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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第十章 権力下降

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申包胥

申し訳ありません。またもや投稿に遅れてしまいました。

 楚の平王へいおうは決して良君と言えず、暗君と言えた。


 しかし、それでも楚において尊重されるべき王族であり、その遺体に鞭を打つという行為は大逆どころの騒ぎではない。


 そのため伍子胥ごししょが平王の遺体を鞭打ったということを聞いた楚の人々は彼への恐怖と、悲しみを覚えた。


 それは楚の昭王しょうおうたちといえども、同じであった。


「なんということか」


「伍子胥は天の怒りを恐れないのか」


 彼への恐怖と同時に彼らの中には、怒りさえ覚えるようになった。


「王、お願いがあります」


 そう声を上げたのは、申包胥である。


「伍子胥のこの行為を譴責するための書簡を出してもよろしいでしょうか」


「何を血迷っている。それを行えば、我々のいる場所が気づかれるぞ」


 皆、申包胥の願いに反対したが、昭王は彼らの反対を止めた。


「いや、私は彼の願いを聞こうと思う」


「しかし、王よ」


「皆、聞いて欲しい。ここでもしこの件に関して何も抗議の言葉を上げなければ、私は父に対する孝に反し、国としても誇りを失いかねない」


 国にはそれ相応の立場がある。もし、王族の遺体に鞭打つという行為に批難の声を上げなければ、国の立場が揺らぐ可能性がある。


「ここで声を上げないことは、国の立場を危うくする可能性がある。申包胥よ、頼むぞ」


「承知しました」


 その後、申包胥は子西しせいに近づき言った。


「今回の件は事実とはいえ、あまりに話しが伝わるのが早すぎる」


「つまり意図を持って、広まったと」


「そのとおりです」


(つまりは呉に隙が出始めているということか)


 だとすれば、僅かとはいえ、呉に対する勝機が見え始めたことを意味する。


「良しわかったこっちは私が調べてみよう」


「お願いします」


 その時、兵士が駆け込んできた。


「報告します。ここ随に呉軍が迫っています」


「伍子胥に書簡を出す前にこちらの場所が知られてしまったのか」


 その場にいた随の者たちが言った。


「楚王には、公宮の北に住んでいただきます」


「そうですな。王、ここは随の申された通り、公宮へ参りましょう」


 昭王は子西の言葉に頷く。


「呉よの交渉は私どもが行います」


 昭王の臣下たちは随だけが交渉するということに不安を抱いたが、昭王は随に任せることを決めた。


 こうして随は迫る呉軍との交渉することになった。呉軍が隨人に対し言った。


「周の子孫で漢川(漢水)一帯にいた者は、全て楚に滅ぼされてしまった(呉も随も周と同じ姫姓)。しかし天が意思を示し、楚に罰を降すことになった。それにも関わらず、貴君らは仇を匿っている。周室に何の罪があるというのだろうか。貴君らがもしも周室の恩に報い、それを私どもに及ぼし、天の意志を成そうというのならば、それは貴君らの恩恵である。漢陽の田(漢水北の地)は、貴君らが擁すことになるだろう」


 随に対しては、大分譲渡した内容であった。

 

 随はそのように言われたことを昭王一行に伝えられた。


 そこに昭王に顔が似ている子期しき(または「子綦」。公子・けつ。昭王の兄)が王の服を着て言った。


「私に任せてください。私が身代わりになれば、王は禍から逃れられましょう」


 それに随を危険に晒すこともないという判断によるものである。

 

 しかし隨人は子期を呉軍に渡すべきか卜うと、「不吉」と出た。


 随の鑢金が言った。


「子期殿、不吉と出ました。あなたを呉に渡すわけにはいきません。大丈夫です。お任せ下さい」

 

 鑢金は呉軍にこう回答した。


「隨は辟小(辺境の小国)で、楚に近接しており、楚によって存続を守られて、代々盟誓を持って、今まで改めることはありませんでした。難に遭ったからといってそれを棄てれば、どうして貴君に仕えることができましょうか。執事(呉の執政官)の患いは一人(昭王)だけではございません。もし楚の境内を安定させることができるのであるのならば、その命に従いましょう」


 楚全域を完全に服従させれば、自分たちは従うが、そうでなければ自分たちが従えないと堂々と伝えた。


 一歩間違えると呉軍の強行を招きかねない行為であったが、呉軍は軍事の責任者である孫武そんぶから無闇なことをしないよう厳命されていた。そのため彼らは引き上げた。


 鑢金はかつて子期の家に仕えていたことがあり、昭王が随に逃れると知ると隨人たちを集め彼らとの間で「楚王を呉に渡さない」という方針を決めていた。

 

 それを知って喜んだ昭王は鑢金を接見し、王を代表する臣として随人と盟を結ばせようとした。しかし鑢金は辞退した。


「王の困窮を利用し、己の利益(会盟の主に抜擢されること)とするつもりはございません」

 

