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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第十章 権力下降

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忠臣の言は辛い

 周の景王けいおうは太子・寿じゅを失ってから、後継者を決めていなかった。跡継ぎとして有力な候補には、庶長子である王子・(ちょうと、太子・寿の同母弟で嫡出子でもある王子・もうがいる。


 二人は異母兄弟のようである。

 

 本来なら年上である王子・猛が跡を継ぐはずであったが、景王は王子・朝を寵愛していた。また、王子・朝の傅を務める賓起ひんきも景王に信任されている人物であった。


 そのため景王と賓起は王子・朝を後継者に立てたいと思うようになっていた。

 

 当時、劉摯りゅうし献公けんこう)の庶子・劉狄りゅうてき文公ぶんこう。伯蚠)が単旗ぜんき穆公ぼくこう)に仕えていた。


 劉狄は賓起を嫌っており、また、王子・朝が後継者の地位を狙っている現状も礼を乱していると考え、やがて排斥しようと考え始めていた。

 

 ある日、賓起が郊外に行くと、雄鶏が自分の尾の羽を抜いていた。古い羽毛を抜いていたのかもしれない。

 

 賓起がそれを見て、


「なぜ自分で自分の尾を短くするのだろうか」


 と問うと、侍者が、


「祭祀の犠牲になることを恐れるからではないでしょうか」


 と答えた。

 

 祭品は完全な姿をしていなければ選ばれないものである。尾が短ければ犠牲として使われることがなくなることをこの雄鶏は理解していたようである。

 

 帰った賓起はこの事を景王に報告した。

 

「私は鶏が自分の尾を啄んで羽を抜くのを見ました。人々は『犠牲として使われることを恐れているためだ』と言っています。家畜ならば、確かにその通りでしょう。しかし人と家畜は異なります」


 家畜は大切にされ、欠陥がなければ犠牲として祭祀で使われるが、人は寵愛を受ければ受けるほど、尊貴になるものであると彼は言い。


「犠牲として人に利用されるのは苦難であるものの、己のために犠牲になるというのであれば、害はありません」


 犠牲になるはずの家畜のように大切にされても他人に利用されないのでは、害は無い。


「家畜は人に使われたくないため、敢えて身を損ねていますが、人にはその必要がなく、犠牲(寵愛を受ける存在)になるのは他者を治めるためです」

 

 理解が難しい回りくどい言い回しである。


 つまりは鶏等の家畜は、寵を受けて美しく育てば、祭祀の犠牲として利用されることになる。しかし人が寵愛を受ければ、尊貴を手に入れて人を治める立場に立つことになる。


 景王に対して彼は遠回しに、


「寵愛している王子・朝を後継者に立てるべきです」


 と勧めているのである。

 

 景王は内心同意したが、何も言わなかった。

 

 四月、景王が北山で狩りをした。全ての公卿が従っていたのだが、景王はこの機会を利用して、王子・朝に対抗している単氏と劉氏の殺害を計画した。しかし状況は急変することになる。

 

 景王が栄錡えいき(大夫)の家で死んでしまったのである。心臓病による急死であったと言われている。

 

 更に、劉摯も死んだ。いい時に死んだと単旗は喜んだ。劉摯には嫡子がいなかったため、単旗は自分に仕えている劉狄に劉氏を継がせた。

 

 五月、単旗と劉狄は協力して、王子・猛を即位させた。彼は周の悼王とうおうと呼ばれる。

 

 即位した悼王に謁見した単旗と劉狄は賓起を攻撃して殺し、諸王子の反対を恐れて単旗の家で盟を強要した。


 これで周の混乱は収まると二人が考えたことに甘さがあったと言えよう。混乱は更に大きくなることになるのである。








 晋が鼓を取った時、鼓君を連れて帰り、宗廟に献上した。戦勝の報告のためである。その後、鼓君は帰国が赦されたが、再び鮮虞に附いて晋に背いた。

 

 六月、それを受けた晋の荀呉じゅんごが東陽(太行山の東)を巡視し、士卒を糴者(食糧を売る商人や人夫)に変装させ、鼓の都城・昔陽の門外で休憩させた。だが、兵達には武器を隠して持たしている。


 このように潜ましてから晋兵は隙を見つけて昔陽を襲った。

 

 晋軍は鼓を滅ぼして鼓君を連れて帰り、大夫・涉佗しょうたに鼓の地を守らせた。被害もほとんど出さずの戦果に、

 

「荀呉殿は戦上手であるなあ」


 と周りの者が褒め立てたが、そんな声を聞いていた趙鞅ちょうおうは、


(どこが戦上手よ)


