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春秋遥かに  作者: 大田牛二
第十章 権力下降

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和と同

 斉の景公けいこうが疥(疥癬。皮膚病)と痁(瘧疾。おこり。伝染病)を煩い、一年経っても良くならなかったことがあった。


 そのため諸侯が聘問や見舞いのために派遣した多数の使者が、景公に謁見できず斉に留まっていた。

 

 景公が寵信している大夫・梁丘據(梁丘が氏)と裔款が景公に言った。


「我々(景公と近臣)は鬼神を祀っており、先君の時代よりも厚い祭祀を行っております。今、主公が疾病にかかり、諸侯の憂いを招いていることは、祝と史(どちらも祭祀を掌る官)の罪です。しかし諸侯はそれを知らないので、我々が鬼神に対して不敬だと思っているでしょう。主公は祝固と史嚚を殺して賓客に説明するべきです」

 

 景公は納得して晏嬰あんえいにもそのことを話した。しかし晏嬰はそれについてこう答えた。


「かつて宋の盟(紀元前546年)で屈建くつけん(楚の令尹・子木しぼく)が趙武ちょうぶ(晋の卿)に晋の士会しかいの徳について質問したところ、趙武はこう答えました。『士会は家を善く治め、国について語る時は心を尽くしながらも私欲がありませんでした。士会の祝と史も祭祀で鬼神に真実を報告し、後ろめたいことがありませんでした。家が善く治まりながらも猜疑されることがなかったため、祝と史も鬼神に悪事を訴える必要がなかったのです』と、屈建がこれを康王こうおうに話すと、康王はこう言いました。『神にも人にも怨まれないのであったのだから、士会が五君(文公ぶんこう襄公じょうこう霊公れいこう成公せいこう景公けいこう)を補佐して諸侯の主にすることができたのも、当然であろう』と」

 

「據と款は私がしっかり鬼神に仕えているから、祝と史を殺すように勧めた。汝がこの話をしたのはなぜか」

 

 晏嬰は理由を述べた。


「徳がある国君が、内外の事を廃すことはなく(宮内でも朝廷でも行いを正し)、上下(天と民)からも怨まれず、行動が礼から外れることもなく、祝と史が真実を鬼神に報告するのであるなら、愧心(うしろめたい気持ち)は生まれません。その結果、鬼神は祭祀を受け入れ、国は福を受け、祝と史にも福が訪れるのです。祝や史が子孫を繁栄させ、長寿を得ることができるのは、国君の使者として真実を伝えるためであり、その言が鬼神に対して忠信だからです。彼等がもしも淫君(私欲を恣にする国君)に出会いましたらどうでしょうか。内外に姦邪がはびこり、上下が怨み嫉妬し、行動が礼から外れ、欲に従って自分を満足させ、高台深池を築き、鍾を衝き女を舞わせ(歌舞に興じ)、民力を浪費し、民の蓄えを奪い、これらの行為によって過ちを形成しても他者のことを考えることはなく、暴虐淫従で法度に従わず、忌避することを知らず、誹謗も考慮せず、鬼神も恐れないため、神が怒り民が痛んでも、心を改めようともしません。その時、祝と史が真実を訴えるのであれば、鬼神に国君の罪を報告することになります。しかし過失を隠して美を語るようならば、矯誣(偽り)を報告することになります。真実も偽りも報告できなければ、虚(真実とは関係ないこと)を報告して鬼神に媚びることになります。そうなれば、鬼神は国の祭祀を受け入れず、逆に禍をもたらし、その禍は祝と史にも及ぶことになります。彼等が病にかかったり夭折するのは、暴君の使者だからであり、言によって鬼神を偽り侮るからです」

 

「それならどうすればいいのだ?」

 

「方法はございません。今の斉では、山林の木は衡鹿(衡麓の官。山林を管理する官)が守り、沢の萑蒲(葦。家の屋根や蓆等を作ります)は舟鮫(舟虞の官。川沢を管理する官)が守り、藪の薪蒸(柴木)は虞候(藪を管理する官)が守り、海の塩・蜃(大蛤)は祈望(海を管理する官)が守っています」


 山林川沢は国が管理しているため、民はそれらを共有をすることはできずにおり、


「県鄙の人(辺境の人)も中央に入って政令に従わなければならず、彼等が国都に近づけば関所で税かかけられ私財が奪われることになります。世襲の大夫は民の財を安く買いたたいており、公布される政令は準則がなく、賦税の徴収には際限がありません」


