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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第十章 権力下降

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呉の楚侵攻

遅くなりました。

 蔡が沈を攻め滅ぼした後、五月に諸侯は皋鼬で盟を結んだ。


 秋、沈が滅ぼされたことに怒った楚が蔡を包囲した。

 

 これに対して、呉王・闔廬こうりょ孫武そんぶ伍子胥ごししょを呼び、蔡と共同して楚に対抗する方法を謀った。


 蔡の昭公しょうこうは晋に楚討伐を請うていだが、断られたため子のけんと大夫の子を人質として呉に送り、呉の楚討伐に協力することにした。


 呉王・闔廬は伍子胥と孫武の二人の問うた。


「以前、汝らは郢(楚都)を攻める時ではないと言ったが、今は如何か?」

 

 二人が答えた。


「楚の将・子常しじょうは貪欲で、唐も蔡も楚を怨んでおります。王が討伐なさるのであれば、唐と蔡と連携し、楚と対するべきです」

 

「良し、今こそ楚を討つ」


 呉王・闔廬は群臣に楚への侵攻を命じ、準備させた。


 冬、呉は蔡、唐に使者を派遣して連携を図り、楚に進軍を開始した。


 呉王・闔廬を大将に孫武、伍子胥の二人に呉王・闔廬の弟である夫槩ふがい伯嚭はくひそして、范蠡はんれいが従う。


 呉に残るのは、季礼きさつと太子・終纍しゅうるいが残る。


 季礼が出立する呉王・闔廬に対し言った。


「王よ。楚への討伐に対し、忘れないで頂きたいことがございます。未だ呉は薄氷の上に立っており、いつ揺らぐかはわかりません。一方の楚は今は揺らいでおりますが、彼の国が今まで積み上げてきたものがございます。願わくば、王はそのことを忘れず、それに対し敬意と恩情を持って接しられますことを。そして、大夫の方々、あなた方は王の補佐をお願いたします。では、ご武運を」


 この彼の言葉がどれほど呉王・闔廬の心に、大夫らの心に届いたのだろうか。


 そう范蠡は彼の言葉を聞きながら思った。






 呉は船を使い楚へ進軍し、唐も侵攻を開始した。蔡は包囲されてながらも楚を惹きつける役割を担う。


 呉は船に乗りながら淮汭(淮水が曲がる場所。蔡を越えた辺り)で舟を棄て、豫章から兵を進める。


 一方、楚は三つの勢力の対応に追われながら漢水を挟んで呉と対峙した。

 

 楚の左司馬・沈尹戌しんいんじゅつが令尹・子常しじょう囊瓦どうが)に進言した。


「あなたは漢水に沿って上下してください(漢水を渡らず、上流と下流の間を行き来して敵を牽制してください)。その間に私が方城外の人を使い、敵の舟を破壊して引き返してから大隧、直轅、冥阨(三カ所とも漢水東の険路)を塞ぎます。その後、あなたが漢水を渡って攻撃を仕掛け、私が後ろから撃てば、大勝は間違いないでしょう」

 

 子常は同意し、左司馬・戌が出発した。


 この動きは呉に知られた。


「流石は沈尹戌ですね」


 孫武がそう言うと范蠡が聞いた。


「どうなさいますか?」


 彼からすると沈尹戌の動きをされると厄介だと思っている。


「大丈夫です。子常に彼の策を使いこなせるほどの度胸はありません。子常は私たちに直ぐ様、攻めかかってくるでしょう」


 と、孫武は断言した。

 

 彼の思惑通り、武城大夫・こくが子常にこう言った。


「呉の兵車は木でございますが、我が軍は革を使っております(革製の兵車は強固ですが、雨に濡れると膠が融けて弱くなるという欠点があった)。長くはもちません。速戦するべきです」

 

 大夫・史皇しこうも子常に、


「楚人はあなたを嫌っており、司馬(沈尹戌)を愛しております。もしも司馬が呉の舟を淮水で破壊し、城口(三道)を塞げば、彼一人で呉を破ったことになります。あなたは速戦しなければ禍を招くことになりましょう」

 

 子常はこれらの言葉を信じ、漢水を渡って陣を構えた。子常の陣は小別山から大別山(どちらも漢水北の山)に至った。

 

