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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第十章 権力下降

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疾風

 呉王・闔廬こうりょが徐人に掩餘を、鍾吾人に燭庸を引き渡すよう圧力をかけていた。


 二公子(掩餘と燭庸)は楚に奔った。

 

 楚の昭王しょうおうは二人に広い土地を与え、その徒衆を定住させることにしました。監馬尹・大心たいしんを派遣し、二公子を迎え入れて養(邑名)に住ませた。

 

 また、莠尹・ぜんと左司馬の沈尹戌しんいんじゅつに命じて養に城を築かせ、城父(養東北)と胡田(養東南)の地を割いて与えた。


 二公子は呉にとって脅威に覚えるようになっていった。

 

 子西しせい(昭王の庶長兄)が昭王を諫めた。


「呉王は新たに国を得たばかりではあるものの、民と親しみ、民を我が子のようにみなして辛苦を共にしております。これは民を使おうと思っているからです。呉の辺境と関係を改善し、柔服させたとしても、呉軍が攻めて来る恐れがあるというのに、わざわざ呉の讎(二公子)を強大させ、怒りを重ねさせることは相応しくありません。呉は周の冑裔(後裔)ですが、海浜に棄てられたため、姫姓(中原の姫姓の国)とは通じていません。それでも最近になって強大化し、諸華(中原諸国)にも匹敵するようになろうとしています。また、呉王は文(知識。見識)があり、先王(周の祖)と等しくなろうとしています。天が呉王を暴虐な国君とし、呉を滅亡させて異姓の国を大きくするつもりなのか、最後まで呉の祚(福)を守るつもりなのかは分かりませんが、もうすぐ結果が出るでしょう。我々はとりあえず我々の鬼神を安んじ、我が族姓(国民)を安定させ、呉の動向を見守るべきです。自ら苦労を招く必要はございません」

 

 この時、昭王はまだ十一歳前後であるため、彼の言葉は昭王に向けられたというよりは、令尹・子常しじょうへの言葉であろう。

 

 しかし、子常は彼の言葉を聞き入れなかった。






 

 

 楚の動きを知った呉王・闔廬は臣下と協議した。


「どう思うか」


「楚は呉の二公子に土地を与えたのは、こちらへの牽制の意味がありましょう」


 伍子胥ごししょが発言すると続けて、孫武が発言した。


「しかしながら牽制をするにしても国民は疲弊しており、二公子の住む場所を作るのがやっとのこと、牽制のための形を整えきれておりません。逆にこちらが牽制の形を取り、相手に驚異を与えるべきでしょう」


「うむ、その通りだ。では、いつ頃仕掛ける?」


「準備が出来次第やりましょう。戦は先手を取ることが先決です」

 

 十二月、呉王・闔廬は孫武の意見に従い、素早く軍を動かして鍾吾へ侵攻した。呉の軍は孫武による手が加わり、今まで以上に早く移動する軍となっていた。孫武が軍の速さを重要視したためである。


 突如現れた呉軍に驚き、ほとんど抵抗できずに鍾吾君は捕らえられてしまった。


「次はどうする?」


 伍子胥が問うと孫武は、


「徐へ」


「徐の城は堅固な城だと聞いているぞ。落とすのに、時間を掛ければ折角生まれた速さによる優位が揺らいでしまう」


「確かに普通にやれば、そうでしょう。だからこそここでは工夫が必要です」

 

 呉軍は徐へ侵攻した。しかし、呉は徐の城を前にして、その動きを緩めた。


「早く落とさねば、楚軍が援軍に来るぞ」


 伍子胥がそう言うと孫武は、


「いえ、この徐の城は少し時を待たねば落とせません」


 と首を振って答えた。しかし、伍子胥にしろ呉王・闔廬にしろここで時間を掛ければ、楚によって包囲されてしまうのではないかと危惧した。


 だが、孫武はそれらの危惧などなかった。


「これは足の速さだけで勝負の決まる駆けっこではないのです。軍におかる速さの勝負とは如何に相手よりも有利な場所へ移動することができるか。如何にして相手を自分たちよりも遅くさせるかです」


「どういう意味だ?」


 呉王・闔廬が問いかけると彼は答えた。


「まだ、楚は私たちが鍾吾を陥落させたのを知りません」


「何故、そう言い切れる」


「楚へのそういった情報を一時的とはいえ、流さないようにしているからです。まあ流石にあと数日すれば、知ることになりましょう。一番先に来るとすれば、沈尹戌でしょうか」


