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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第十章 権力下降

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田穰苴

 斉で彗星が現れた。彗星は不吉な星とされていたため、斉の景公けいこうは禳(祈祷。お祓い)をして災害を除こうとした。

 

 しかし晏嬰あんえいがそれを止めた。


「無益です。誣(詭弁。詐術。偽り)を招くだけです。天道を疑うことはできず、その命に逆らうこともできません。禳に何の意味があるのでしょうか。天の彗星が現れたのは穢(汚れ)を除くためです(彗星は箒星ともいうため、旧を除いて新をもたらす象徴とされている)。国君に穢徳(汚れた徳)がないのならば、何に対して禳をするのでしょう。逆にもし徳が穢であれば(汚れていたら)、禳によって何を除けるのでしょうか。『詩(大雅・大明)』にこうあります。『文王ぶんおうはいつも慎重であった。上帝に仕えることを明らかにし、多くの福を想った。徳が天に逆らうことはなく、万国の帰心を受けた』国君が徳を違えなければ方国(四方の国)が帰順するのです。彗星を憂いる必要はありません。また、『詩(恐らく佚詩)』にはこういう句もあります。『私には鑑(教訓)がない。あるとすれば、夏后(夏王朝)と商だけである。政治が混乱したために、民が流亡することになった』徳が天に背けば乱を招き、民が流亡するのです。祝史の行為(祈祷)で補えるものではありません」

 

 景公は諫言に喜び、祈祷を中止した。

 

 また、ある時、景公と晏嬰が路寝(天子や諸侯の正庁)に坐って会話をした。

 

 景公が嘆息して言った。


「美しい室(部屋)だとは思わないか。誰がここを得ることになるだろうな」

 

 景公は自分の徳が足りないため、子孫が久しく国を保つことができないことを知っていたようである。

 

 晏嬰が問うた。


「それはどういう意味でしょうか?」

 

「徳がある者がここを所有できるということだ」

 

「主公の言の通りだとすれば、田氏でしょう。田氏に大徳はありませんが、民に施しを行っています。豆・区・釜・鍾(全て容量を量る道具)の容積は、公(税)を取る時は小さく、民に施す時は大きくなっております」


 田氏の治める地域の民から税を取る時はわざと秤を小さくして少な目に取り、民に与える時は秤を大きくして大目に与えていた。


「主公の税が多いのに較べて、田氏は施しが多いため、民は田氏に帰心しています。『詩(小雅・車舝)』にはこうあります『あなたに恩恵を与えることはできないが、あなたのために歌舞を披露せん』田氏の施しに対して民は歌舞を披露しております。主公の後世が少しでも怠惰になり、その時に田氏が亡んでいなければ、この国は彼の者らの国になるでしょう」


 晏嬰の言葉に出てきた歌舞を披露するというのは、民が田氏に対し、恩を返すことができないが、広く称賛の声を挙げているということを意味している。

 

「その通りだ。だが、どうすればいい?」

 

「礼だけがそれを止めることができます。礼に符合しておりますれば、家(卿大夫。ここでは田氏)の施しが国に及ぶことはなく、民は遷らず(流亡せず)、農民も工賈(工商)も職を変えず、士は官を失わず、官吏は怠けず、大夫は公室の利を奪わなくなります」

 

「素晴らしい。今までの私にはできていなかったが、今後、礼によって国を治めることができると私は知った」

 

 晏嬰は更に言う。


「礼によって国を治めるということは、既に久しいことであり、天地と併存しております(天地ができた時から礼は存在し、それによって国を治めてきた)。主公が政令を発すれば、臣下は恭しく従い、父は慈愛で子は孝順となり、兄は仁愛で弟は恭敬となり、夫が和して妻は温柔となり、姑は慈愛で嫁は従順であること、これが礼というものです。主公の政令は礼に違わず、臣下は恭敬で二心を抱かず、父は慈愛を持って子に教え、子は孝心を持って父を戒め、兄は仁愛を持って親しみ、弟は恭敬な態度で従い、夫は和して義を守り、妻は温柔かつ正直で、姑は慈愛を持って忠告に従い、嫁は従順かつ婉曲であること、これは礼の善物(礼がもたらす好い事)なのです」

