動き出す運命
「いつになれば国に帰ることができるのだ」
天を睨みつけながら斉の公子・小白は言う。
「未だに天の時を得ていません。もう少しの辛抱でございます」
鮑叔は小白にそう言って宥める。
「天の時とはいつ得られるのだ」
苛立ちを顕にしながら小白は言う。
小白と鮑叔は斉を離れた後、小白の母の国である莒に出奔していた。
彼らを迎えた莒であるが決して彼らを優遇することはなかった。
そのため小白は莒で無意味に過ごすことに苛立ち始めていた。
鮑叔はそれでも未だ天の時を得ていないとして、莒から出ることを許可してくれない。
(今は耐えることです)
今、小白は天に試されている。如何なる人も天に試されている。その試練に打ち勝てなくては偉業などは成し遂げることはできない。
そして、その試練に打ち勝った時、天によって道を示される。今はその道は示されてはいないが必ずや天によってそれを与えられるその時まで小白は耐えなくてはいけない。
「天の意思とやらは守らなくてはならないのか」
「天の意思に背けば必ずや報いがあります。現に斉君はその報いを受けることになるでしょう」
襄公は即位してから戦に明け暮れ、多くの者を殺し、重臣を尊重せず、礼に背く行いばかりしている。
(そういった者は乱によって殺される)
襄公が乱に倒れた時が小白が斉の国君となる時である。またその乱に巻き込まれないようにこうして莒に逃れた。
「それはまだ来ないのか」
「まだです。しかし、そう遠くない時に起こるはずです」
鮑叔の言葉を聞いて小白は苛立ちを抑える。
「良し、しばらくは待とう。お前を信じると言ったからな」
小白は信じると言ったら、信じ抜くというところがある。そこがこの小白という人の良いところである。
小白と鮑叔は莒で天の時を待つ中、その時は近づこうとしていた。
紀元前686年
夏、魯と斉は郕を攻め包囲した。
その包囲は数ヶ月に及びこれに苦しんだ郕は降伏した。しかし、斉はこの降伏を自分たちだけのものとし、郕を占領した。
自分たちも戦ったのに、郕を斉だけのものにしたことに魯の仲慶父は怒って斉を攻めようと進言した。それに魯の荘公が言った。
「止めなさい。斉に何の罪があるというのだ。私に不徳であることが原因だ。『夏書』には『皋陶(夏王朝期の名臣)は徳を奨励し、民に徳が行き届いたから多くの者が帰順したとある。今は徳を修めることに励み、時機が来るのを待とう」
まだ若い荘公からこれほどの言葉が出てくることも驚きだが徳を失いつつある斉の襄公を見て、必ずやその報いを受けると彼は直感していたのである。
そして、斉で燻り続けていた乱の火種は今まさに燃え上がらんとしていた。
まずその火種が燃え上がったのは葵丘の地からであった。その地は斉に置ける辺境の地であり、そこを守っていたのは斉の大夫・連称と管至父の二人である。
二人がこの地の守備の任を与えられたのは瓜が実る頃であった。そのため襄公は二人に
「来年の瓜が実る頃にお前たちの任を解こう」
その言葉を信じて、この辺境の地を守り続けた。そして、瓜が再び実る頃になった。だが彼らの任は解かれることはなく、それを襄公に要請しても同意することはなかった。これを恨み二人は乱を起こすことを考え始めた。
乱を起こすために二人はある者に近づいた。公孫無知である。
彼は斉の僖公の弟の夷仲年の息子であり、僖公に寵愛され、当時の太子であった襄公と同じ扱いを受けていた。しかし、襄公はこれを恨み、自分が即位すると公孫無知を虐げるようになった。そのため公孫無知は襄公を恨んでいた。
そのことを知っている二人は公孫無知に近づき、襄公に対し謀反を持ちかけると公孫無知はこれに同意した。
「どのようにやつを殺すのだ」
公孫無知は連称に聞くと彼は答えた。
「私の従妹が後宮に居ります。ですが寵愛を受けることはないとのことです。そこで彼女に襄公の動きを知らせてもらおうと思います」
「そうか、私がお前の従妹に近づこう」
公孫無知は連称の従妹を誘い出し会うと話を持ちかけた。
「我らに協力すれば私はお前を妃に迎えよう」
彼がそう言うと襄公に一切寵愛を受けない恨みもあるのか彼女はこれに同意した。
それから数ヵ月後、連称の従妹から襄公が十二月に姑棼に行き、貝丘で狩りを行うと彼らに伝えられた。
「ならば貝丘で襲うか」
管至父がそう言うと連称が反論した。
「いや、狩りを行っているところは兵たちによって警戒されているはずだ」
「そうだな襲うとしたら、行きか帰りに襲うのが良いだろう」
公孫無知はそう言った後、少し、悩んでから言った。
「襲うのは狩りの帰りからにしよう」
「承知した。さっそく準備を始めよう」
彼らは襄公を殺すための準備を始めた。
そして、十二月、襄公は姑棼に向かった。今、管仲、鮑叔、公子・糾、公子・小白、それぞれの運命が大きく動き出そうとしていた。