 遠方の民は国都での労役に従事を強制されており、そのための移動の際にも税を取られるなど、税と労役によって民が困窮していた。


「宮室は毎日換えられ、淫楽から離れることなく、内寵の妾は市でほしいままに財を奪い、外寵の臣は辺境で偽りの政令を発し、私欲を満足させさせることに必死で、供給できない者には刑罰を与えております。民は痛苦し、夫婦が共に呪詛しています。このような状況であるため、たとえ祝(祈祷。国が行う鬼神の祭祀)に益(効果。御利益)があったとしても、詛(民の呪詛)によって損なわれてしますのです。聊・攝(斉の西境の邑)以東から姑・尤(斉の東境の邑)以西に至るまで、無数の民が暮らしているため、祝や史が善祝を行ったとしても、億兆人の詛には敵いません。主公が祝と史を殺したいのであるなら、徳を修めてからにするべきです」

 

 景公は彼の言葉に納得し、有司(官員)に寬政を命じ、関所を廃止し、禁令を除き、賦税を軽くし、責(官府に対する民の負債)を免除した。

 

 十二月、景公が沛(沛丘。沢の名)で狩りをした時、弓を使って虞人(山沢の官)を招いた。しかし虞人は応じようとしなかった。


 景公が虞人を逮捕させると、虞人はこう言った。


「昔、我が先君が田(狩猟)を行った際、旃(赤い旗)で大夫を招き、弓で士を招き、皮冠で虞人を招いたものです。私には皮冠が見えなかったため、応じませんでした」

 

 すると景公は虞人を釈放した。

 

 景公が狩りから帰ると、晏嬰は遄台(臨淄附近の楼台)で待機し、子猶(梁丘據)は車に乗って駆けつけた。景公は、


「據だけが私と和すことができるなあ」

 

 と言うと、それを聞いた晏嬰が言った。


「據は『同』というべきであり、『和』ではありません」

 

 景公は眉をひそめ、


「『和』と『同』は異なるのか?」

 

「異なります。『和』はあつもののようなものです。水・火・醯(酢)・醢(肉醤)・塩・梅によって魚肉を煮込み、薪によって火を調整し、宰夫(調理師)がそれらを調和させ、味が薄ければ調味料を加え、濃ければければ水を追加して調えるのです。君子がそれを食べれば、心が平穏になります。君臣の関係も同じことです。国君が可としている事の中に否があった場合、臣下が否を指摘して正しい方向に導くのです。国君が否としている事の中に可があった場合は、臣下が可を指摘して否を除きます。こうすることによって政治が平穏になり、礼を侵すことなく、民も争う心を持たなくなるのです。『詩(商頌・烈祖)』にこうあります『調和された羹がある。宰夫を戒めて味を調えさせる。神に捧げて指摘されることなく、朝野が争うこともない』先王は五味(辛・酸・鹹・甘・苦)をそろえ、五声(五音。宮・商・角・徴・羽)を調和して心を安定させ、政治を完成させたものです。声(音楽)も味と同じで、一気・二体(舞の形。文舞と武舞)・三類(詩の形。風・雅・頌)・四物(四方の物)・五声・六律(黄鐘・大蔟・姑洗・蕤賓・夷則・無射)・七音(五音と変宮・変徴)・八風(八方向の風。東北の条風・東方の明庶風・東南の清明風・南方の景風・西南の凉風・西方の閶闔風・西北の不周風・北方の広莫風。風の名称には諸説ある)・九歌(九功の歌。六府三事の功。六府は水・火・金・木・土・穀。三事は正徳・利用・厚生)によって成り立っており、清濁・大小・長短・疾徐(緩急)・哀楽・剛柔・遅速・高下(高低)・出入・周疏(粗密)が共に調整し合っているのです。君子はこれを聞き、心を平穏にし、心が平穏になれば、徳が和すのです。だから『詩(豳風・狼跋)』には『徳音には傷がない』とあるのです。據はこのようではありません。主公が可と言えば據も可と言い、主公が否と言えば據も否と言っています。これは水で水を調理するようなものです。このようなものを誰が好んで食べるのでしょうか。また、琴瑟の音色が一つしかなければ、誰も聞こうとしません。『同』とはこのように許容されないものなのです」

 

 ある日、景公が酒を飲んで楽しくなり、こう言った。


「古から死というものがなければ、何と楽しいことだろうか」

 

 晏嬰が言った。


「古から死がなければ、この楽しみは古の楽しみであり、主公が得ることはできなかったでしょう。昔、爽鳩氏(少皥氏の司寇)が始めてこの地(斉)に住み、後に季萴(舜・夏王朝時代の諸侯)が代わり、有逢伯陵(商王朝時代の諸侯。姜姓)に継がれ、蒲姑氏(または「薄姑氏」)を経て大公たいこう(太公・呂尚。斉の祖)がこの地を擁するようになったのです。古の者が死ななければ、この楽しみは爽鳩氏のものであり、主公が望むことではなくなります」


 ここまで何度も何度も諫言されると人というものは嫌になるものだが、景公は決して晏嬰を遠ざけることはなかった。





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