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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第十章 権力下降

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炊鼻の戦い

 紀元前516年


 正月、宋が宋の元公げんこうを埋葬した。前年、元公は質素な葬儀を行うように遺言したが、群臣は先君が定めた制度にあわせた葬礼を用いた。


 彼の群臣からの人気の低さを物語っている。


 斉の景公けいこうが魯の鄆を攻略した。亡命した魯の昭公しょうこうを鄆に住ませるためである。

 

 三月、昭公が鄆に住んだ。


 夏、景公が昭公を帰国させるため、軍を動かすことになり、斉の群臣に魯の貨(賄賂)を受け取らないように命じた。

 

 それを受け、魯の申豊しんほう女賈じょか(または「汝賈」。二人とも季孫氏の家臣)に従って斉に行った。


 彼らの目的は昭公の帰国を阻止することである。


 二両(二匹)の錦を幣物とし、錦は一つに縛り、瑱(鎮圭。天子が持つ細長い玉器)のような形にして懐に隠した。

 

 二人は子猶しゆう(または「子将」。梁丘拠りょうきょうきょ。景公の寵臣)の家臣・高齮こうき(または「高齕」。一説では齕が名で齮は字)に会い、こう言った。


「もし子猶を説得できれば、あなたを高氏の後継者に推して、粟五千庾(庾は容量の単位)を与えましょう」

 

 高氏は斉の正卿の家系であったが、高彊こうきょうの代になって魯に出奔した。高齮は斉に残った高氏に属しているが、梁丘氏の家臣に過ぎない。そこで申豊等は高齮を高彊に代えて高氏の宗主(斉の正卿)に立てることを約束したのである。

 

 それに乗った高齮は渡された錦を子猶に見せた。子猶は自分のものにしようとすると高齮が言った。


「これは魯人が買ったものでございます。魯にはもっとたくさんの錦があり百両(百匹)で一布(一山)になっていますが、道が通じていないため(戦時であり、しかも景公が賄賂を禁止したため)、先に幣財(簡単な礼物)を贈ってきました」

 

 子猶は錦を受け取ってから、景公に進言した。


「魯の群臣が魯君のために力を尽くそうとしないのは、国君の命に背こうとしているからではなく、奇異に感じているからです。宋の元公は魯君のために晋に向かったものの、曲棘で死にました。叔孫婼しゅくそんしゃくも魯君を国に入れようとしましたが、病もないのに死にました。これは天が魯を棄てたからでしょうか。それとも魯君が鬼神の罪を得たからでしょうか。主公は棘で待機し、群臣を魯君に従わせて卜ってください(戦況を確認してから勝算の有無を判断してください)。問題なく出兵が成功してから主公が後に続けば、抵抗する敵はいません。もし出兵が成功しなくても、主公が辱めを受けることもございません」

 

 景公はこれに従い、公子・しょ(景公の子)に兵を率いさせ、昭公に従わせた。

 

 これにより、魯は斉の大軍を一気に相手しなくなったことになる。

 

 魯の成大夫・公孫朝こうそんちょう季孫意如きそんいじょに会いに行った。成は仲孫氏の邑であるが、仲孫何忌ちゅうそんかきがまだ若いため、季氏の指示を仰いでいたのである。

 

 公孫朝が季孫意如に言った。


「都(城邑)とは国を守るためにあります。私に斉軍を防がせてください」

 

 季孫意如は同意すると彼は季孫氏に人質を納めようとした。だが、季孫意如は拒否し、


「汝を信じている。それで充分である」


 と彼を送り出した。

 

 公孫朝は成に着くと斉軍にこう伝えた。


「仲孫氏は魯の敝室(落ちぶれた一族)です。成を使って戦おうとしているものの、民力も財力も劣るため堪えることができません。斉に帰順して休息させてください」

 

 斉軍はこれにより、成邑がすぐに帰順すると信じて兵を向けた。

 

