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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第十章 権力下降

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清潔な男

 紀元前508年


 周の卿士・鞏簡公は自分の子弟を信用せず、遠人(異族)を好んで用いていた。

 

 四月、鞏氏の子弟達はこれを恨み、簡公を殺した。

 

 桐が楚に背いた。桐は代々楚に属してきた小国である。そのためこの国に対する楚の怒りは大きかった。

 

 呉王・闔廬こうりょは舒鳩氏の人を楚に送り、楚軍を誘い出させる策を考えた。


 舒鳩は元々は独立した国であったが、楚に滅ぼされて属国になっていたが、昔から呉と楚の間にあるため、どちらとも連絡をとっていたという両面外交を密かに行っていた。

 

 呉が立てた計画はこうである。まず舒鳩が楚に、


「軍を出して呉に臨ませてください(呉を討伐してください)」


 と伝えさせる。楚軍が動けば、呉は楚を恐れて服従するふりをして桐に兵を向ける。


 桐は楚を裏切ったばかりであるため、楚は呉の桐討伐を喜び、呉に対する警戒を解くはずであり、呉はその隙を衝いて楚を攻めるというものである。


 呉王・闔廬は伍子胥ごししょを派遣しようとしたが、季礼きさつが止めた。


「此度は范蠡はんれいを派遣なさった方がよろしいでしょう」


 と、彼は范蠡を勧めた。范蠡としてはあまり季礼とは話したことがないだけに意外であったが、


「王がお命じになられるのであれば、私そしては問題はございません」


「では、汝に任せる」


 この決定のあと、范蠡は季礼に話しかけた。


「何故、私などを使者に勧めたのですか?」


「伍子胥殿は高潔過ぎる故、此度は汝の方が良いと考えた」


「使者としては高潔な方の方がよろしいのでは?」


 ある意味、自分は高潔な人間ではないと言われているようなものだが、范蠡としては気にしない。自分でもそんな人間ではないことは理解しているからだ。


「いや、今回の相手には誠意の見せ方を変えた方が良い」


(なるほど誠実さの見せ方か)


 今回の相手は舒鳩という楚に従うことを表明しながら呉に通じるような国である。ある意味、桐の方が堂々と楚への反抗を表明しているだけに国としての誠実さは上かもしれない。


(まあ、それも呉が手を回したという部分もあるのだがな)


 范蠡はそう思いながらも納得した。


「では、金はどれほど用意した方がよろしいでしょうか」


「千金で良いだろう」


(少し多すぎる気もしないが……いや、ばらまく相手は舒鳩だけではないか)


「承知しました。早速準備に取り掛かります」


(裏で孫武そんぶ殿も動いているかもしれないな)


 だとすれば、もうすぐ呉は楚へ軍を向けることもあるかもしれない。


(天はどちらに味方するだろうか。そして、私はその天の意思に背くのだろうか)


 そこまで考え、微笑を浮かべた。

 

 秋、范蠡は舒鳩の元を訪れ、舒鳩の大臣たちに賄賂を渡し、舒鳩君を説得させた。これにより、舒鳩は呉に言われた通りの進言を楚に行った。


 進言を聞いて楚の囊瓦どうが子常しじょう)が呉を攻撃した。

 

 呉軍は豫章で舟を集め、楚のために桐を討伐する姿を見せた。楚は呉を信じて警戒を解いた。よくもまあ信じたものであると思われるが、実際のところは范蠡が舒鳩のところでやったように賄賂を楚の大臣にばら撒いていた。


 その間に、呉は巣に兵を集結させた。

 

 十月、呉軍が豫章で楚軍を攻撃し、楚軍は敗退した。

 

 呉軍は巣も包囲して攻略し、楚の公子・はん(巣を守る大夫)が捕えられた。


「范蠡殿は良くやってくれたものです」


 孫武は季礼にそう言った。


「ええ、彼ならば、上手く手を回すと思いましたよ」


「しかし、若いというのに、立ち回りが老練そのものですね。本当に若いのかと疑ってしまいますよ」


 范蠡は若い割には、相手の欲望の度合いを見てとって、賄賂を渡している。しかもその賄賂を出す時は出し惜しみを一切しないという思いっきりの良さがある。


(こういったところは経験によって、身に付けるものなのだが、范蠡殿はあの若さでそれを得ている)


 孫武は范蠡という人物の若さに似合わない才覚に少し違和感を覚える。


(彼のことはあまり話したことはなかったが、どこか彼には危うさを感じる)