 

「素晴らしい。私は今、礼の偉大さを知った」

 

「先王は天地から礼を学んで民を治めてきたのです。だから先王は礼を尊重してきました」


 晏嬰はこのようにして、景公という三流の国君を補佐していた。













 その頃、晋が阿(東阿)と甄を攻撃し、燕も黄河南岸を侵した。晋の侵攻は斉が魯の昭公しょうこうを使って、魯に対する影響力を増そうとしていることへの牽制の意味がある。


 この侵攻によって斉軍が破れたため、景公は憂慮した。そんな中、晏嬰が発言した。


「田氏の庶孽(妾の子)に穰苴じょうしょという者がおります。その者の文才は大衆を帰服させ、武才は敵を威圧することができます。主公は試しに用いてみては如何ですか」


 これに田乞でんきつは首を傾げ、その弟の孫書そんしょは驚いた。


「穰苴殿とはどなたですか?」


 孫書の傍にいた孫武そんぶが訪ねた。


「穰苴は晏嬰殿の言われた通り、庶孽で我ら兄弟からすると従兄弟にあたる。そして、才覚のある男だ」


「そんな人が、しかし何故そのような人物が今まで用いられなかったのですか?」


「庶孽であったため、庶民の家に預けられていたのだ。私はたまたま知っていたが、兄上はあの者のことを知らない。そのため才覚はあっても用いられることはなかった」


(それよりもその穰苴を晏嬰殿が知っているというのは、どういうわけか)


 田氏一門の中でも田穰苴でんじょうしょのことを知っている者は少ない。それにも関わらず、晏嬰は彼を知っていた。


(恐ろしい人だ)


「良しでは、その者をここへ呼べ」


 景公はそう命じ、田穰苴が招かれた。


 宮中に現れたのは、筋骨隆々とまではいかないが、鍛えられた肉体を持ち、白い髭を生やした男であった。


「臣・田穰苴、命により参上致しました」


 景公は彼へ兵事についていくつか質問し、彼は一つ一つ答えていき、その答えにとても満足した景公は此度の将軍に任命した。


 田穰苴はその突然の発表に対してさほど驚かず、言った。


「謹んでお受けします。しかしながら私は元々卑賤な身であり、主公のおかげでこうして閭伍(庶民)の中から抜擢され、大夫の上に加えられることになりました。しかし士卒はまだ帰心してはおりません。百姓も信用していません。人が微賤ならその権力も軽いものです。主公の寵臣で国に尊ばれている方を監軍に任命してくださいませ」


「わかった荘賈そうかを付けよう。では、頼むぞ」


「仰せのままに」


 その様子を見ながら、孫書は孫武に言った。


「武よ。お前は彼の元に行きなさい。彼は私とは違う戦を行う人物だ。きっとお前にとって良き師となるだろう」


「わかりました」


 こうして、主将を田穰苴が努め、軍正に孫武、監軍として荘賈がついた。










 軍を出発させる前に孫武は田穰苴に会った。


「孫武と申します」


「汝が孫書殿の自慢の婿殿か。よろしく頼むぞ」


「はい」


 田穰苴はにこやかにしていると兵がやって来た。


「時を見るための木時計と水時計を設置しました」


「ご苦労」


「何故、時を確認するのですか?」


 孫武がそう尋ねると彼はこう答えた。


「荘賈殿と日中に軍門の前で集合することを約束していたのだ」


 田穰苴は約束通り、軍門に到着していたが、荘賈は中々来なかった。

 

 荘賈はかねてから驕慢で、しかも自分が監軍になったため、急ごうとしなかった。また、親戚や親友が荘賈を送り出すために宴を開き、荘賈を留めて酒を飲ませていた。


「来ないが準備を始めよう」

 

 正午になっても荘賈が来ないため、田穰苴は木時計と水時計を破壊し、軍門を入って営内を視察してから軍を整えた。各種の軍令が発せられ、将兵の部署が完了した。


(初めて軍を率いるというのに、手際が良いものだ)


