婦人を兵に
斉と呉の間で婚姻が結ばれることになり、斉から娘が出発するため斉の景公自ら郊外まで見送った。
景公は泣いて言った。
「私は死ぬまで娘に会えなくなるなあ」
高張が疑問に思い言った。
「斉は海を背にし、山に囲まれております。天下を治めることができないとしても、誰が我が君を侵そうとするでしょう。別れたくないのであるなら、行かせるべきではないのでは?」
景公は首を振る。
「私には堅固な国があるが、諸侯に号令することができず、また諸侯の命を聞くこともできないでいる。これは乱の元になるだろう。人に命じることができないのであるならば、人に従った方が良いという。そもそも、呉という国は蜂蠆(蜂やさそりのように毒をもつ虫)と同じだ。蜂蠆は人に毒を吐かなければ静かにならない。私はその毒が我が国に及ぶことを恐れているのだ」
さて、このような風に彼が考えるのは、実は田乞に呉への警戒を行うべきと密かに進言を行われていたのである。
最初は特に気にしなかったが、同じように繰り返し言われたため、娘を送ることにした。
田乞がそのようなことを景公に進言したのは、弟の孫書から相談を持ちかけられたのが最初である。
孫書は孫武を呉に送ることを提案した。晋の例に倣って、呉との関係強化を行えると彼は相談したのである。彼としては婿である孫武の才覚が野に埋もれてしまうことへの危機感からであった。
田乞は弟の提案に同意しつつ、彼の意見と共に呉との婚姻を結ぶことも盛り込んだ。
これは実はこれを後に知り、怒りを覚えた国があった。その国とは晋である。晋と呉は大分前から疎遠になりつつあったが、それでも盟を結んだ中であった。しかしそれが斉に近づけば、晋としては面白くない。
だが、それは表面化されることはなかった。晋の頃公が死んだということもあり、呉に対しそこまで追求する状況ではなかったのである。
しかし、これにより間接的とはいえ、晋と呉の関係を歪めることに成功し、晋と呉には溝ができた。
孫武が呉に来ることを喜ぶ伍子胥は彼を王への印象を強めるため彼に願った。
「あなたの書いた兵法を王に見せたいのだが、書いてもらえるか?」
「わかりました。あなたに見せたものはまだ、完成品ではありませんしね。しっかりとしたものを王に見せるとしましょう」
そう言って、孫武は呉に行くまでの道中、兵法書を書いた。これが後に言う『孫子の兵法』である。
呉に戻った一行は呉王・闔廬に斉との婚姻のための娘が来たことを伝え、斉からの客将として孫武のことも伝えた。
「孫武は兵法の達人というべき人物であり、私は彼の兵法を読み感嘆しました。願わくば、王に彼の兵法書を見てもらっても構いませんでしょうか」
「わかった。見よう」
それから数日して、孫武の元に伍子胥がやって来た。
「王はあなたの兵法書を読み、感心なさった様子であった。されど実際にあなたの兵法を見たいと仰られてな。王に見せることができるか?」
「できます。では、参りましょう」
孫武は軽くそう言って参内した。彼が参内すると呉王・闔廬の左右に楚からの亡命者である伯嚭と喪が明けた范蠡が控えていた。
呉王・闔廬は問うた。
「汝の十三篇(孫子の兵法十三篇)を実際に見てみたい。試しに兵を指揮することができるだろうか?」
「できます。」
「では、婦人であろうとも試すことができるか?」
(婦人を兵になんと無茶な)
と呉王・闔廬の近くに来て控えた伍子胥は思ったが、孫武はあっさりと、
「できます」
と答えたため、呉王・闔廬は宮中の美女百八十人を呼び出した。
孫武は呼び出された百八十人を二隊に分け、呉王・闔廬の寵姫二人をそれぞれの隊長にした。婦人達は戟を持って並ぶ。
孫武が言った。
「汝等は心(胸)と左右の手および背を知っているでしょうか?」
彼は落ち着いた口調で述べるに対し、婦人達は、
「は~い知っています」
と気の抜けた言葉を持って答えた。
(これでは無理だ)
伍子胥はそう思う横で范蠡は小さく、
「最低でも二人か……」
と呟いた。
孫武が軍令を出した。
「前と命じれば、心を見よ。左と命じれば、左手を見よ。右と命じれば、右手を見よ。後ろと命じれば、背を見よ」
婦人達は、
「はい」
と答えた。
軍令が決まると、孫武は鈇鉞(刑具)を婦人達の前に置き、再三軍令を繰り返して指示を徹底させた。
その後、孫武が戦鼓を打ち、「右」と命じた。
しかし何が可笑しいのか婦人達は大笑いするだけで命令に従おうとしなかった。
孫武は、
「指示が不明確で軍令が徹底できていないことは、将(孫武)の罪である」
彼はそう言って、改めて軍令を繰り返して伝えてから再び戦鼓を叩いて「左」と命じた。ところが婦人達はまたしても大笑いするだけで命令に従おうとしなかった。
すると孫武は目を怒らせ言った。
「指示が不明確で軍令が徹底できないでいることは、将の罪である。しかし指示が明らかになっていながら法に従わないのは、吏士(隊長)の罪である」
孫武は左右の隊長を捕えて処刑しようとした。
台上でその様子を観ていた呉王・闔廬は何をしているのかと隣にいる三人に問うた。
「さあ」
と答えたのは、伯嚭である。
「恐らく二人の寵姫を殺すのでしょう」
と范蠡が呟いた。それに驚いた呉王・闔廬は范蠡を台上から降りさせ、孫武にこう伝えた。
「私は既に将軍が兵を用いることができると知った。私はこの二姫がいなくなれば、食事をしても甘味を覚えることができなくなる。二人を斬らないでほしい」
しかし孫武は、
「私は既に命を受けて将になったのです。将が軍に居る時は、君命を受けないこともあるものです」
孫武は隊長二人を斬って見せしめとし、次に寵愛を受けている者を隊長に任命してから戦鼓を叩いた。婦人達は無言で命令に従った。
暫くして、孫武はその様子を見ている范蠡に、
「王に伝えていただきますか」
と言って、彼を送って呉王・闔廬に伝えさえた。
「兵は既に整いました。王は台から降りて試してくださいませ。王が求めればこの者らは水火に赴くこともできましょう」
呉王・闔廬は不機嫌な表情を浮かべながら、
「将軍は館舍で休め。私は下に降りて観ようとは思わん」
それを范蠡が伝えると孫武は批難した。
「王はその言(兵法)を好むが、実を用いることができませんなあ」
范蠡はその言葉を聞き、見せしめになっている寵姫の首を見て、少し哀れみの感情を向けながら、
「少しお待ち頂けるでしょうか。王にあなたのお言葉を聞かせれば、考えを変えることでしょう」
と言って呉王・闔廬の元に行き、孫武の言葉を伝えた。
「なんと傲慢な言葉でしょうか」
と伯嚭は憤慨して、孫武の登用に反対した。一方、伍子胥はこの場で結果を見せたとして登用すべきと主張した。
「汝はどう思うか?」
范蠡に呉王・闔廬は問うた。
「王が姫をお取りになるのであれば、登用しなければよろしいでしょう。もし、孫武殿の器量をお取りになるのであれば、登用なさればよろしいかと存じ上げます」
「では、孫武の器量を取るとしよう」
呉王・闔廬の決断に伍子胥は喜んだ。
「承知しました。では、それを伝えて参ります」
こうして呉王・闔廬は孫武の用兵の能力を認め、呉の将に任命した。