 彼は范蠡に対し、そんな印象を覚えていた。









 邾の荘公そうこうと大夫・夷射姑いしゃこが酒を飲むことがあった。酒がまわってから、夷射姑が小便のため席を離れた。

 

 その時、閽(門の守衛)が夷射姑に肉を請うた。しかし夷射姑は閽の杖を奪って殴打し、追い返した。

 

 当時の宴では、賓客が酔えば、脯(干肉)を鐘人に与えることになっていた。これを「陔」という。閽は夷射姑が席を離れた時、肉を与えられると思って近づいたようである。


 しかし夷射姑は小便のために立ったのであり、また、肉は鐘人に与えるものであるため、閽を追い返したのである。


 紀元前507年


 二月、荘公が門台(門楼)で朝廷を眺めていた。

 

 すると閽(門衛)が缾(瓶)を持って朝廷に水をまいているのが見えた。

 

 それを見た荘公が怒ったため、閽はこう言った。


「夷射姑がここで小便をしたのです。だから水をまきました」

 

 夷射姑が宴の途中で小便のために席を立ったのは前年の事であるため、影響は無いはずである。だが、


「ひぃ汚い、汚い。なんということか。あやつめ」


 荘公は極度な清潔好きであったため、怒って夷射姑を逮捕するように命じた。

 

 ところが夷射姑を捕まえることができなかった。ますます怒った荘公は床から飛び降りたとたん、鑪炭(炉)に転げ落ちて大火傷をおい、それが原因で死んでしまった。


 極度な潔癖と性急がもたらした事故であった。

 

 荘公の埋葬の前に、五乗の車が埋葬され、五人が殉死を命じられた。潔癖な荘公のために墓陵を掃除して清める意味があったようである。


 最後まで荘公の清潔さに振り回されている。

 

 荘公の子・えきが即位した。邾の隠公いんこうという。

 

 九月、鮮虞が平中で晋軍を破った。自分の勇に頼った晋の観虎かんこがその戦で捕えられてしまった。

 

 冬、魯の仲孫何忌ちゅうそんかきと邾の隠公が抜(または「郯」)で会盟した。魯の定公ていこうが即位したばかりで、邾でも新君が即位したので、改めて修好したのである。






 以前(紀元前509年のこと)、蔡の昭公しょうこうが二つの佩玉と二着の裘(皮衣)をもって楚に入り、一つの佩玉と一着の裘を楚の昭王しょうおうに献上したことがあった。

 

 昭王はそれらを身につけて彼を享宴に招き、昭公も自分の佩玉と裘を身につけて参加した。すると楚の令尹・子常が佩玉と裘を要求した。


 昭公はこれを拒否した。そのことに怒った子常は昭公をこの年に至るまで留めた。

 

 唐の成公せいこうが楚に入った時、二頭の粛爽馬(「粛爽」は駿馬の名)を連れていた。子常は粛爽も要求した。しかし成公が拒否したため、成公も同じように、楚に留められてしまった。

 

 唐の人々は国君を救うために相談し、まず成公の従者を帰国させて交代の人員を送ることを楚に求めた。楚は従者の帰国を許可する。唐人は帰国した成公の従者を酒に誘い、酔った隙に駿馬を盗み出し、子常に献上した。

 

 子常はこれにより成公を帰国させた。

 

 成公が国に戻ると、馬を盗んだ者達が司敗(司寇。法官)に出頭して言った。


「国君が馬を惜しみましたので、身を隠して(拘留され)国と家を棄てることになりました。我々群臣は国君を助けるためとはいえ粛爽を盗みました。群臣は夫人(馬を養う者)と協力して、以前の馬(粛爽)よりも良い馬を償うつもりです」

 

 成公は首を振り、


「これは私の過ちである。汝等が自ら辱めを受けることはない」

 

 成公は群臣を賞した。

 

 これを聞いた蔡の人々は昭公に譲歩するよう強く勧めた。彼はそれを聞き入れ、佩玉を子常に献上した。

 

 満足した子常は朝廷で彼の徒(従者)に会い、有司(楚の官員)にこう言った。


「蔡君が久しく国に留まりましたのは、官(楚の官員)が餞別の礼物を準備できなかったからである。明日になっても礼物が準備できないようなら、汝等(楚の官員)を死刑に処すだろう」

 

 帰国を許された昭公は漢水に至ると玉を沈めてこう誓った。


「私が再び漢水を南に渡ることがあれば(楚に朝見することがあれば)、大川の咎を受けよう」

 

 昭公は晋に行き、息子のげんと大夫の子を人質にして楚討伐を請うた。


 楚は外交的孤立を傲慢さによって、深めていっていた。


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