 孫武はてきぱきと準備をしていく彼に関心した。


 準備が完了した時には夕方になっていたが、荘賈がやっと現れた。


「いやはや遅れてしまった」

 

 田穰苴が問うた。


「なぜ遅れて来たのですか?」

 

 荘賈が謝って言った。


「すまない。不佞大夫(不才な大夫。自称)の親戚が送別の宴を開いていたために、留められたていたのだ」

 

 田穰苴は憤怒を込めながら、


「君命を受けた日には家を忘れ、軍の約束に臨めば、親(親しい者)を忘れて戦鼓を叩き、進む時には己の身を忘れるもの。今、敵が深く侵攻したため、邦内(国内)は混乱し、士卒は国境に晒され、国君は安心して眠ることもできず、食事にも甘味がなく、百姓の命は全て汝にかかっている。それにも関わらず、送別などということを言っている時であるか」

 

 田穰苴は軍正(軍の法官)・孫武に問うた。


「軍法で期限が決められた時、それに遅れた者への処罰はどうなっているか?」

 

 孫武は息を呑み言った。


「死罪に値します」


「死罪だと、この私がか。主公に訴えさせてもらうぞ」

 

 荘賈は急いで景公に使者を送った。しかし使者が戻る前に田穰苴は剣を抜き、


「軍中において、主将の言は絶対なり、汝は死罪である」


 そのまま荘賈を斬り、三軍の見せしめとした。

 

 暫くして景公の使者が到着した。


「主公からの命である。将軍、荘賈を釈放されたし」


 国君の符節を持った使者は車に乗ったまま軍中に駆け入り、荘賈の釈放を要求した。


 しかし田穰苴は、


「将が軍中に居る時には、君令でも受けないことがあるものである」


 と言ってから、孫武に問うた。


「三軍の中を車で駆けることは、法においては如何であろうか?」

 

 孫武は、


「死罪に値します」

 

 と答えたのを耳にして使者が驚き恐れると、田穰苴は笑って言った。


「だが、国君の使者を殺すわけにはいかない」

 

 そこで田穰苴は使者の僕(御者)を斬り、車の左駙(軵。車の横の木)を切断し、左驂(馬車の左の馬)を殺して三軍の見せしめとした。

 

 その後、使者を帰らせて景公に報告し、軍を出した。

 

 ここまでの一連の流れで兵の士気は上がっていた。高位であろうとも軍中の法を守ろうとする公平さに信頼を覚えたのである。


(一人を殺すことで、兵の心を掴んでしまった)


 もしかしたら最初から殺すつもりだったのではないか。だとすれば、田穰苴という人は恐ろしい人である。

 

 この行軍中、士卒が営舍を建てたり、井戸を掘ったり、竃を造る時には、田穰苴も一緒になって動き、士卒が病にかかって医薬が必要になった時には、田穰苴自ら世話をし、将軍の物資も士卒に分け与え、士卒と共に食事をした。


 こうすることで兵と将の間の距離を縮め、信頼関係を構築した。

 

 また、軍中から弱者を除き、三日後に軍を再編成した。しかし除かれた病人弱者も従軍を望み、奮い立って戦に臨んだ。


 彼は数日の間に寄せ集めに近かった兵たちを強兵に変えてしまったのである。

 

 晋軍は斉軍の勢いを聞いて撤退し、燕軍も黄河を北に渡って兵を解散させた。田穰苴は晋と燕の兵を追撃し、失った領土を全て取り返してから兵を還した。

 

 田穰苴は国都に到着する前に兵を解散させ、軍令を解除し、盟を誓って(誓盟。恐らく、兵権を握って戦功を立てても国に忠誠を誓うという盟)国都に入った。

 

 景公は諸大夫と共に郊外まで出迎えに行き、礼に則って軍を慰労してから宮殿に帰った。

 

 その後、景公は田穰苴を接見し、その才能を認めて大司馬に任命した。


 この任命を受けたことで彼は司馬穰苴しばじょうしょと呼ばれるようになる。


 彼の軍隊運用は孫武に大きな影響を与えた。そして、この翌年、彼にも関係する事件が呉で起こった。



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