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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第十章 権力下降

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叔孫婼

 前年から邾が翼(邾の邑)に城を築いていた。

 

 この年、建築が終わり、邾軍(労役に従事した邾人と、それを指揮する将)が国都・鐸に還る準備をした。まず邾の邑・離姑に入ったのだが、離姑から鐸に行く間には魯の武城があるため、魯に路を借りなければならない。

 

 邾の大夫・公孫鉏こうそんしょは、


(魯は我々を阻止するだろう)


 と思い、そこで武城を通らず、近くの山の南を迂回して邾に向かおうとした。


 しかし徐鉏、丘弱、茅地(三人とも邾の大夫)が反対した。


「道を下れば雨に遭い(恐らく湿っていて通行が困難という意味)、出られなくなる。これでは帰国できなくなります」

 

 結局、邾軍は離姑を出て武城に向かった。

 

 邾軍がこちらに迫っていると知った武城の人々は、兵を出して道を塞ぎ、退路にあたる道の樹木を伐った。


 樹木は完全に倒さずに邾軍が通った時に樹木を押し倒した。魯軍に急襲されて退路も失った邾軍は壊滅し、公孫鉏、丘弱、茅地と多くの邾人が捕虜になった。

 

 この事態を知った邾は魯の襲撃を晋に訴えた。晋は魯の罪を問おうとした。

 

 ちょうどこの時(本年正月)、魯の叔孫婼しゅくそんしゃく(または「叔孫舎」)が晋を聘問していた。

 

 因みに魯の叔鞅しゅくおう叔弓しゅくきゅうの子。叔輒しゅくちょうの弟)が死に、子の詣が大夫を継いた。

 

 晋は魯の行人(使者)・叔孫婼を捕えた。

 

 晋は叔孫婼と邾の大夫を同席させて理非曲直を討論させた。しかし叔孫婼がこう言った。


「列国(諸侯)の卿は小国の国君に当たるのが、周の制でございます」


 つまり魯の卿である自分は邾の国君と対等の立場であるから、大夫と同席はすることは容認できない。


「しかも邾は夷の国でごじあます。我が君(魯君)の命を受けた介(副使)・子服回しふくかい(大夫)がおりますので、彼に同席を命じてください。周の制を廃すわけにはいきません」

 

 結局、両国の討論は中止された。

 

 晋の韓起かんきは邾に人を集めさせ、叔孫婼を邾に渡そうとした。

 

 それを聞いた叔孫婼は従者を連れず武器も持たず晋の頃公けいこうに会いに行った。死も恐れない覚悟を示す行為である。

 

 晋の士彌牟しびぼうが韓起に言った。


「あなたの考えは善くありません。叔孫を讎(邾)に渡せば、彼は必ず殺されることになります。しかし魯が叔孫を失えば、魯が邾を攻めることになり、必ずや邾も滅びることになりましょう。邾君が国を失えば、どこに帰ればいいのでしょうか(この時、邾君は晋にいる)。その時になってあなたが後悔しても手遅れです。盟主というのは命に逆らう者を討伐する者です。皆が相手を捕えあえば(魯は邾の三人の大夫を捕え、晋は邾に叔孫婼を捕えさせようとしている)、盟主に何の意味があるでしょう?」

 

 韓起は叔孫婼を邾に渡さず、子服回とは異なる館に住ませた。

 

 その後、士彌牟が叔孫婼と子服回の意見を聞いた。晋は盟主として魯に非があると判断している。邾が魯に対して正式に道を借りなかったことは、邾の罪ではあるものの、それに対して邾の大夫や兵を奪った魯は明らかにやり過ぎという判断なのである。


 しかし叔孫婼も子服回も魯の罪を認めなかったため、士彌牟は韓起に報告してから二人を逮捕した。

 

 士彌牟は叔孫婼を車に乗せ、その従者四人を従えて獄舎に向かった。途中、敢えて邾の国君が宿泊している賓館の前を通って叔孫婼を辱めた。

 

 晋は邾君を先に帰国させた。

 

 士彌牟が叔孫婼に言った。


「芻蕘(柴を刈る人)の難(柴や薪の供給が困難になったこと)と従者の労苦を考え、汝を別の都(邑)に住ませることにした。追って指示をする」

 

 叔孫婼は朝から直立のまま晋の命を待った。晋は叔孫婼を箕邑に住ませ、子服回も他の邑に移した。

 

 晋の士鞅しおうが叔孫婼に賄賂を求めようとし、まず、冠を提供するように請うた。叔孫婼は冠の大きさを確認するために士鞅が使っている冠を取り寄せると、二つの新しい冠を贈って、


「これで全てです。この二つの冠以外に財貨はありません」


 と伝えた。

 

 士鞅は冠をきっかけに財を要求するつもりであったが、叔孫婼は先手を打って二つの冠以外に財貨は無いと伝えたため、続けて要求することができなくなったのである。

 

 一方、叔孫婼が晋に囚われているため、魯は申豊しんほう)に財物を持たせて、晋に行かせた。

 

 叔孫婼は彼が来たことを知ると、


「私に会いに来れば、財貨をどこに持っていけばいいかを教えよう」

 

 と伝えた。これを信じた申豊は叔孫婼に会いに行った。すると叔孫婼は申豊を留めて外に出られなくしてしまった。


 叔孫婼は賄賂を使うつもりがなかったのである。


 ここまで行くと彼と晋のどちらの維持がどこまで持つかの勝負になっていると言えよう。

 

 晋の吏人(箕で叔孫婼を監視している小吏)が叔孫婼の吠狗(よくほえる犬)を求めたが、叔孫婼は譲らなかった。


 小吏に対しても賄賂を使いたくなかったからである。

 

 翌年春、叔孫婼は帰国する時になって、犬を殺して食用として小吏に与えた。吝嗇ではないことを示すためである。

 

 叔孫婼が住んだ場所は、たとえ住む期間が一日だけでも屋根や壁がきれいにされ、去る時も来たばかりの時と変わらなかったという。



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