「なら、早く攻め落とさねばならないのではないか?」


 伍子胥がそう言うと孫武は、


「なりません。少なくとも一日兵を休ませる必要があります」


「だが……」


「理由はあります。一つは徐が動かないことです。本来であれば、自分たちの拠点に相手が迫っているにしては、動きがありません。動揺して統制が取れていないというわけでもありません」


 呉の諸将たちは自分たちの軍の速さに徐が対応できていないと思っていたが、孫武はそうではないと考えていた。


「それはなぜかと言えば、徐は我らがここに来るまでに疲労すると見て、疲労したところを徐は奇襲するつもりなのです。ですから内部まで引き込もうと思い、抵抗する動きを見せなかったのです。そのため私はここで兵を休ませることにしました」


「なるほどだが、自分たちの思惑が外れた徐の者共は、亀のように城に引きこもり、城の守備を固めさせては、落とすのに時間が掛かってしまうのではないか」


 孫武が徐の思惑を見抜いていたことは流石だが、見抜かれたと思った徐は守りを固めるだろうと伍子胥は予想した。


「そうでしょう。だからこそ工夫が必要なのです。それに彼らがそうすることは決して、こちらに対して有利に働かないわけではないのです」


 彼は笑みを浮かべた。








 一方、徐は孫武の言った通り、行軍に疲れたところを襲うつもりであったが、その途中で休まれたため、城の防備を固め、時間を稼ぐことにした。


(楚が来れば、十分勝てる)


 そう徐の国君である章羽しょうう(または「章禹」)は思った。


 しかし、そのように防備を固めても呉からの攻撃はほとんだなかった。


(呉めやる気があるのか)


 そう思っているとあたりに桁継しい爆音が響いた。


「どうしたというのか」


「報告します。呉軍は山上の水を決壊させました」


「なんだと」


 彼が気づいた時には、徐の城の周りは水没してしまっていた。


(これでは勝つことなどできないではないか)


 徐が先手を取って、仕掛けずに城に籠ったことで、呉軍は周囲の工作を行える自由ができた。そのため孫武は川を難なく塞き止め、水攻めを行ったのである。


 水攻めをくらった徐は呉に降伏し、徐は滅んだ。


 章羽は髮を切り、夫人と共に呉王・闔廬を迎え入れた。髪を切ったのは呉の風俗に倣うためである。

 

 呉王・闔廬は彼を慰労すると、その邇臣(近臣)に彼に従うことを許し、彼らを楚に送った。


「さて、引き上げましょう。軍の引き上げる時ことがもっとも将に求められる手腕です」


 呉は撤退した。

 

 楚の沈尹戌は呉による侵攻を知り、徐救援に向かっていたが、間に合わず、夷(城父)に城を築いて章羽を住ませることにした。

 

(まるで風のように現れ、風のように去っていった。なんと恐ろしい軍か)


 と沈尹戌は今まで以上に呉は厄介な存在となったと感じた。







 

 帰国した呉王・闔廬は今回の勝利で楚攻略の自信がついたのか伍子胥に言った。


「以前、汝が楚討伐を語った時、私は成功すると思っていたが、自分が出征を命じられることを心配し(当時は呉王・りょうの時代)、また、やつが私の功績を奪うことを嫌ったために反対した。しかし今、自分が即位したため、自分の功績にできるようになった。楚を討とうと思うがどうだろうか?」

 

 伍子胥としては嬉しかった自分の見込んだ主が楚討伐の意思を固めていることにだが、だからこそ彼は身長であった。


「楚は執政(政治を行う者)が多いものの互いに和さず、責任を負おうとしません。三軍を組織して肄しましょう(急襲と退却を繰り返しましょう)。呉の一軍が楚に至れば、彼等は全軍を出陣させます。彼等が出てきたら我々は還り、彼等が還ったらまた撃って出れば、楚は道上を奔走することになり、疲弊していくことになりましょう。肄によって疲弊させ、あらゆる方法で彼等の失策を誘い、彼等が衰弱してから三軍を用いて総攻撃をかければ、必ず大勝できるでしょう」

 

 呉王・闔廬は彼の意見を聞き、孫武に目を向けると彼も頷いた。


「良し、汝の策に乗るとしよう」

 

 その後、楚は呉の攻撃に悩まされ、衰弱していくことになる。

 

 楚の悪夢の時代まであと少しと迫っていた。

 


 

 


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