再会
紀元前512年
魯の昭公が未だ晋にいる頃、六月、晋の頃公が世を去った。子の午が継いだ。これを晋の定公という。
八月、頃公が埋葬された。
鄭の子大叔が晋を弔問し、送葬に参加した。
すると晋の魏舒が士彌牟を派遣して彼に詰問した。
「悼公の喪では子西が弔問し、子産が送葬した。今回、吾子の他に誰もいないのはなぜだろうか?」
それを見ながら趙鞅は内心、
(馬鹿めが)
と呟いた。
因みに魏舒は述べていないが、平公の喪でも子大叔が弔問し、子皮が葬送している。
子大叔はこう答えた。
「諸侯が晋君に帰順しているのは、晋に礼があるからです。礼と申しますものは、小国は大国に仕え、大国は小国を撫愛するものです。大国に仕える時は、恭しく時命(時に応じた命。弔問・葬送を含む)に従わなければならず、小国を撫愛する時は、小国に欠けたものを憐れまなければなりません。我が国は大国の間にありながら、職貢(賦税。貢物)を献上し、不虞(不測)の患を防ぐ備えを提供しております。共命(恭しく時命に従うこと)を忘れることがありましょうか」
晋に貢物を贈り、労役の義務を果たすことも忘れるようなことがないにも関わらず、弔問・葬送を忘れることがあるだろうか。
「先王の制によりますと、諸侯の喪は士が弔問して大夫が送葬し、ただ嘉好(朝見)、聘享(聘問)、三軍(戦争)の事だけは卿が参加することになっております。晋の喪事では、我が国に余裕があれば、先君が紼(霊柩を牽く縄)をとったこともありました(いつの事かは分からない)。しかし余裕がなければ、士や大夫であっても礼を守ることは困難なことです(派遣することはできない)。大国の恩恵とは、小国が善を加えたら嘉し(大夫や士を越えて国君や卿が弔問・葬送に参加したら称賛し)、その不足(礼が足りないこと)を譴責せず、その情(小国の忠心)を明察し、儀礼が備わるように要求するだけで礼となりましょう。周の霊王の喪においては、我が先君・簡公が楚にいたため、先大夫・印段が周に行きました。彼は我が国の少卿に過ぎませんでしたが、王吏(周王室の官員)は譴責することはありませんでした。これは我々の不足を哀れんだためです。しかし今、大夫はこう申されました。『汝はなぜ旧例に従わない』と、今までも豊(礼を越えた状況)と省(礼を省いた状況)がありました。今回こう言われましたが、我々は何に従えばいいのか分かりません。豊に従うとすれば、我が君はまだ幼弱なため実行できません。省に従うとしたら、私が既にここにいます。大夫はよくお考えください」
晋人は返す言葉がなかった。
(見事なものだ)
と子大叔の言葉を趙鞅は称えた。
一方、その頃、呉の季礼と伍子胥が斉に赴いていた。
呉王・闔廬が即位したことを知らせることと、外交的に友好関係を結ぶためである。
「良くぞいらっしゃいましたな。季礼殿」
そう言って二人を歓迎したのは、晏嬰である。
(これが斉の宰相・晏嬰か)
噂通り、その背は小さいものの圧倒されるような雰囲気を持った人であった。伍子胥は晏嬰を見ながら思った。
「呉の政変のことは聞いております。あまり血を流さなかったとか。良いことですな」
「できる限り血が流れなかったことは良かったことではありますが、それでも流れた血のことを思いやれなければ、流れた血が無駄になることになります。そのことを私は恐れるばかりです」
「全くそのとおりでございますな」
晏嬰は季礼の言葉に頷きながら伍子胥を見た。
「あなたができる限り、血を流さぬよう配慮したと聞いております。あなたのおかげで呉の政変は血生臭い状況を避けることができました。きっとそれはあなたの遺産となりましょう」
「有り難きお言葉でございます」
(そんなことまで知っているのか。この方は)
伍子胥は晏嬰の言葉に喜ぶ以上に晏嬰の情報収集力に舌を巻いた。
