあなたに与えるでしょう。また、甲(甲冑)を門において不虞(不測に事態)に備えるべきです」

 

 侯犯は頷き、


「わかった」


 と言うと、まず多数の甲冑を門に置き、それから斉に使者を送って土地の交換を請うた。斉は有司(官員)を送って郈を視察することにした。

 

 斉の官員が来ると、駟赤は城中に人を送って、


「斉軍が来た」


 と叫ばせた。

 

 驚いた郈人は斉軍に対抗するために門に置かれた甲冑を身に着け、侯犯を囲んだ。駟赤は侯犯を守るふりをして郈人に向けて弓を構えた。しかし侯犯が止めた。


「私が禍から逃れる方法を考えてくれ」

 

 侯犯が郈人との戦いを避けて城から出ることを請うと、郈の人々は同意した。駟赤が先に宿(斉の邑)に入り、侯犯が殿しんがりになり、一つの門を出る度に郈人は門を閉じた。


 侯犯が帰ってくるのを畏れたためである。

 

 郭門(外城の門)まで来ると、人々が侯犯を止めた。


「あなたが叔孫氏の甲を着て出れば、有司(官員)が叔孫氏の甲冑が無くなったことを譴責するかもしれません。群臣は死を畏れております」

 

 駟赤は、


「叔孫氏の甲には標示がある。我々は持ち出していない」

 

 しかし侯犯は駟赤にこう言った。


「汝は留まって彼等と共に数を確認されよ」

 

 駟赤は郈に残り、魯人を迎え入れた。

 

 侯犯は斉に出奔し、郈の地図や戸籍等を譲った。郈は斉領になったが、斉はすぐに郈を魯に返還された。



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