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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第十章 権力下降

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演出された出兵

 紀元前504年


 正月、鄭の游速ゆうそく(または「游遬」)が軍を率いて許を滅ぼし、許男・を捕えて帰国した。楚が呉に敗れて影響力が弱くなっていたため、鄭はその隙を衝いたのである。

 

 当時の許都は容城にあり、鄭はその地を併吞した。

 

 許は後に楚によって復国することになる。


 以前(いつの事かははっきりしない)、周の儋翩(王子・ちょうの余党。簡王かんおうの子孫)が王子・朝の徒を統率し、鄭人の援けを借りて周で乱を起こした。

 

 鄭がその機に乗じて周の邑である馮、滑、胥靡、負黍、狐人、闕外(伊闕外)に侵攻した。

 

 これを重く見た晋は鄭を譴責し、魯に出兵を命じた。

 

 二月、魯の定公ていこうは鄭を討伐し、匡を取った。

 

 ここで問題が起きた。


 魯軍は鄭討伐に行く時には衛を通らなかった。しかし、帰還する時は陽虎ようこ季孫斯きそんき仲孫何忌ちゅうそんかきに勧めたため、魯軍は衛の南門から入って東門を出た後、豚沢(東門外の地名)に駐留した。

 

 衛の霊公れいこうは魯が勝手に衛内を行軍したことを怒り、寵臣の彌子瑕びしかに魯軍追撃を命じた。

 

 それを聞いた公叔発こうしゅくはつは、既に告老(引退)していたが、輦に乗って霊公に会い、こう言った。


「人を怨みながらもその人のやり方に倣うというのは、礼ではございません」


 小人を相手にしていると自分も小人になる。つまり陽虎を小人とみなして、衛内の行軍は魯君や正卿の本意ではないことから、小人によって引き起こされたことであり、そんな小人に構う必要はないということである。


「魯で昭公しょうこうが難を受けた時、国君は(衛)文公ぶんこうの舒鼎(鼎の一種)、成公せいこうの昭兆(宝亀)、定公ていこうの鞶鑑(装飾された鏡)を賞とし、昭公を国に入れることができた者には、この中から一つを選び、お与えになると約束されました。また、公子や二三臣(卿大夫)の子は、諸侯が(昭公のために)憂いるのならば、質(人質)になってもいい(諸侯が昭公を助けるのなら、代わりに自分が人質として諸侯に行ってもいい)とも申されていたではありませんか。これは群臣も聞いたことであり、皆知っています。それなのに今、小忿(小さい怨み)によって旧徳を覆うのは相応しくはありません。大姒たいじ文王ぶんおうの妃)の子では周公(魯の祖)と康叔(衛の祖)が睦まじくしていました。小人(陽虎)のためにそれを棄てれば、小人に騙されたことになるではありませんか。天は陽虎の罪を増やして倒そうとしているのです。国君はしばらく様子を見るべきです」

 

 衛は出兵を中止した。

 

 夏、魯の季孫斯と仲孫何忌が晋に行った。鄭俘(鄭から奪った捕虜)を献上するためである。

 

 陽虎が仲孫何忌に晋の歓心を買うためとして強く勧めて、晋の定公夫人にも幣(財礼)を贈らせた。

 

 この時、仲孫何忌に左丘明さきゅうめいが同行していた。


「仲孫様、陽虎の言葉を聞き過ぎると、災いを招きます」


「うむ、わかってはいる。だが、やがてやつは自滅するのだ気にしなくとも良くはないか?」


「自滅する者だからこそ、巻き込まれないようにしなければならないのです」


「そのとおりだ」


 と彼は頷いた。

 

 晋は季孫斯と仲孫何忌を享礼でもてなした。仲孫何忌が部屋の外に立って士鞅しおうに言った。


「陽虎は専横に限りがないため、やがて魯に住めなくなります。その時は職責を棄てて晋に頼るつもりでしょう。彼が晋で中軍司馬(大夫の最高位)になることを先君に誓いましょう」

 

 士鞅は、


「我が君には我が君の官がおり、相応しい人材を選んで用いているのです。それは私の知るところではありません」

 

 と言った後、士鞅が趙鞅ちょうおうに、


「魯人は陽虎を憂いとしています。孟孫は覚(予兆)を得たために、将来、陽虎が晋に逃げるために誓いまで立てて強く受け入れを請いました」


 と言うと、趙鞅は髭を撫でながら、


「ほう、そのような男が魯にいるのか」


 と言った。

 

 仲孫何忌の言葉は的中し、後に陽虎は晋に出奔することになる。

 