「晏嬰殿、一つお伺いしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
「何でしょう」
「孫武という人物を知りませんか。実は彼には恩義がありまして、斉の者と言っておりましたのでお伺いしました」
晏嬰は少し考えて、言った。
「孫武ですか。確か彼は孫書の婿ですね。ただ彼は官を辞めているのですよ」
「辞めているのですか。何故でしょうか?」
「さあ、理由は存じ上げませんが……取り敢えず、臣下に彼の住んでいるところを紹介させましょう」
「感謝します」
伍子胥はお礼を言う。
「今日は客室を用意致しますので、そこでお休み下さい」
晏嬰はそう言って彼らを臣下に案内させて、部屋を出た。するとそこに孫書がいた。
「あの者らは呉の者ですかな」
「ええ、そうだ……そう言えば、副使の者が孫武と知り合いとのことだ」
「ほう、それは知りませんでしたな」
孫書は目を細めた。
「何でも恩義があるとのことだ」
「そうですか。では、ここらで失礼します」
孫書と晏嬰は別れた。
(武が呉の使者とか……)
彼は婿のことを思った。
(このまま野に埋もれさせているのは、惜しい。しかし、斉に協力する気は武には無い。だが、呉か……)
恐らく呉は楚への出兵を考えているはずだ。
(ならば……兄上と話しをしてみるか)
「ここにいると聞いたが……」
伍子胥は晏嬰の臣下から聞いた孫武が今いる場所に趣いていた。
「あそこか」
小さな家が森の中にあった。そこで家の前で掃除をする童子がいた。
「私は伍子胥という。ここに孫武殿がいると聞いて来たのだが、会えるだろうか」
「先生のお知り合いの方ですか。少しお待ちください」
そう言うと童子は家の中に入っていき、暫くして出てきた。
「どうぞ」
「では、失礼する」
伍子胥が家に入ると至るところに木簡が積まれていた。
「これらは?」
「先生が研究しております兵法書でございます」
「これ全部がか」
彼は兵法書の多さに驚きながら廊下を進む。
「こちらが先生がおります。部屋でございます」
童子は扉を開け、伍子胥を入れた。
「お久しぶりですな。伍子胥殿」
孫武はにこやかに彼を迎え入れる。
「孫武殿もご壮健そうで何より」
伍子胥は床に座り、孫武を見た。少しやつれているようにも見えるが、昔会った時と変わっていなかった。
「しかし、今では呉の行人ですか。出世なさいましたな」
「いえいえ、私などはまだ志一つ叶えずにおります」
彼の志とは、楚に復讐することである。呉に仕え、その志を果たそうとはしているものの、未だ楚に大きく侵攻することもできていない。
「志というのは簡単に成し遂げられるようなものであるならば、それは志とは言えないでしょう。少なくともあなたは志を果たすために努力を怠っていない。それだけでもすごいと私は思いますけどね」
孫武は伍子胥の志を理解している。正直、最初に会った時はその志を果たすことは難しいと思っていたが、彼はその志を果たすために努力をここまで行ってきた。
(自分はどうだろうか)
伍子胥よりも恵まれている地位にいながら志のようなものを持たず、師と言える人は左遷させられ、それを救うこともできなかった。
(自分がこれほど無力であろうとは思わなかった)
また、国への不信感もあった。国は師である田穰苴を左遷にしたこと、それを容認した田一族への不信感、それもあって野に下った。
「これらは兵法書と伺った。孫武殿はそれの研究をされているのか」
「ええ、実際に自分で書いてみてもいますがね」
孫武は兵法の研究と共に兵法書の執筆も行っていた。
「見せてもらってもよろしいか」
「構いませんよ」
伍子胥は孫武の書いた兵法書を読み始めた。
(これは、難解だな)
孫武の兵法書は短い言葉が中心に書かれているが、内容は事態は具体性に欠いた記述が多かった。
