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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第十章 権力下降

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華登

 十月、呉に出奔していた宋の華登かとうが挙兵した華氏を援けるため、兵を貸してもらいたいと呉に願った。


 彼は宋への影響力を持てば、楚への牽制になるとし、その言葉に呉は彼に兵を貸すことを許可した。


 華登は借りた兵を率いて、宋を攻撃した。

 

 この大乱に対し、宋は斉への救援を求めた。


 斉はこれを受け、斉の大夫・烏枝鳴(烏が姓)を派遣した。


 宋の厨邑大夫・ぼくが烏枝鳴に進言した。


「『軍志』にこうあります『人に先んじれば人の士気を奪うことができるものの、人の後になれば人の衰えを待たなければならない』と、敵は到着したばかりで疲労しており、未だ安定していません。今のうちに攻撃するべきです。もしも敵が南里に入って安定してしまえば、華氏の方が士兵が多いため、後悔することになりましょう」


「そのとおりである」

 

 と、烏枝鳴は同意した。

 

 烏枝鳴率いる斉軍と宋軍の連合軍は鴻口で呉軍を破り、公子・苦雂と偃州員を捕えた。しかし、残った兵を集めた華登が反撃を行い、宋軍を破った。


 凄まじき執念と言うべきだろうか。

 

 恐れた宋の元公げんこうは逃走しようとすると、厨邑大夫・濮が諫めた。


「私は小人ですが、主公のために死ぬことはできても、主公を送って亡命させることはできません。主公はここでお待ちくださいませ」

 

 濮は陣中を巡視し、叫んだ。


「公の徒(国君に味方する者)は徽(旗。もしくは肩章や胸章等の徽章)を掲げよ」

 

 将兵は徽を高く上げて忠心を示し、これにより士気が向上した。

 

 揚門の上でその様子を見ていた元公は、城壁を下りて巡視し、こう激励した。


「国が亡び、国君が死ねば、二三子(汝等)の恥にもなる。私一人の罪(恥。難)ではない」

 

 斉の烏枝鳴は進言を行った。


「少数の兵を率いる時は、分散するよりもまとまって死力を尽くすべきです。まとまって死力を尽くす時は、守りを棄て、攻撃に専念するべきです。敵は多数の武器を持ってはいますが、我が軍には剣を使うように命じてください」


 接近戦は数の勝負ではなく、士気が高くて勇敢な方が勝つ、その状況に持ち込めば、勝目があると彼は主張した。

 

 元公はこれに従った。

 

 両軍は再び激突した。華氏の軍は数を頼みにし、斉、宋の連合軍を包囲しようとしたが、連合軍はただただ華氏の本軍に突撃を仕掛けた。


 包囲しようとしたために本軍の守りを薄くしてしまったことで、彼らの勢いを前に華氏の軍は耐え切れず、敗れた。


 華氏の軍は撤退していくと連合軍が追撃する。

 

 厨邑大夫・濮が裳(服の下半身部分)で無名の死者の首を包み、肩に担いで、


「華登の首を得た」


 と言って走り回った。ますます連合軍の士気が上がり、華氏は新里で再び、大敗した。

 

 新里には翟僂新(てきるしんという人物が住んでいた。新里は華氏の占領下であったが、戦いが始まると翟僂新は甲冑を脱いで元公に帰順した。

 

 公里に住んでいた華妵も華氏に協力せず、元公に帰順した。

 

 十一月、前年晋に奔った公子・じょうがこの事態を憂いた晋が貸した晋軍を率いて宋に到着した。


 曹の大夫・翰胡も曹軍を率いて晋の荀呉じゅんご、斉の苑何忌えんかき、衛の公子・ちょう(前年、晋に奔ったが、既に帰国した)と合流し、宋を援けた。

 

 諸侯の軍が赭丘(南里附近。宋都郊外の丘)で華氏と戦った。

 

 華氏の陣で鄭翩ていへんこうのとりの陣を布こうとし、その御者は鵝の陣を要求したとあるが、どちらもどのような陣形かはわからない。

 

 宋軍の公子・城と呂邑(華氏の勢力)の封人・華豹かひょうの兵車が遭遇した。

 

 公子・城の車は子禄しろく向宜しょうせん)が御し、荘堇そうきん(または「荘堇父」)が車右を務めている。


 華豹の車は干犫かんしゅうが御し、張匄ちょうかいが車右を務めている。

 

 公子・城が引き返そうとすると、華豹が叫んだ。


「あれは城である」

 

 名を呼びつけられた公子・城は怒って戻り、矢を構えようとした。この時、華豹は既に弓を引いていた。公子・城は祈った。


「平公(公子・城の父)の威霊よ、私を守ってくだされ」

 

 華豹が先に矢を射ると、矢は公子・城と子禄の間を通りすぎた。

 

 公子・城が改めて矢を構えようとした時、華豹がまた弓を引いた。

 

 それを見た彼は憤慨し、叫んだ。


「射ち返す機会を与えないとは卑怯であるぞ」

 

 その言葉に華豹は思わず、矢を弓から外した。公子・城の一矢は華豹に命中し、華豹は命を落としました。

 

 華豹の車右・張匄が殳(一丈二尺の武器)を持って車を降りた。公子・城はとっさに弓を引き、張匄の腿を射ぬいた。

 

 倒れ込んだ張匄は伏せたまま公子・城の車に接近し、殳で車軫(車の下にある横木)を折った。しかし公子・城の二発目の矢が中って死んだ。

 

 華豹の御者・干犫が公子・城に自分も射るように請うた。公子・城は、


「私が汝のために命乞いをしよう」


 と言ったが、干犫は、


「伍乗(兵車の同乗者)と共に死ななければ、軍の大刑(死刑)に値します。刑を侵しながらあなたに従っても、国君は用いないでしょう。速やかに射てください」

 

 公子・朝は矢を放ち、干犫も死んだ。

 

 

 

 華氏が大敗して南里が包囲された。

 

 華亥かがいが胸を叩いて叫び、華貙に会って言った。


「我々は欒氏になってしまった」

 

 華貙は、


「私を脅かすな。不幸ならば、亡ぶだけのことである。幸があれば滅ばないのだ。滅ぶと決まったわけではないではないか」


 と言った。

 

 華貙は華登を楚に送って兵を請うことにした。そして、華貙自身は車十五乗、徒(歩兵)七十人を率いて包囲を突破し、睢水の辺で華登と食事をしてから泣いて送り出した。


「必ずや楚から援軍を」


 華登の言葉に華貙は頷き、その後、華貙は包囲された南里に帰った。

 

 

 

 楚の薳越いえつが楚の平王へいおうに華氏を援けるよう勧めた。

 

 それを聞いた大宰・はんが平王に進言した。


「諸侯の中で宋だけが王に仕えておいでです。それなのに、宋が国を争っている時、その君を棄てて臣下を援けるのは相応しくありません」

 

 しかし平王は、


「汝の言は遅すぎた。私は既に協力することを約束した」


 と言って、軍を派遣した。





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