 と内心、毒づいた。そうではないか。荀呉はかつて鼓を攻め、これを服属させながら再び背かせ、鼓との戦を行った。


(本当に戦上手ならば、再び戦を起こさせないものだ)


 本当の戦上手ならば、攻め落とした後の維持するための術を講じるか。徹底的に跡形もなく潰すかのどちらかである。


 それで前者を選びながら、背かせているということは、攻め落とした後の処理を怠ったということになる。


「荀呉は怠ったが故に戦を招いた。これのどこが戦上手と言えようか」


 そう彼が言うと、彼に仕えている臣下の一人である尹綽が言った。


「主のお言葉は一つの的を射ることはできましてもその他の的を射ることができておりません」


「どういうことか」


「荀呉殿が戦上手かとうかはともかく、鼓を背かれたことを単にあの方のみの罪とされますのは、酷ではないかと思われます。鼓を攻め落とした後、これを治める上での方針を決めますのは、国でございます。個人の考えのみが通るわけではございません。その上で鼓が背く事態となったことは、主の理屈で言えば、国が怠ったが故に戦を招いたことになりましょう」


 国のやり方に不満を持ったが故に背くのである。そうならば、国の落ち度というべきであり、不徳であったというべきである。


「それを個人のせいにして、主は同じ立場になられた時、どうなさいますか。その個人に裁きをお与え致しますか。そのように処罰を加え、自らの責任を押し付けるような真似をすれば、主について行くものはいなくなりますぞ」


 趙鞅が荀呉が戦上手ではないと言ったのは、彼が周りの者を無能であると思っており、そんな彼らがろくに考えもせずに戦上手と荀呉を称えていることに反発したためであろう。


 このような戦を招いた部分への問題点から目を逸らしていることへの彼なりの警鐘と言えるだろう。


 しかしながらその言葉を周りの者が聞けば、どう思うのだろうか。趙鞅の真意を見抜く者がどれほどいるだろうか。趙鞅とはこういう人だと思う者の方が多いのではないか。


「汝の言は辛いな」


 趙鞅がそう言うと尹綽は笑みを浮かべ、


「では、食すことをお止めになりますか」


 と言うと趙鞅は笑って、


「私のような若輩者には、この辛味が丁度良い、今後も頼む」


(そう、だからこそ我々はこの方に仕えるのだ)


 趙鞅という人は気性は荒く、短気であり、相手が無能だと思えば、直ぐ様見下す人物である。しかしながら彼は、自身の臣下に対してはとても優しい部分を見せる。



 

 晋が鼓を滅ぼした後の事を述べる。

 

 荀呉が鼓を滅ぼし、鼓君を連れて帰国した。鼓の官員にはそれぞれ元の官職に就かせ、僚(側近)以外は鼓君に同行することを禁止していた。

 

 しかし鼓君の臣・夙沙釐が妻子を連れて彼に従おうとした。晋の軍吏が夙沙釐を捕えたため、夙沙釐が言った。


「私は主君に仕えているのであり、土地に仕えているのではございません。『君臣』とは申しますが、『土臣』という言葉はございません。今、主君が遷されようとしているのに、臣下がなぜ鼓の地に留まらなければならないのでしょうか」

 

 荀呉が彼の言葉を知ると彼を招いた。


「鼓には新君(涉佗)がいる。汝が新しい主君に仕えるならば、私は汝の禄爵を定めようではないか」

 

 夙沙釐はこう言って、断った。


「私は狄の鼓に委質(主に礼物を献上して忠誠を誓うこと)したのであり、晋の鼓には委質しておりません。委質して臣下になれば、二心を抱かないものだと申します。委質、策死(名簿に姓名を記して主のために死を誓うこと)は古の法であり、国君に烈名(英明な美徳)があれば、臣下は委質に背かないものです。私利(禄爵)を追って旧法(委質・策死)を乱し、司寇(法官)を煩わせるわけにはいきません。もし晋の臣下が皆そのようであれば、晋で不虞(不測の事態)が起きた際、いかがされるおつもりか

 

 荀呉は嘆息して左右の臣に、


「どのような徳を修めれば、私にもこのような臣下を得ることができるだろうか」


 と言うと、夙沙釐を釈放させた。

 

 荀呉は帰国して戦勝の式典を行い、夙沙釐の事を晋の頃公けいこうに報告した。

 

 頃公は鼓君に河陰(河南)の土地を与え、夙沙釐を相(補佐)に任命した。


「荀呉にこのような大度があったとはな」


 趙鞅は彼への認識を改めた。





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