 速戦を勧めた二人は頭を抱えた。速戦しようとしているのに、わざわざ守りを固めるような陣形をとっている。


 やっていることとやろうとしていることがめっちゃくちゃであった。


「何でしょう。あれは、速戦を仕掛けてくれるものだと思っていましたが」


 孫武は楚の奇妙な陣形の組み方に頭を捻った。罠の可能性もあるからである。


「孫武殿、相手は子常です。大した相手ではない。そのまま攻めれば勝てましょう」


 と、伍子胥はそう言い、


「罠を行うには、あからさま過ぎます。それに守りを固めたわりには粗さが目立ちます。子常と兵の間で意思疎通がされていないのでしょう」


 范蠡も今の内に攻めることを勧めた。


「なるほど、考えすぎたかもしれません」


 孫武は頷き、呉軍は楚軍に攻めかかった。


 真っ先に楚軍に飛びかかったのは、夫槩である。彼は王族の割には、自ら陣頭に立ち、矛を持って相手を切り捨てていった。


「まるで野獣のような戦」


 と彼の兄である呉王・闔廬は笑う。

 

 子常は呉の勢いに押され、三戦して勝てないと覚り、逃走を考え始めた。


「何とか逃げる術はないか」

 

 史皇はそれを呆れながら諫めた。


「平安な時は事(政事。政権)を求めているにも関わらず、難に遭えば、逃げるというようでは、どこに行く場所があるでしょうか。あなたが必死になれば(死に至ったとしても呉に勝てれば)、以前の罪(賄賂を求めて敵の進攻を招いたこと)から逃れることもできましょうに」

 

 十一月、呉と楚の二軍は柏挙(または「柏莒」「伯挙」「伯莒」)に布陣した。


 ここで呉の戦闘方針に対立が起きた。


 孫武は確実に相手をたたきつぶすために、楚の兵士の数も減っていることを踏まえ、包囲して確実に仕留めようとしていたが、朝、夫槩が呉王・闔廬こうりょに強硬論を主張した。


「楚の瓦(子常の名)は不仁でございますので、その臣下には死志がございません。我々が先に攻撃すれば、彼の士卒は必ず逃走することでしょう。その後に大軍が続けば必ず勝てます」


「なりません。ここは確実に包囲して仕留めるべきです」


 夫槩の進言を孫武は反対した。ただでさえ弱っている相手にわざわざ突撃を仕掛けて、兵に要らぬ被害を出すのは、彼は容認できなかった。

 

 呉王・闔廬は孫武を尊重し同意せず、范蠡を派遣してそのことを伝えさせた。


「ふん、あの軟弱者の言うことを何故、聞かねばならんのだ。兄上もあのような者を重用しよってからに」


 夫槩はかっとなりながら言う。


「『臣は義によって行動し、命を待たない』という。今日、私が命をかけて戦えば、楚に入ることができるであろうよ」

 

 そう言って勝手に自分に属する兵五千を率いようとした。しかし、それを敢えて范蠡は止めなかった。彼としては、夫槩の言うことも一理あると思うためである。


 そのため特にその場で反対はしなかった。このことで意外にも夫槩は彼に対して好意的になった。


 夫槩が子常の本陣に襲いかかった。いきなり来たため、奇襲の形となり、驚いた士卒は逃走を始め、楚軍は混乱に陥った。


「勝手に動かしおって、どうする」


 呉王・闔廬が孫武に問うと、孫武は首を振って言った。


「本来であれば、処罰せねばなりませんが、この勢いに乗りましょう」


 そのまま呉軍の本体も楚軍に襲い掛かり結果、大勝した。


 敗北した子常は鄭に出奔し、史皇は乗広(楚王か主帥が乗る車)を率いて戦死した。

 

 残った楚軍は逃走を続け、呉軍が追撃をかける中、清発(川の名)に至った。更に追撃を続けようとすると夫槩が止めた。


「困窮した獣でもまだ戦うと申します。相手が人ならなおさらでございましょう。もし死から逃れられないと知れば、敵は命をかけて戦い、必ずや我が軍を破ることになりましょう。わざと先に川を渡った敵を逃がせば、後ろの者はそれを羨み、逃げることだけを考えて戦う意志をなくします。半数が川を渡った時に攻撃するべきです」

 

 呉王・闔廬は隣にいる孫武を横目で見たが、孫武は静かに頷くだけであった。夫槩の意見に従うべきということである。


 よってこの彼の進言通りに従い、呉軍は再び楚軍を破った。



 

 

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