 四月、楚にある報告がもたされた。呉の太子・終累しゅうるいが楚の水軍を破って潘子臣はんししん小惟子しょういし(どちらも水軍の将)および大夫七人を捕えたというものである。

 

 楚の大夫たちは驚き、再び呉の侵攻を恐れた。

 

 その事態に子期しきが軍を率いて繁揚で戦ったが、敗れた。

 

「負けたんだ」


 楚の昭王しょうおうはその件の報告を受けそう言った。


「罰は何なりと」


 子期の言葉に昭王は手を振る。


「いやいや、子期が負けたということは相手は孫武そんぶ辺りが大将だったのでしょう?」


「いえ、呉軍を率いていたのは、呉の太子だとか……」


「呉の太子というと終累だっけ?」


 昭王が首を傾げると申包胥しんほうしょが答えた。


「はい」


 実はまだ楚は太子・終累が亡くなっていることを知らなかった。呉軍の大将が太子であると聞いて、勘違いしたのである。実際はお飾りと大将として夫差ふさがおり、その下に孫武と伍子胥ごししょがいた。

 

 令尹・子西しせいが喜んでこう発言した。


「今なら為すことができます。王に進言します。我が国の首都を郢から鄀(北鄀)に移すべきです」

 

 この彼の発言に朝廷はざわついた。


「わかったそうしよう」


 昭王の発言にも朝廷はざわつく。


「よろしいのですか。それほどに簡単にお決めになられても」


「子西、遷都における行程は考えているのだろう?」


「考えております」


 昭王は膝を打ち言った。


「ならば、良し。考えもなしによる発言でなければ、私が敢えて反対することはない」


「しかし、王。今は呉への備えをするべきではありませんか?」


 子期を始め、多くの大夫がそう主張した。


「いや、今回の呉の出兵はかつての出兵とは違うように思える」


「何故でしょうか。呉は何度も我が国に対して出兵をしては退くということを繰り返しておりました。今回も同じことではないのでしょうか?」


「今回の出兵はそのようなだいそれたことではないよ」


 心配する大夫らをなだめるように昭王は言った。


「それに君たちは備えを強化するべきだと言っていたが、君たちはちゃんと相手の出兵にある意図を探ろうとしている。それだけでもかつての我が国の意識とは違うものだ。心配することはない」


 子常しじょうの時は呉の国境への出兵を軽く見たために亡国の憂いを見たのである。しかし、今はしっかりと呉への警戒を皆している。それだけでも以前の楚とは違うということを見せているのである。


「では、子西の指示の元、遷都する」

 

 こうして楚は郢から鄀に遷都し、ますます政治を正して国を安定させた。

 






 一方、越では呉のこの出兵の隙を突くべきではないかと越王・允常いんじょう范蠡はんれいに訪ねていた。


 允常は范蠡が越に来ると呉にいた時と同じ、地位を与え尊重した。


「いえ、呉の楚への出兵は大したものではありません」


「何故、そう言い切れる?」


「演出だからです」


「演出?」


 范蠡の言葉の意味がわからない允常は問うた。


「演出とはなんだ?」


「呉は自国の後継者に武名を与えようとしたのです。呉の太子は幼若な夫差となっております。彼に後を継がせることを決定していますが、彼には武名がございません。そのため呉はこの出兵によって、彼に武名を与えようとしたのです」


 また、太子・終累が早くに亡くなっていることが大きいと言えた。


「何故、そのようなことをするのか?」


「呉が我が国と同じように尚武の国だからです。何より武を尊んでおりますので、武名を持っていた方が即位する時、良いと思ったのでしょう。それに呉王は力で自らの地位を勝ち取りました。それが孫の代で力で奪われることを恐れたのではないでしょうか」


 允常は納得したように頷いた。


「なるほど、ならばこの出兵から楚への再び大侵攻するということはないだろうか?」


「ないでしょう。数年で楚との戦いで失った兵が戻すことができるとは思えませんし、無理に出兵させることもできないでしょう」


「我らはできるぞ」


「出兵はできても勝つことはできませんよ」


 越の常識で呉の戦を語るべきではない。


「それに、例え軍の再編成がうまくいっていようとも今度は前のようにはいかないでしょう」


「どういうことか?」


「楚は呉への警戒心をしっかりと持っているからです。以前の侵攻は警戒心の甘さを突いたところもあります。同じ手段が通じるとは思えません」


 ある意味、策というものは消耗品である。一度使っただけでもまた、使うことは難しく。繰り返し使うというのも難しい。


「それがわからないような呉の孫武ではないでしょう」


「なるほどな。では、我らはしばらくは動かないということだな」


「はい、そうです」


 越は今は力をつける時である。それがわかっている允常は名君の輝きを持っていた。




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