「どうですか」
「難解で、良くわからない」
伍子胥ははっきりとそう言った。その言葉に孫武は笑った。
「そうですか。まあ、義父にも同じようなことを言われました。それでも兵法を語るとなると、どうにもそのような記述になってしまいまして」
孫武の兵法書は所謂、兵法の奥義書に近い。そのため理解することが難しいものであった。
「だが、素晴らしい兵法書であると私は思う」
「そうですか?」
「ああ、だからこの兵法書の内容をやってみせてくれないか」
孫武は驚いた表情を浮かべた。
「どういうことですか?」
「呉に来て欲しいということだ」
伍子胥の言葉に更に孫武は驚く。
「呉にですか。私は何の実績も何もないものですよ」
「それでもこれを読んでみて、汝の力がきっと必要になると私は確信したのだ。私が王を説得して、あなたの席も用意する。だから斉に来てくれぬか」
彼の言葉に孫武は動揺しながらも言った。
「何故、そこまで私を買ってくれるのですか」
「この兵法書を読んで確信したというのもある。だが、それ以上にあなたは私が楚を討つことをできると最初に言ってくれた人だ」
伍子胥にとって孫武のあの時の言葉は嬉しかった。自分のやろうとしていることをできると言ってくれた人である。
(こういう人だったのか伍子胥殿は)
孫武ははっきり言って、自分に才覚があると思っている。だが、それを斉で使うことは疑問があった。そのため野に下った部分もある。
「嬉しい言葉です。しかし、私は……」
「そうか。わかった。無理は言わない。では、失礼させてもらおう」
去っていく伍子胥を孫武は見続けていた。
伍子胥が戻ると季礼に呼ばれた。
「先ほど、斉君より婚姻を結ぶことを申し込んできました」
「婚姻を」
それは呉にとっては吉報と言えるものかもしれない。斉と関係を結べば、北の驚異はほど無くなることになる。そうすれば、楚との戦いに集中することができるだろう。
「しかし、突然のことですね。どうしたのでしょう」
「それはわかりませんね」
「しかし、良いことなのではありませんか?」
「ええ、良いことです。この婚姻はきっと良いものとなりましょう。まあ王が承知することが前提条件ですがね」
「そのとおりです」
二人は呉に使者を出し、婚姻について報告した。それからしばらくして呉から返信が来た。
「王は婚姻に同意するとのことです」
「そうですか。では、斉にその旨を伝えましょう」
呉が婚姻を認めることを斉に伝えられた。斉も正式に呉との婚姻をすることを発表し、斉から使者が出されることになった。
その使者に選ばれたのは、なんと孫武であった。
「孫武殿が呉への婚姻の使者なのですか」
伍子胥が驚くと孫武も頷いた。
「ええ、しかしながら扱いとしては使者というよりは……」
「晋の例にならおうということでしょうな」
季礼の言葉に伍子胥は疑問に思えた。
「晋の例とは?」
「かつて呉に対し、晋は同盟を結ぶと同時に屈狐庸殿を送ってまいりました」
屈狐庸とは、楚から亡命した巫臣の息子である。
「あの時は呉に対し、外交の何たるかと中原の文化などを伝えることが目的の客将でした」
「では、今回は」
「軍人としての客将ということです」
孫武はそう言うと一揖する。
「斉は呉の楚攻略に全面的に協力するということです」
「そうか。季礼殿、孫武殿の兵法は素晴らしいものです。きっと呉に幸運をもたらすことでしょう」
伍子胥はそう喜ぶが季礼は目を細める。
(だが、斉にどんな利益がこれで生じるというのだ?)
彼はそのように思った。
(されどこの婚姻は願ってもないことであることは確かだ。より良い関係が続くようにせねばな)
これにより、斉と呉の間で婚姻が結ばれ、呉は北の驚異が無くなったことになる。
楚との戦いの準備が着々と進み始めていた。




