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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第十章 権力下降

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周の敬王

 紀元前510年


 夏、呉が越を攻めた。

 

 呉としては、後方の憂いを断つという意味での軍事行動であった。だが、越としては何もしていないのに出兵されたことは不快であった。


 呉は越軍に勝利を収めたが、越は呉への反感を覚えるようになり、やがて呉に矛を向けるようになる。呉はこの出兵によって生じた越の執念深さを計算に入れることができなかったようである。


 晋の蔡墨さいぼくが言った。


「四十年も経たずに越が呉を有すようになるだろう。越が歳(木星)を得た時に呉が侵攻した。呉は必ずや凶を受けることになるだろう」

 

「越が歳を得た」の解釈は複数ある。


 ざっと簡単に説明する。当時、歳星(木星)の軌道は十二分され、それぞれに越、呉等の国が当てられていた。この年、歳星が越の領域に入ったようである。但し、それが具体的にどの位置を指すのかははっきりしない。

 

 古代は国の存亡を予測する時、歳星の運行が三巡を越えないものとされていた。一巡は十二年であるため、三巡は三十六年になる。


 彼は三十六年に近い「四十年経たず」と予言したが、実際に呉が越に滅ぼされるのは三十八年後の事である。

 

 

 

 周で王子・ちょうの乱が起きてから、その徒党の多くは未だに王城に残っていた。そのため周の敬王けいおうは恐れて成周に遷った。

 

 八月、敬王が富辛ふしん石張せきちょうを晋に派遣し、成周の城を増築するように請うた。

 

 敬王の言葉は以下の通りである。


「天が周に禍を降し、我が兄弟(王子・朝)に乱心を起こさせ、伯父(晋公)の憂いとしている。私と親しき甥舅(諸侯)も休む暇がなく既に十年が過ぎ、戍(周の守り)に勤めて五年が経つ。私は一日も諸侯の労を忘れたことはなく、農夫が豊作を待ち望むように心配し、恐れて時を待っている。もしも大恵を施し、二文(晋の文侯ぶんこう文公ぶんこう)の業を再建し、王室の憂いを解き、文武(文王ぶんおう武王ぶおう)の福を求めて盟主の地位を固め、令名(美名)を宣揚するというのならば、それは私の大願である。昔、成王せいおうは諸侯を集め、成周に築城して東都とし、文徳を尊崇したものである。今、私も成王の福と霊を求めて成周の城を修築し、戍人(諸侯の兵)の勤労を除こうと思う。諸侯が安寧になり、蝥賊(害賊)を遠くに退けることができれば、それは晋の力(功績)である。伯父にこれを託したい、伯父にはよく考えてもらいたい。私に百姓の怨みを招かせず、伯父が名誉ある功績を立てることができれば、先王が功を認めるだろう(先王の庇護があるだろう)」

 

 晋の士鞅しおう魏舒ぎじょに進言した。


「兵を出して周を守るより、城を修築した方が良いでしょう。天子が既に発言されましたので(諸侯の守りを除くという発言をしたので)、今後、事が起きようとも、晋は関与しなくてすむようになります。王命に従って諸侯を休めることができるのならば、晋にも憂いはございません。成周の増築に務めず、何に務めるというのでしょう」


 彼は敬王の言葉から諸侯の力はいらないと解釈し、周に拘る必要がないとしたのである。

 

 魏舒は、


「その通りだ」


 と言うと、韓不信かんふしん(字は伯音はくおん韓起かんきの孫、韓須かんすの子)を送って敬王に答えた。


「天子の命に背くことはありません。すぐ諸侯に指示を出しましょう。工程の進度や分配は、全て天子の命令に従います」

 

 十一月、晋の魏舒と韓不信が京師に入った。晋の魏舒と韓不信、魯の仲孫何忌ちゅうそんかき、斉の高張こうちょう、宋の仲幾ちゅうき、衛の世叔申せしゅくしん、鄭の国参こくさん子産しさんの子)および曹人、莒人、薛人、杞人、小邾人が狄泉で会して以前の盟約を確認し、成周城修築の王命を受けた。

 

 魏舒が南面した。本来、南に向くのは国君の場所である。

 

