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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第十章 権力下降

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敵、敵、敵

すいません。ここんところ更新が遅くなってしまっています。

 紀元前505年


 春、呉による楚への侵攻のどさくさにまぎれ、周の敬王けいおうの部下が楚に出奔していた王子・ちょうを殺した。


 夏、蔡が楚に包囲されているため、食糧が乏しくなっていた。そこで魯が蔡に対し、粟(食糧)を送った。呉の侵攻からずっと蔡は楚の包囲を受け続けているようである。


 蔡と呉は同盟関係であるのに、呉は蔡を助けようとしなかったようである。


 非情とも取れる行動であるが、呉からすると楚の広大な領域にしかも楚の昭王しょうおうを探すために軍を分散させてしまっているため、蔡への救援が難しかった部分もある。


 また、呉からすると楚都を陥落させれば、包囲が解かれるだろうという思いもあっただろう。しかし、蔡を包囲する楚軍は首都が陥落しても包囲を続けた。


 それにしてもこの楚軍の判断はどうなのだろうか。もし楚都が陥落しても昭王さえ囚われなければ、勝目があると踏んで、包囲を続けたとすれば相当な胆力の持ち主である者が軍を率いていることになるが、その将軍の名に対し、歴史は無言である。


 もうひとつ呉が蔡に対して動けなかった理由がある。


 越が呉に対して、侵攻したのである。ただでさえ呉は楚に本隊を出しており、自国に待機している軍だけでは心もとなかった。


 このような事態を避けるために楚への侵攻前に越をたたきつぶしていた。


 そのため越が動かないと踏んで、呉は楚へ侵攻したのである。


 越の国君である允常いんじょうが率いる越軍は呉に敗れた後、軍を完全に立て直したわけではなかった。


 それでも彼は無理にでも軍を動かし、呉に侵攻した。孫武そんぶから言わせれば有り得ない行動というかもしれないが、允常はこう答えるだろう。


「それがどうした」


 彼は何もしていないのに、侵攻受けたことに激怒していた。もはや理屈でも何でもなかった。こういった越の感情を呉も孫武も把握できなかったことが今回の状況を生むに至ったのであった。


 この事態を受け、呉王・闔廬こうりょは呉に孫武を派遣して、対処することになった。


 呉は孫武、伍子胥ごししょという名臣、名将がいたものの、その他に臨機応変さをもった人材の少なさがここで響いたと言っていいだろう。


 呉は外部の人間を引き入れ、国を発展させていったことで、短期間での成長を可能にした一方で人材の成熟がなっていなかったとも言えた。


 ともかく孫武が呉に向かった。彼が楚都から離れたところで、楚が秦の援軍を連れてきたことがもたされるのである。









 楚の申包胥が秦の援軍を率いて帰国した。秦の子蒲しほ(または「子満」)と子虎しこが車五百乗を率いている。

 

 子蒲が楚の昭王しょうおうらと合流すると、


「私は呉の道(戦術)を知らない」


 と言った。これに子西しせい子期しきは眉をひそめた。


(つまり我々に先ず戦えというのか)


 ただでさえ、傷ついた兵が多い楚軍であるまともにぶつかれば難しいだろう。


(だが、やるしかない)


 楚は秦に対して、それ相応の誠意を見せなければならないのだ。


「承知した。我らが呉との先鋒を担いましょう」


 こうして楚軍が先ず、最初に呉軍と当たることになった。対する呉は楚軍に対して向かわせたのは、夫槩ふがいである。


「ふん今更、楚の連中に何ができようか。打ち砕いてやるわ」


 彼は大いに楚軍を見下しながら相手するべきは、秦だと考えていた。


 彼の派遣を決めたのは、呉王・闔廬であるが、伍子胥はその人選に反対していた。それでも決定が覆なかったため、彼は范蠡はんれいを後軍として出すことを提案し、認められた。