 昭王は彼の意思を尊重し、子期の胸を切って血を取り、自ら隨人と盟を結んで協力を誓った。

 

 









 楚都にいる伍子胥の元に申包胥の書簡が届いた。


「あなたの報復はやり過ぎである。『人の群れは天に勝つが、天命が定まればまた人を破る』という」


 凶暴な群衆は天に勝つことができるものの、天が凶を降せば凶暴な人の群れを破ることになるということである。


「あなたはかつては平王の臣下であり、自ら北面して仕えていた。しかし今、死人となった王をこのように辱めることは、天道を失った行為の極みではないか」

 

 伍子胥はこの痛烈な批難に対し、書簡を届けた使者にこうに応えた


「私のために申包胥に感謝してこう伝えてほしい。日が沈もうとするのに、私の道は遥か遠い。だから道理に逆らった行動をしたのだ」


 自分の復讐が果たせずに自分が死ぬことを心配していた。今、やっと復讐の機会を得たため、道理にかまっている余裕はないという弁明である。


 それは申包胥の元に伝えられ、彼は昭王にも伝えた。


「まあ、気持ちはわからないわけではないね」


「王……」


「それでも敢えて、伍子胥に伝えるとしたら私はこう伝えるだろう。それでも私の父は私にとって優しい人であったと」


 昭王の言葉に静かに申包胥は拝礼した。


「王、お頼みがあります。私を秦に派遣していただきたいのです」


「秦は私の母の国である。しかし、援軍に来るだろうか」


 この状況になっていても秦は楚に対し、何らの行動を行っていない。秦からすれば、太子・けんに送るはずだった公女を勝手に奪い取る真似をした楚側の態度に反感を抱いているのだろう。


 そんな相手に果たして援軍を派遣してもらうというのは、難しいのではないだろうか。


「私が必ずや、連れてきます」


「わかった。君を送ろう」


「感謝します」


 かつて申包胥は伍子胥が、


『父母の仇とは天地を共有せず、兄弟の仇とは同じ国に住まず、朋友の仇とは近隣に住むことはないという。将来、私は父兄の耻(仇)を雪ぐために私は帰って来るぞ』


 言ったことに対してこう言ったことがある。


『汝が亡ぼすことができるというのであれば、私は存続させることができるだろう。汝が危機をもたらすことができるというのであれば、私は安んじさせることができる』


 あの時の言葉通り、伍子胥は帰ってきた。ならば、自分とて同じことができるはずであろう。


(天は我らの言葉を聞いてくれているはずだ。ならば私の言葉も現実のものにできるだろう)


 申包胥は秦に向かった。








 彼が秦に来ると秦は案外簡単に彼と会った。


 申包胥が秦の哀公あいこうに言った。


「呉は封豕(大豚)・長蛇のように上国(中原諸国)をしばしば侵食しており、その虐(害)は楚から始まりました。今、我が君は社稷の守りを失い、遠く草莽(草叢)の中に住むことになりましたので、私を送って急を告げさせました。以下、我が君の言葉です『夷の徳(本性)は無厭(限りなく貪婪)であるため、もし呉が楚を占領して、貴君の隣国となれば、貴君の疆場(国境)の患いになりましょう。しかし呉が安定する前に動けば、貴君はその地を分割できます。楚がこうして亡ぶというのなら、楚は貴君の領土となることを願います。もし貴君の威霊によって楚を按撫できるのならば、楚は代々貴君に仕えることでしょう』」

 

 哀公は出兵することに対し、答えを曖昧にして言った。


「命(楚王の言)を確かに聞いた。汝は暫く館に行って休め。方針を図って連絡する」


 彼が優柔不断というよりは、秦の国民感情的にも楚に対し良い印象がなく、しかも呉との戦いはほとんど楚の自滅に近い部分があったといえ、それに付き合うことは御免こうむるという感情が秦にはあった。

 

 申包胥は食い下がり言った。


「我が君は草莽の中に居り、落ち着く場所を見つけていないというのに、私などが休めましょうか」


 そのため彼は相手に利で訴えるのではなく、感情で訴えることにした。

 

 この時から申包胥は庭の壁に寄りかかって立ったまま哀哭し、昼も夜も哭声を途絶えさせることなく、七日間何も口にせずに哭し続けた。


 秦の人は楚の人間とは真逆であまり感情の上下が無い人々である。しかし、申包胥の行動には感じることがあったらしく哀公は『無衣』を賦した。


『詩経・秦風』に収録されている詩で、共通する敵を倒すために出兵するという内容である。

 

 つまり援軍を出すということである。それを聞いた申包胥は九回頓首してからやっと坐った。


 ついに楚は秦の援軍を得て、呉に対し反撃の時が生まれたのであった。



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