 斉軍が淄水(柴汶水。小汶河)で馬に水を飲ませていると、成人が斉軍を急襲してきた。驚く斉軍に対し、公孫朝の手の者がこう伝えてきた。


「これは大衆を抑えるためです。我が主である公孫朝が投降することを民衆に知られないために行った攻撃です」

 

 斉軍は成邑が投降すると信じているため、攻撃を開始しなかった。

 

 その間に公孫朝は成邑の防備を整えさせた。

 

 戦の準備が終わると彼は斉軍に、


「大衆を制御できませんでした。斉に投降できません」


 と、内心舌を出しながら言った。

 

 このような誘導を受けたため、斉軍は疲弊した。

 

 また、この瞬間を利用して魯は軍の整備を行い、斉軍と炊鼻で戦った。

 

 斉の子淵捷しえんしょう(子淵が氏、捷が名。字は子車ししゃ。斉の頃公けいこうの孫)が魯の大夫・野洩やせつ(野が氏、洩が名)を追撃して矢を射た。


 矢は朐(車軛。車を馬に繋ぐ部分)から輈(車轅。馬と車の間の木)を通り、楯瓦(盾の左右真ん中にある脊)に中り、三寸突き刺さった。

 

 次に野洩が反撃して子淵捷の馬を射つと、鞅(馬の首につける革具)を断った。馬は倒れてしまい死んだ。

 

 子淵捷には勇力があり、野洩は矢の腕が精確であった。

 

 子淵捷は馬が死んだため兵車を乗り換えようとした。すると、一人の魯人が鬷戻(叔孫氏の司馬)だと思い、助けるために接近した。

 

 それに気づいた子淵捷は、


「私は斉人である」


 と言ったため、魯人は子淵捷を攻撃した。子淵捷はとっさに矢を射てその魯人を殺した。

 

 子淵捷の御者が、


「もっと射てください(魯兵をもっと倒してください)」


 と言ったが、子淵捷は、


「衆(大衆。民。ここでは昭公の帰国に反対する魯の民意)とは恐れるべきものである。怒らせてはならない」


 と答えた。

 

 彼は斉軍に魯との戦いを大きくするつもりがないことがわかっていた。そのためやる気に欠けていたのである。

 

 斉の大夫・子囊帯しどうたいが野洩を追撃して罵った。野洩は、


「軍に私怒(個人的な怒り)はないが、私は私怒に報いよう。汝の相手をする」


 と返した。その後、子囊帯が再び罵ったため、野洩も罵り返した。但し、互いに罵りあうだけで戦うことはなかった。ここからも斉の戦う意志が乏しかったことが分かる。

 

 魯の冉豎ぜんじゅ(季孫氏の臣)が陳開ちんかい(字は子彊しきょう陳無宇ちんむうの子)を射た。矢が手に中り、弓を落とした陳開は冉豎に向かって大喝して罵った。

 

 冉豎は相手が陳開とは知らないため、季孫意如にこう言った。


「白晳鬒鬚眉(顔が白く髭と眉が黒くて濃い様子)で、口が達者な君子がおります」

 

 季孫意如は、身体的特徴を聞き、


「それは子彊に違いない。対抗できないか?」


 と言った。すると冉豎は、


「既に君子と言ったのですから(君子と認めたのですから)、対抗するわけにはいかないでしょう」


 と返した。

 

 魯の林雍りんよう顔鳴がんめいの車右でいることを恥とし、車から降りて戦っていた。しかし斉の大夫・苑何忌えんかきが林雍の耳を斬ったため、顔鳴が林雍を助けに行った。

 

 苑何忌の御者が後ろを向いて苑何忌に言った。


「下です」

 

 苑何忌は車の下にいる林雍の足を斬った。林雍は片足で他の車に飛び乗って引き返した。

 

 その後、顔鳴が三回斉軍に突入し、その度に、


「林雍が乗っているぞ」


 と叫んだ。魯軍は全軍が一心になって季孫氏を支持しており、私怨によって分裂することはないという姿を見せるためである。

 

 士気に関しては魯の方が上になり始め、やがて斉は退却していった。魯の勝利である。



 

 

 


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