 それを見て衛の大夫・彪徯が言った。


「あの人には必ず大咎が訪れるだろう。位を犯しながら大事を命じたのに、その任ではないことをしている」


 卿の立場でありながら国君の場所に立って諸侯に指示を出したことは越権行為であると批難したのである。


「『詩(大雅・板)』にはこうある『天の怒りに対して恭敬で、怠慢になってはならない。天の変異に対して恭敬で、放縦になってはならない』本来このようでなければならないにも関わらず、位を犯して大事を成そうというのだから禍を受けるのはなおさらだろう」

 

 晋の士彌牟しびぼうが成周増築の計画を立てた。


 城壁の距離・高低・幅や溝の深さを計測してから、土の使用量を算出し、遠近からの物資の輸送を分担し、工期を決定した。必要な工人の数や費用・食糧を書き記して諸侯に詳しい指示を出す。


 工程を振り分けた指示書を帥(諸侯の大夫)に与え、全ての内容をまとめてから周の劉狄りゅうてきに提出した。

 

 韓不信が方案を監督しました。

 

 十二月、魯の昭公しょうこうが病に倒れた。

 

 昭公は持っている物を全て自分に従った大夫達に与えようとしたが、大夫達は受け取ろうとしなかった。そこで子家羈に双琥(一対の玉虎)、一環(玉環ひとつ)、一璧(璧玉一つ)と軽服(生地が細かい服。または常服)を与えた。


 子家羈が受け取ったため、他の大夫達も下賜された物を受け取った。

 

 その後、昭公は乾侯で死んだ。結局、魯を出て帰国することはできなかった。

 

 子家羈は下賜された物を府人(府庫の管理者)に返して、


「私が受け取ったのは君命に逆らうことができなかったためである」


 と言い、他の大夫らも皆、下賜された物を返却した。

 

 晋の趙鞅ちょうおうが蔡墨に聞いた。


「季孫氏はその君を駆逐したにも関わらず、民は服して諸侯も支持している。しかも国君が国外で死んでも、誰も彼の罪を問わないのはなぜだろうか?」

 

「物は両(一対)を生み、三を生み、五を生み、陪貳(補佐)を生むものです。だから天には三辰(日・月・星)があり、地には五行があり、身体には左右があり、それぞれ妃耦(配偶者。夫婦)があり、王には公がおり、諸侯には卿がおり、皆、貳(補佐)がいるのです。天が季孫氏を生み、魯君の貮(補佐)としてから、既に久しく経ちます。民が服すのも当然のことでしょう。魯君は代々安逸に満足し、季孫氏は代々勤労を修めてきましたので、民は国君の存在を忘れているのです。国君が外で死のうとも誰が哀れむでしょうか。社稷は常に一定の人が奉じるのではありません。君臣の位が一定ではないのは古から同じことです。だから『詩(小雅・十月之交)』にこうあるのです。『高い堤も谷となり、深い谷も丘陵とならん』三后(虞舜・夏王・商王)の姓(子孫)が今は庶人となっていることは、主公もご存知ではありませんか。『易』の卦では、『雷が乾に乗ること』を『大壮』と申します」


『雷』は『易』では『震』という。『乾』は天子を表し、『震』は諸侯を表す。『震』が『乾』に乗るということは、君臣の立場が逆転するという意味になる。諸侯の国内においては大臣が強壮であるつまり大壮になる状態を指す。


「君臣の地位が一定ではないことは天の道です。昔、季友きゆう桓公かんこうの季子(末子)で、文姜ぶんきょうに愛されていました。文姜が震(妊娠)した時に卜うと、卜人はこう言いました『産まれたら嘉名(美名)が知られるでしょう。その名は友といい、公室を輔佐することになります』と、実際に子が産まれると卜人が言った通りで、掌に『友』という模様があったため、それを名としました。成長してからは魯で大功を立てて費(または「鄪」)の地に封じられ、上卿になりました。その後、季孫行父きそんこうほ季孫宿きそんしゅくの代まで家業を増し、旧績(古い功績)を廃すことがありませんでした。魯の文公ぶんこうが死んだ時、東門遂とうもんすいが適(嫡子)を殺して庶(庶子)を立てたため、魯君はこれをきっかけに国政を失い、政権は季孫氏に移ったのです。それから既に四公(文公の後は宣公せんこう成公せいこう襄公じょうこう・昭公)が即位し、民は国君の存在を忘れてしまいました。どうして国政を得ることができましょうか。だから国君となる者は、器(車服。身分の秩序を表す)と名(爵号)に対して慎重であり、それらを人に貸してはならないのです」


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