「何故、私が?」


 范蠡がそう問いかけると伍子胥は、


「夫槩は勢いこそ良いが、自信過剰すぎる。楚軍を甘く見ていると危ない目に遭うだろう。ただでさえ、秦軍までいるのだ。気をつけておくべきだ」


「承知しました。準備次第、出陣いたします」


 そう言った范蠡であったが、出陣するとその進軍は遅いものであった。


「よろしいのですか?」


 呉句卑がそう言うが范蠡は、


「これで良い」


 と言って、そのまま進軍した。






 夫槩は楚軍を見つけるや、直ぐ様、突撃を仕掛けた。


 対して、楚軍はその突撃を真正面からぶつかった。


「皆、奮闘せよ」


 子西、子期の二人が自ら矛を持って呉軍と戦う。


 楚軍は夫槩率いる軍の突撃を仕掛けられても、耐え続けた。


「おのれ、楚の連中どもさっさと消え去らんか。鬱陶しい」


 その間に秦軍は稷から進み、呉軍の後方に回り込んでいた。


「そろそろ良いか子虎よ」


「ああ、良かろう。このまま楚ばかり戦わせるのもどうかと思うしな」


 子蒲は子虎の率いる秦軍は後方から夫槩の軍に襲いかかった。


「なんだと」


 夫槩は大いに動揺し、一気にそう崩れになった。

 

 夫槩は軍祥まで退くが、そこに柏挙の戦い(前年)で呉軍に囚われた楚の大夫・薳射の子が残兵を率いて楚の子西に従い、呉軍に襲いかかった。

 

 それにより再び、夫槩は敗れた。








「なぜだ。何故この私が負けたのだ」


 彼は何故、負けたのかわからなかった。しかし現実は彼の敗北である。そこに范蠡率いる軍が、やって来た。


「范蠡か。あの男は話しのわかる男だ」


 夫槩はそう言って、范蠡の陣幕に入った。


 范蠡は陣幕に入ってきた夫槩を見て、


(大層、やられたようだ)


 と思った。


「夫槩殿、楚、秦は中々に手ごわそうですな」


「何、汝の軍と合流できれば、十分勝てる」


 負け惜しみを言う夫槩に対し、范蠡は、


「実はあなた様を拘束しに参ったのです」


「なんだと」


 范蠡の言った言葉は嘘である。しかし、冷静さに欠けている夫槩は気がつかなかった。


(距離を考えられないのか。この男は)


 彼は夫槩に毒づきながら言った。


「冗談です。あなた様を拘束しに参ったなど。私はあなた様の後軍として参っただけです」


「冗談だと汝、ふざけておるのか」


 夫槩が怒り出すと范蠡は彼を落ち着かせる。


「いえいえ、そのようなことは。しかし、今後はありえるかもしれませんぞ」


「どういうことか」


「孫武殿によって、軍の規律は厳しいものにされております。此度の敗戦で多くの兵を犠牲にさせたあなた様への処罰はどのようなものになるかよくお考え下さい。また、あなた様は以前、孫武殿に逆らい勝手に軍を動かした過去があります。あの時は王の寛大さによって救われましたが、此度の敗戦ではてさて、王はあなた様をかばって下さるでしょうか」


「何を言うか。あの時、孫武に従わなかったからこそ、勝利を得たのだぞ。それを今更此度の敗戦で無碍にされてはかまわぬ。兄上ならばわかってくださるだろう」


「そうでしょうか。王は伯嚭はくひの言葉ばかりに従っており、王はかつてのような判断力を失いつつありませんかな。孫武殿の言葉に揺れ動くことになるやもしれません」


 夫槩は彼の言葉を聞き、心の中で迷いが生じ始めた。范蠡の言うとおり、孫武は自分の敗戦を攻めるだろう。いや、孫武だけではない伍子胥も自分を責め立てるかもしれない。そうなれば、自分は処罰されるかもしれない。


「どうすれば良いのか」


 彼は范蠡にすがった。


「簡単なことです。処罰されない地位を手に入れれば良いのです」


「処罰されない地位とは?」


「王位でございます」


 范蠡はにやりと笑う。


「あなた様が闔廬を蹴落とし、王位を手にして、孫武らを全て始末してしまえば良いのです」


 呉は外部の敵だけでなく、内部にも敵が現れ始めていた。




孫武は負け戦に参加させづらいのがネックですね。

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